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神津島へ。

「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」まであと3週間だ。このイベントを企画している。最初は梅若能楽学院会館にて行う。そのあとには神津島でツアー・パフォーマンスだ。神津島に行くのはもしかしたらハードルが高いと感じるかもしれない。
私も神津島に初めて行くまではそうだった。何故、同じ東京なのに行くことが困難に思ってしまうのだろう。
伊豆諸島は、流刑で各島に罪人とされた人々が流されたが、今は観光地となっている場所。その程度の知識だった。ほぼ静岡なんじゃないかとも思ったりもしていた。伊豆って書いてあるからなんだけれども。

神津島に行くことに決まったのが2021年だった。アーツカウンシル東京が主催する事業で行くことになったのがきっかけだった。ちょうど日立のリサーチから作品を作った『生者のくに』の公演をしていた時期。発表形態はゲームや演劇のようにして、日立の民話と鉱山について調べ、労働とは何かを考察していった。そんな時だったから、「神津島に行きましょう!」と言われて、リゾートのイメージしかなく、その時リサーチしていた暗くて恐ろしい鉱山とは程遠く感じられた。神津島には、黒曜石という石が取れる山があるらしいことがその後わかったが、その意味合いは異なる。黒曜石は負のエネルギーを浄化する力のあるパワーストーンとして人々に親しまれている。スピリチュアルだ。たしかに、鉱山を調べていた時も、ヤマの神や、霊にまつわる話も多く出てきた。また、ちょっと違うかもしれないけれど、スピリチュアルであることは確か。現代の都市生活をしていて、霊的な何かを感じることも、神を信仰することも薄らいできている。それが感じられるのは夜に街灯が少なく、人がまばらで獣のにおいがしたりして、木々が生い茂り、人ではない生き物がそこらじゅうにいるような場所。少し不気味さがある、田舎。私は田舎出身なのでそうゆう不気味さを感じたい気持ちがもしかしたらあるのかもしれない。でも、神津島にはその不気味さは全く想像できない。海ではサーフィン、山でハイキング、温泉に浸かり、美味しいご飯があるだろう。きっとパラダイスのような、まるで竜宮城にでも来たかのような気分になるだろう。そこにアートは介入できるのだろうか。

竹芝から大型客船で12時間、高速ジェット船で3時間45分、調布から45分かかるとのこと。最初に体験したのは大型客船だった。客室は2等、特2等、1等、特1等、特等と分かれている。運賃は2等が最も安い。特等はツインのベッドルームのようだった。私のは特2等で、二段ベッドが並んでいた。ゲストハウスのように、知らない人が入ってくる。2等は和室と椅子とが選べる。和室は畳ではなく、カーペットに雑魚寝する形で眠る。椅子は平らにならず、リクライニングして眠る。特2等、2等椅子、2等和室を体験し、1番快適だったのは特2等だったが、荒波の日はどの部屋を選んでもすぐに眠りにつくことはできなかった。何度か船酔いもした。薬はなるべく飲んだ方が良かった。大体が二日酔いで乗ってる自分も悪いのだ。辿り着くまで酒盛りしているグループもいた。卒業旅行で就職する前に島で遊ぶという若い男女もいた。釣り道具を携えている中年の男性もいた。何せ10時間以上も大海原を移動しているのだ。しかも、ずっと揺れ続けている。何かをしてやり過ごし、疲れたら眠る。それの繰り返しだった。船内には自販機があり、酒類も売っているが、免許証がなくてはならなかった。レストランでは朝と夜に食事をし、ビールを飲みにも行った。二日酔いで何も食べられない時もあった。なんで船に乗る前にこんなに酒を飲んでしまったんだろうと何度も後悔した。しばらくすると、船は順番に島に辿り着く。大島に辿り着くと、大きな山が段々と近づいてくるように見える。船は島に引っ張られ、波止場に泊まる。その後、利島、新島、式根島、神津島と順々に辿り着く。どの島も個性があり、降りてみたいと思ったが、私は神津島に行かなくてはならないので、全ての島を船の上から眺めた。
神津島は終点の島だった。人が少しずつ減っていき、神津島に降りる人々のほとんどが釣り道具を持っていた。私が持っているのはカメラと三脚と数日間滞在するための洋服だった。目の前に山。船が島へと引き込まれて着岸し、扉が開くとたくさんの車が停まっている。民宿の人たちが客を出迎えるためだった。私たちが泊まるテラマチから車で迎えにきてくれたスタッフが迎え入れてくれた。港から村落まで歩いていける距離ではないのだろうか、と思ったが、バックパックを背負い、歩く人も居たのでそこまで遠くもないのだろう。でも、とにかく道は険しく、急なカーブと急な坂道だった。車はきっとみんな四駆なんだろう。
私はふと父のことを思い出していた。行く前に末期ガンが発覚し、神津島にも来たがっていた。仕事は続けていたが、島には来られなかった。

