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【リヨン留学記】プロローグ:家探しをしていたはずが。フランスに行ってしまって

 人はなぜ旅をするのだろう。遊牧のように生活のための移動ではない。ひとところに居ても十分に生きていけるというのに、わざわざ膨大なお金と時間をかけて、ただ場所を転々とする。どこかに行きたいという純粋で、そして荒々しく抑えきれない欲求に追い立てられるようにしてカバンに洋服を詰め込んだ日が、わたしには幾度とあった。
 20代の頃は日本中を旅していた。
 熊本に湧水を見に行ったり、京都のお寺に泊まったり、三重にあるススキばかりの山に登ったり、倉敷、直島、奈良、岸和田、金沢、十日町、房総半島、盛岡、花巻、弘前。
 地元の人ばかりを乗せたバスの中から東京とはまったく違うダイナミックな地形や空の鮮やかな青を見て思う。ここで生活をしているわけでもないのに、なぜいまわたしはここでこうしているのだろう。閉じ込められた空気の静かで生ぬるい倦怠の中、旅の初日の高揚感は消えさり、生まれてこの方独りぼっちのこの肉体を、あてのない浮遊感が包み込む。自分がまるで子どものようなまん丸の頬をして、あまりにも無防備に世界と対峙しているような気持ちになってくる。  
 目的地を決めるときは美術館だとか桜だとか見たいものを探し、それを理由に移動していたけれど、実際に訪れてみるとわたしはそんなものどうでも良いと気付かされるのだった。ならばわたしは、わざわざ生まれた場所を遠く離れて、一体何をしているのだろう。
 
