Megumi Saito

編集・ライター・フォトグラファー・エッセイストなど。3社にて、編集・ライター・ディレク…

Megumi Saito

編集・ライター・フォトグラファー・エッセイストなど。3社にて、編集・ライター・ディレクターを経験。2021年からフリーランス。アイコンは愛猫のイネス。

最近の記事

【リヨン留学記】10話:食い逃げ事件

 語学学校では毎週「リヨンの街案内」だとか「リヨンの壁画を見にいこう(リヨンには巨大なだまし絵の壁画がある)」だとか、放課後学生を集めた行事が行われていた。イベントが毎週壁に張り出され、参加したかったら一緒に貼られた名簿に名前を書き、人数が集まったら催行されるという流れだ。  授業の合間に暇つぶしがてら眺めてみたけれど、毎日毎日勉強と仕事と慣れない環境でつかれていたから、特に参加するつもりはなかった。  けれども家に帰ると、なぜかオディールが「今週はどんなイベントがあるの?」

    • 【リヨン留学記】9話:リヨンはおいしい?-夜ごはん編-

      「À Table(ア・ターブル)」と呼ばれる瞬間が、留学中一番の楽しみだった。 「À Table」というフランス語を直訳すると「テーブルに」だが、「ご飯ですよ」と呼ぶときの言葉である。  留学中は朝ごはんと夜ごはんをオディールが用意してくれていた。そのため午後7時頃になるとオディールがわたしの部屋をノックし、「À Table」と言うのである。  部屋では大体仕事や勉強をしていたから声をかけられても頭がうまく切り替わらず、なんだか忙しない気分になることもあったけれど、ダイニング

      • 【リヨン留学記】8話:リヨンはおいしい?-朝ごはん編-

         留学中はホームステイ先に朝と夜の食事も出してもらっていた。  リヨンに着いた日に「Megumiは朝ごはんに何を食べるの?」とオディールに訊かれたので、わたしは少し悩んでから「パンとかフルーツかなぁ」と歯切れ悪く答えた。日本にいる時はグラノーラの時もあればココアだけの時もあるし、はたまたゆで卵やオムレツを用意するときもあり、別段ルーティンがなかったのである。さらに「お茶、それともコーヒー?」と訊かれたので、これには迷わずコーヒーと答えた。母がコーヒーばかり飲んでいた人だったか

        • 【リヨン留学記】7話:リヨンはおいしい?-外食編-

           パリが「アムール(愛)の街」と呼ばれる一方で、どうやらリヨンは「美食の街」と呼ばれているらしいと、わたしはこの街を訪れてから知ったのだった。  日本に帰って来てからも幾人かに「リヨンに行ってたの?リヨンはおいしいよね」と言われたから、フランスに詳しい方にはどうやら有名な話らしい。  今回のことに限らず、わたしは食に関してそこまでこだわりがなく、疎いと自覚している。でもおいしいものは好きだから、料理を仕事にしている友人や美食家の友人にくっついていって、その経験と知識のおこぼれ

        【リヨン留学記】10話:食い逃げ事件

          【リヨン留学記】6話:双子の川

           夕暮れどきは瞬く黄金色の光が水面を覆い、陽が沈んでからはうすく儚い紫色が揺らめいて、そして夜は、フェルメールが愛したかの青を、底に沈めたかのように川は深く鮮やかな濃紺の光をじんわりとはなっていた。  リヨンで過ごした時間はいま思い返しても宝もののような日々だったけれど、もちろん語学の壁にぶつかって四苦八苦したときもあれば、学校にいけ好かない人がいて、いやな思いをしたこともあった。日常生活を送っていれば多かれ少なかれあるそうしたざらりと心を逆立てるあれこれを、けれども心に留め