島にも診療所があり、老人ホームもあり、もちろん交番もある。けれども大きな病気の場合は東京に出る必要がある。生きていくための最低限の生活。とにかく過剰にあらゆるものが溢れている都会と異なる生活圏だった。島の人々は初めて会った私に優しくしてくれ、酒も料理もたくさん振る舞ってくれた。何故か同世代の人が多くて驚いた。そして子供がたくさんいたことにも驚いた。よくよく聞いてみると多くは移住者の方々だった。


夜になり、浜辺を歩くと真っ暗だった。当たり前だ。夜だから。波の音が雄叫びのように聞こえる。恐怖を感じた。海のほうには全く光は見えない。何故なら陸じゃないから。陸には車が走るヘッドライト、テールライト。それを見かけると安心する。私は光に慣れきってしまっていたのだ。空を見上げると満天の星空だった。光がないのでたくさんの星が見えた。宇宙、島は小宇宙か。海から離れ、村へと戻った。日常に戻った気がした。

神津島から帰る朝、島の人たちは送りに来てくれる。まるでもう会えなくなるんじゃないかというくらい、たくさん手を振る。私は、またすぐ会えるから、と思うけど、まあ、確かにもう会えなくなることもあるのかもしれないと思い直す。船に乗り、コンクリートジャングルに戻る時、何故か安心する。家に帰れると。何故なら帰れなくなることもあるからだ。船が出航しなかったら次の船が出る日まで島に滞在する必要がある。これは天気の影響だから仕方のないことだし、島じゃなくてもそういうことはある。けれど島はそれが多々ある。陸ではなく、海を移動しなければならないから。
毎朝、島内のアナウンスで船が出航するかどうかを聴く。毎朝流れている。それが日常。島内専用のチャンネルもある。テレビにはライブカメラが映し出され、島内の情報が流れている。島には島の日常がある。それを知るためには長く居なければならない。
私が神津島から帰る日の朝、ニュースで安倍晋三氏が撃たれたと知った。島に長く居たからか、遠くの土地で起きた事件のように感じた。

長い神津島の滞在を経て、神津島に行くことも居ることも何ひとつハードルが高いことなんてないとわかった。ジェット船だと飛行機で国内移動をしているような感覚ですぐに着く。眠くなったら寝ればいい。眠くなければ窓の外を眺めればいい。

神津島にはアートがない、娯楽施設のようなものもない。海があり、山がある。それで十分なように見えた。私たちの身体が島を欲している、巡り、島と向き合う、それが芸術をあらわにするんじゃないだろうか。都会から離れ、人間が自然物と一体となった時に何が生まれるのだろうか。それを確かめに何度も挑戦したい。だから何度も行ってしまう。また会えるのにこれが最後みたいに手を振る島の人々に会いに行くためにも。

「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」

出演アーティスト

青柳菜摘/だつお、上村なおか、宇佐美奈緒、遠藤薫、オル太、角村悠野、カニエ・ナハ、清原惟、小林萌、contact Gonzo、千日前青空ダンス倶楽部、環ROY、テニスコーツ、花形槙、嶺川貴子、山田亮太、U-zhaan


●梅若能楽学院会館opening performance

2024年4月28日(日)14:30~20:00


●神津島 tour & live performance

昼夜、アーティストが神津島の特設会場や島内を巡り、パフォーマンスや演奏を行います。

A program

2024年5月18日(土)・19日(日)・20日(月)

B program

2024年5月24日(金)・25日(土)・26日(日)


公式サイト
https://s-class-k.com/cate/artsite/


チケット
https://artsite.peatix.com


【主催】オルターマイン実行委員会

【共催】シマクラス神津島、FLOATING ALPS合同会社

【企画】Jang-Chi、メグ忍者、吉田山、飯島知代

【制作】岩中可南子

【Webデザイン】飯川恭子

【グラフィックデザイン】ユン・トクジュン

【助成】公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【芸術文化魅力創出助成】、公益財団法人セゾン文化財団

【協力】公益財団法人梅若会

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