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令嬢改心2-7 令嬢は引きこもっています。(1/2)

 それはヴィオレット様が薔薇庭でこっ酷く庭師殿に叱られた日から二日後の事である。
「ヴィオレット様は本日はお休みしたいとの事です。体が重く、食欲が無いそうで……」
 ダイニングルームの前で待っていた私に、リュシー殿が浮かない顔でそう言った。
 これには思わず溜息が出てしまう。ヴィオレット様と正面から向き合おうと思った途端に、だ。いや、場所が分かっているだけ逃げられるよりましなのか。
「そうですか……せめて、果実だけでもお召し上がりいただくよう手配しますので、お持ちになって下さい」
「確かに、何もお食べにならないのはよくありませんし……」
 私の言葉に頷くリュシーの表情は硬い。それもそうだろう。私ばかりではない、この半月以上ずっと主人に逃げ回られていたのはリュシー殿も同じなのである。次代の侍女筆頭としては、忸怩たるものがあるに違いない。全く、同情を禁じ得ないのであった。
 それはそれとして、パーティーの日は近い。ヴィオレット様の気持ちをこれ以上下げても仕方ない。話し合いは後だ……。私は調理場に注文に向かう間に、気持ちを切り替えるよう頭を振って深呼吸した。
 リュシー殿に果物の盛り合わせを渡した後、私は書斎に戻ってある意味平穏に仕事を片付ける。
 ヴィオレット様の書斎の鍵付きの書類棚に紙束を纏めて仕舞い終えたら、ふと気になって上着の隠しからメッセージカードを取り出す。
 気持ちを落ち着けるようカードを一枚一枚眺める。何時もならばそれで気がすむのだが、あるメッセージカードがなんとなく目に付いた。
 そのカードには『新たな社交の先導者について』 と書かれている。
 対応する手紙の場所は既に分かっていた。私は速やかに本の間から手紙を抜き取ると、しばし迷ったが、心のままに封を切り便箋を広げる事にした。
『親愛なるエルネストへ。
 この手紙を広げたのだとしたら、社交上で問題が出ている事でしょう。
 もしわたくしがまともに社交場で機能しないような場合には、その後をわたくしの友人であり貴方の従姉妹であるサビーネにお願いしようと考えています。
 サビーネはその教養と立ち居振る舞いの美しさで、上級貴族に見初められる程の方です。我が領きっての貴婦人と言える存在でしょう。
 きっと、並み居る貴婦人達にも負けずに社交界を渡って行って下さると、そう信じています。
 とはいえ、サビーネは子爵夫人。地位的に問題があるような時には、お母様に後援者として支援していただくよう願いなさい。娘のわたくしの言としてでなく、使用人としての貴方の意見として申し上げるならば、あの方も悪い顔はしないでしょう。
 エルネストの手腕は、あの方も認めている事ですから。
 わたくしは元々社交嫌いでしたが、サビーネのお陰で表に立てました。サビーネは賢明な人ですから、上手くやってくれると信じています。ええ、勿論。親身にわたくしに仕えてくれた貴方の力もあります。
 ただ、危ぶまれるのは、わたくしの好敵手であるあの方に覇権を取られる事です。
 終戦よりこちら、武門の貴族は国の政策上においても隅に追いやられています。これ以上――武門の長として我が家は地位をあやうくする事は出来ないのです』
 私は便箋に書かれた流麗な筆記を丁寧に目で追ってから、小さく息を吐く。
「……ヴィオレット様。しかし私には、貴女以外に、それが出来るとは思えないのです」
 次の日も、ヴィオレット様は寝室に引きこもっているようだった。
 侍女に寝室の扉を開けて貰い、私は扉の前から暗い部屋の中に声を掛ける。
「気分転換に、久し振りにタマリンドと共に遠乗りにでも行きませんか」
 鎧戸を下ろした暗いヴィオレット様の寝室に、私の声は妙に響く。
「……遠乗り……?」
「はい。少しばかり外の風に当たるのも宜しいかと」
 天蓋付きのベッドの中、もぞりと人が動く音がして、紗幕の降りたベッドから戸惑ったような声が数拍ほど遅れて返る。
「……どうして?」
「気が塞いでいる時には、好きなものと接するのが一番かと思いまして。ヴィオレット様は昔からお好きでしたでしょう? 飛行生物が」
「……別に、飛ぶのが好きなんじゃなくて、大きくて人懐っこい猫が好きなだけだけど。ええと、リュシーさん」
「はい、ここに居りますヴィオレット様。わたくしにさん付けはおやめください」
「むう。じゃあリュシー、着替えるの手伝って」
「はい、ヴィオレット様。ただ今参ります」
 ヴィオレット様の呼びかけに小言を言いそうになっていたリュシー殿は、次の言葉に表情を明るくして暗い寝室の中へと一歩を踏み出した。
「では、私はタマリンドと私の騎獣の準備をして参ります。後ほど厩舎にてお会い致しましょう」

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