          【リヨン留学記】6話:双子の川

          【白猫イネスの日々】3話:犬のような我が家の猫

           猫が犬だなんて、一体何を言い出したのだと思う方もいるかもしれない。  けれどうちの猫の行動を見ていると、どうも猫ではなく犬なのではないかという疑念がわいてくる。  例えば猫を飼う前に友人に「猫は水平よりも垂直の運動をする生き物」という教えを受けた。つまり走り回るよりも、棚の上にジャンプしたりキャットタワーなどで上下に動いたりすることの方が大事だというのである。  けれどもうちの猫を見ていると、上下の運動はほとんどなく、よく廊下を走っている。たまにとてもうれしそうな顔をして耳

          【白猫イネスの日々】3話:犬のような我が家の猫

          本業を持たずに生きてゆく。

           よく本業はなんですか?という質問を受ける。  というのも自分の活動をざっと書き出すと、ライター・編集者・フォトグラファー・ペインター・プロデューサーなどなど多岐に渡るからであり、さらに例えば文章を書いていると一言で言っても取材記事やエッセイから詩や小説などの文芸活動までかなりの幅がある。  まるでフリーマケットのようにこれらをずらりと広げて人に見せたときに、どうやら私が一体何者であるのか人物像があやふやに思えるようで、みんな混乱してしまう。そして「どれが本業なんですか?」と

          本業を持たずに生きてゆく。

          【白猫イネスの日々】2話:涙の理由を教えてよ

           ある日、イネスが泣いていた。  猫は人間のようにかなしい気持ちを浄化させるために泣く、なんていう水分の無駄遣いをしない。涙が出るのはあくまでも目に入ったゴミを洗い流すためである。猫とはロマンではなく実用のために泣く現実的な生き物なのだ。そのため泣いていようが大事とは思わず、「あら、目に何か入ったの?かわいそうに」なんて悠長な気持ちで彼女のことを眺めていた。  しかし、次の日もイネスが泣いている。それも左目からだけ器用にぽろっと涙がこぼれ落ちる。けれどもこの時もまだ私はのほほ

          【白猫イネスの日々】2話:涙の理由を教えてよ

          【世界の美術館】元アートディーラーが集めた珠玉の現代アート「Correction Lombert」

           かつてPhilippe le Bel(美男王)と呼ばれたフィリップ4世によって教皇庁が置かれ、一時期キリスト教世界の中心ともなった歴史深い地区、アビニョン。南仏らしい乾いた空気と重厚な石造りの街並みはパリやフランス第2の都市と呼ばれるリヨンなどとは違い決して華やかではないが、ゴシック建築らしい力強い垂直のラインに圧倒される「アヴィニョン教皇宮殿」や4つのアーチが特徴的な「サン・ベネゼ橋」など、世界遺産にも登録された歴史地区があり、各所に見どころがある街である。  そんなア

          【世界の美術館】元アートディーラーが集めた珠玉の現代アート「Correction Lombert」

          【白猫イネスの日々】1話:モデルの名前をした保護猫

           3年ほど前から、保護猫団体から1匹の猫をもらい受けてともに暮らしている。真っ白い毛をしたメス猫で、名前はイネスという。  この名前、フランスに馴染みがある方ならすぐにわかるだろうけれど、フランス人の女の子につけるようなフランスかぶれな名前なのである。どうしてこれを選んだのかというと、理由は猫の体型にある。    私がイネスと出会ったのは保護猫用のシェルターだった。シェルターといっても普通の民家の2階で、6畳ほどの部屋にゲージが積み重ねられ、そこではさまざまな種類の猫が一緒に

          【白猫イネスの日々】1話:モデルの名前をした保護猫

          【リヨン留学記】5話:夏と秋の間で

           わたしがリヨンに着いたのは10月のことであったが、街にはまだ夏の名残があった。風は湿っていてなま温かく、陽射しが燦々と降り注ぐ昼間ともなれば、みなタンクトップや半袖姿で過ごしていたほどだ。  リヨンにはローヌ川とソーヌ川という2つの川が流れていて、外で過ごしやすい気候が続いていたために川辺にはいつも人の姿があって街は賑やかだった。若者たちが音楽を流しながら集まっていたり、女性陣がスモールトークを楽しんでいたりする。かくいうわたしも学校がおわった午後に、よくランチやコーヒー片