 さて、今回旅に出たきっかけは、家を借りられなかったから、というなんとも間抜けなものだった。
 当時都心でひとり暮らしをしていたわたしが家を探しはじめた理由は主に3つあって、1つ目は家の広さを見直したかったこと。執筆するための部屋が欲しかったのに加え、数年前から本格的に再開した絵画制作のためのアトリエも欲しかった。2つ目はフリーランスになり通勤をしなくて良くなったので、わざわざ家賃の高い都内に住んでいる必要がなく、明日はどうなるか分からない身の上だし、東京を離れても良いから生活費を抑えられる場所で暮らしたかった。そして3つ目は猫を飼いはじめたこと。単身者用の20平米では運動不足だろうし、もっと走り回ったり好きな場所でねむったりできる家を探してあげたいと思ったのである。
 ところが家探しはとにかく難航した。経験をしたことがある方ならおわかりだろうが、猫可の物件は信じられないほど数が少ないのである。東京のみならず神奈川や千葉なども視野に入れて探してみたが、それでもピンと来る物件がひとつも見当たらない。仲介業者のサイトにアクセスし、物件を検索するために条件を入れてゆく。面積20平米以上、ガスコンロ2口、ベランダあり、駅まで徒歩15分以内。これくらいの条件だと場所によっては千を越す物件がヒットすることもある。けれどもここでペット可という項目にチェックを入れると、途端に物件の数は6とかになってしまうのだ。
 不動産屋に行っても猫可と伝えた途端にみんなに困った顔をされた。もしくは「今はないですね」と1軒すらも紹介してもらえない。ある日訪ねた不動産屋に「犬可の物件はそこそこあるんですけど、猫はダメってところが多いんですよ」言われ、わたしは心底驚いた。理由を聞いてみると、壁で爪を研ぐとか床におしっこをしたら臭うからとかそんなものだった。わたしが飼っている猫は元野良猫だ。決して幼少期から誰かにしっかり教育をされたわけではないけれど、壁で爪を研いだことも粗相をしたことも一度もない。犬のような匂いもしない。それでも「猫」というだけで一括りにされて住む場所を選びようもない状態にされてしまうのだと、飼ってから気づかされたのだった。
 そんな最中に、ようやくここだったら住みたいと思う家を見つけた。
 いわゆるヴィンテージマンションで、真っ青なドアを開けた途端に家中を風が通り抜ける気持ちの良い環境だった。収納も多く、1LDKだったので一部屋を仕事部屋にし、LDKの方を今までのワンルームのようにベッドや食事をする生活の場として使えば良い。建具もシンプルで品がよく、階段の踊り場に飾られた花の油絵が醸し出している和やかな雰囲気もわたしを魅了した。東急東横線沿いの人気エリアだったために家賃が予算よりもかなりオーバーではあったが、幸運なことに半年分のギャラを先に支払いたいというクライアントがいたことで、まとまったお金も手にしていた。それになんたって探しに探した猫可の物件である。なるようにしかならないだろうと覚悟を決めて申し込みを決めた。
 仲介業者に連絡をして、保証人のこととか年収のこととかを記入する資料をもらった。ところがその日の夕方頃に、事件が起きた。
 体がどうにもだるい。最初は単に疲れているのかなと思ったけれど、だんだんとどうもただの疲れとは思えない感覚になっていった。体の節々が痛み、まるで夜が降ってきてわたしにのしかかってでもいるかのようにずっしりとした重みで頭が朦朧としている。認めたくなくてしばらくそのまま横になっていたけれど、観念して体温を図ってみると38度の熱だった。学生以来ではないかと思うような高熱。そう、わたしはコロナにかかったのである。
 そのまま2日間ほどは熱が下がらず、ベッドで安静にしていた。そして熱が37度まで下がった3日後のこと、物件を逃したくなかったわたしはとりあえず資料だけでも記入をして送ってしまおうとパソコンを開いた。するとまたもや事件である。今度はWi-Fiの調子が悪く、インターネットが繋がらない。こんなことってあるだろうか。失望を通り越し、まるで地球を破滅に導く隕石が落ちてゆくさまを茫然と眺めてでもいるかのような冷めた達観すらあった。だって、わたしにはどうすることもできない。
 熱が完全に下がりWi-Fiも復旧したのが5日目のことで、わたしはようやく空欄を埋めて資料を仲介業者に送り返した。
 そして次の日に来たメールを開くと、そこには「他の人に決まりました」という文字が並んでいた。
 このときのわたしの絶望たるや。
 熱はもう下がっていたというのに、ショックでもう1度ベッドにもぐり込んだ。1年以上探しに探してようやく見つけたのにと、体が弱っていたことも相まって涙すら滲み、なんとも情けないような気持ちになった。
 さて、また家を探さなければならなくなった。あて度もなく呆然とメールボックスを眺めていたときに、ふとコロナになる前に、留学エージェントにフランスへの短期留学の見積もりを出してもらったことがあったなと思い出した。
 その後の行動は正直なにも考えていなかったといって良い。まるでダンスでもするように次のリズムがやってきたから乗ってみた、そんな感覚だった。
 家を借りる資金を使って、わたしは留学を申し込んでしまった。行き先は留学エージェントに学費が比較的安いとおすすめしてもらった、フランスのリヨン。
 家を借りるはずだったのにどうしてこうなったのだろうという当然の疑問に、この行動を起こしている張本人のわたしですら答えをもっていない。
 理性を優先させれば我ながら何をやっているのだと思うけれど、結果、わたしはこの旅で一時期でも良いからフランスに住みたいと思ってしまったのである。フランスこそがわたしの探し求めていた場所だと思えたのだ。暮らす場所を探している最中に起きたこれらのことは、だからすべて自分の理想にたどり着くためのあまりにも巧妙にデザインされた必然だったのではないかと思えてくる。

 旅立ちの日の朝の匂いが好きだ。
 玄関のドアを開けた途端、そこにはいつもよりも静かな世界がひろがっている。空気はツンと冷たく、鼻の先がすうすうとして、過去など入り込む隙間もないほど高尚で真新しい匂いに満ちていると感じる。
 湿った空気に体温を奪われた冷たい手で、猫を預けた父に「そんな少ない荷物で行くのか」と言われた40リットルのトランクを引きづって、かくしてわたしは「居場所探し」の旅に出たのであった。

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