          【リヨン留学記】5話:夏と秋の間で

          【リヨン留学記】4話:語学学校の仲間たち

           わたしが通っていた語学学校は大学附属のものではなく小さな私営のもので、レストランやスーパーなんかが入っているような街中の建物の2階にあった。とはいえフランスだから建物は石造りで洒落ていて、艶々と飴色に輝く木製のドアを開けるときはいつも胸が弾んだものだ。  わたしは毎朝9時から午後1時まで授業を取っていて、その間はライティングからリスニングからスピーキングまで、語学を勉強する上で必要な一通りの技能を学んだ。  生徒はというと、年齢も国籍も実に多種多様だった。  例えばヨーロッ

          【リヨン留学記】4話:語学学校の仲間たち

          【リヨン留学記】3話:リヨンの小さなマダム

           家の中でゴーンゴーンという鐘の音が聞こえてきたら、オディールに電話が掛かってきた合図である。これがしょっちゅうのことで、書斎の椅子に腰掛けて電話に夢中になっている彼女に口パクで「À ce soir(直訳だと夜に。行ってきます、という意味)」と告げて家を出た日がわたしには幾度もあった。わたしに気がついた彼女は元パリジェンヌらしい粋な身のこなしで小さな手を上げて指を動かし、いつものいたずらっ子のような笑顔で見送ってくれた。  5人家族がのびのび暮らせるような広い家を求めて27歳

          【リヨン留学記】3話:リヨンの小さなマダム

          【リヨン留学記】2話目:ローヌ川のシーニャたち

           ホームステイしていた家から語学学校に向かうためには、リヨンを流れる2つの川の内のひとつであるローヌ川を北上し、40分ほど歩かなければならない。そのため最初の数日間はメトロを使って移動をしていた。  ところが3日目のこと、オディールに明日は歩きで学校に行った方が良いわと言われたのだった。なぜ?と聞くと、理由を説明してくれたが、単語が聞き慣れないものばかりでわからない。ふたりで首を傾げ合い、どう説明しようかと困ったオディールはスマホでとある単語を検索して日本語に変換し、わたしに

          【リヨン留学記】2話目:ローヌ川のシーニャたち

          【リヨン留学記】1話目:大きな風に包まれたなら

           わたしがリヨンに着いた日は、立っているのがむずかしいほど大きな風が吹いた日だった。びゅうっと耳の中で大きな風鳴りが響き、落ち葉やら紙やらが夏の名残を残したぼやけた青空の中へと舞い上がって消えてゆく。 「大きな風に包まれたら、それは幸福の兆しである」という、いつの頃かわたしが勝手に作り出したジンクスを、わたしは未だに盲目的に信じこんでいる。そしてそれは今回もちゃんと当たったわけだ。  リヨンを訪れるまでに観光とアートの勉強のためにイタリアのミラノにいたわたしは、高速列車のT

          【リヨン留学記】1話目:大きな風に包まれたなら

          【リヨン留学記】プロローグ:家探しをしていたはずが。フランスに行ってしまって

           人はなぜ旅をするのだろう。遊牧のように生活のための移動ではない。ひとところに居ても十分に生きていけるというのに、わざわざ膨大なお金と時間をかけて、ただ場所を転々とする。どこかに行きたいという純粋で、そして荒々しく抑えきれない欲求に追い立てられるようにしてカバンに洋服を詰め込んだ日が、わたしには幾度とあった。  20代の頃は日本中を旅していた。  熊本に湧水を見に行ったり、京都のお寺に泊まったり、三重にあるススキばかりの山に登ったり、倉敷、直島、奈良、岸和田、金沢、十日町、房

          【リヨン留学記】プロローグ:家探しをしていたはずが。フランスに行ってしまって