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令嬢改心3-1 夜会ドレス? 装飾品? 贅沢は敵と彼女は言った。(2/2)

「しかし、意外ですなあ。今までですと大人げない……いや失礼。正直過ぎる第八王子殿下をヴィオレット様が大人の態度で諌めるのが良く見られましたのに、こうもヴィオレット様が殿下の稚気……もとい、正直過ぎる気質を擁護されるとは」
 ブリス殿、言いたい事は分かるが先程から本音が漏れ過ぎていますよ。ヴィオレット様の責めるような眼差しに、ブリス殿は視線を逸らすようにテーブルからカップを持ち上げるとお茶を啜った。
 そのままゆっくりとお茶を味わったブリス殿は満足そうにほうと息を吐いてから、よいしょと声を出して立ち上がる。
「では、このまま居座ってもヴィオレット様に迷惑なだけでしょうし、本日は引き上げさせて頂きましょう。本日は残念な結果でしたが、今後とも当商会をお引き立ての程、宜しくお願いします」
「あ、はい。えっと……今日はわざわざ来て頂いたのに、商品を買わないですみません」
「ほっほ。貴族が商人に頭を下げてはいけませんよ」
「あ、はい、すみません……? でも、折角来て貰ったのに悪いことしましたし」
「ほっほっほ。全く、狡っからい商人の爺い相手にそう何度も頭を下げてはいけませんよ。どうしたことでしょうなあ、今日のヴィオレット様は殿下に感化でもされたように素直でいらっしゃる。思わず儲け話の一つも持ちかけてみようかと思うほどです」
 ヴィオレット様の様子に一頻り笑ったブリス殿は、至極のんびりとした歩みで部屋を出て行った。
「ヴィオレット様、ブリス殿をお送りして参ります」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
 私はヴィオレット様に断りを入れると、その後を追う。

「……しかし、ヴィオレット様は子供に返ったかのようですな。まあ庶民派の殿下の影響でしょうが」
 笑うブリス殿に、私は慇懃な笑みを返しつつ「そうですね」 と流したのだが。
「いやあ、困りましたなぁ。ここの所ご贔屓筋の公爵家よりなかなか仕事が回って来ない。その上で注文の品すら拒まれるとなると、これは今後のお付き合いを変えざる得ませんな」
 腹黒商人は恰幅の良い腹を揺すりつつ、そんな事を言い出した。
 成る程、やはり素直には帰らないか……。
「ブリス殿、帰りの飛龍便の準備がまだのようですので、こちらでお茶でも飲んでいかれませんか?」
 と誘いを掛け、私は仕方なく茶番に付き合う事にした。
「さて、ドレスの件は素直に諦め、以前からご要望のありました他の方へと譲る事としまして、次の遠征の話でも……」
 空いていた別の応接室でソファにおちついたブリス殿は、突然そんな事を言い出した。メイドにお茶を持ってくるよう指示していた私は眉を寄せ、頭の中でもう一度ブリス殿の話を繰り返す。
 今、聞き捨てならない事を彼は言わなかったか?
「ちょっと待って下さい。他の方に譲る? 赤薔薇のドレスをですか」
「ええ。あれにはこちらも大金を掛けておりますしな。一流の針子と一流の素材を使いしっかりと注文通りに仕上げた逸品です。そんな大層なものを何時迄も倉庫で腐らせている訳にはいきませんし、ならば他の欲しい方へ高値で譲るのが、商売人というものでしょう」
 元貴族でもあるブリス殿ならば、大貴族を裏切るという事の重要性をよくよく理解していると思っていたが……案外命知らずだったのだな。ああいや、彼は元から危険な地上へ赴いてでも事業を拡大するような冒険家であったか。
 ここで私は全てが繋がったと思った。あの夜会の日、どこから件の男爵令嬢に赤薔薇のドレスが流されたかと思えば、まさかの協力相手からだったとは。あのドレスはヴィオレット様が第八王子殿下と揉める元ともなった因縁のものである。ここはしっかりと追及しなければならないだろう。
「ほう……つまりブリス殿は、赤薔薇を裏切り他様に売りつけて己の商売の種にしようと初めから考えてこの事業に参画なされておられた、という事ですね。先日の件もようやくこれで繋がりました。いわゆる内部犯という奴とは、いやはや私の目も曇っていたものです。では、話はこれまでと致しましょう」
 私が応接室の扉を開けて退室を促すと、ブリス殿の顔色がさっと変わる。
「一体どちらの貴族に寝返ったものか分かりませんが、二度と先様を裏切る事はございませんよう。貴族は大変に物覚えが良いものですから、当家はブリス商会とのお取引は百年先もございません……今後は御身大事になさる事です。では」
 私が笑みを浮かべてそう言い切れば、ブリス殿は引きつった笑いで答えた。
「じょ、冗談ですよ! まさか大貴族の後援を受けた者を裏切る訳がございません! これは冗談です!」
「何をおっしゃいますやら。まさか商売上手のブリス殿が貴族に対して命懸けの冗談など仰る筈がありませんので。さあ、お帰りはこちらです」
 なかなか椅子から立ち上がらないブリス殿に手を差し伸べ退出を促そうとすると、それまで静かに動静を見ていた商会の新人が、ブリス殿を庇うようさっと面前に立った。
「邪魔です。おどきなさい」
「…………」
 新人は私の言葉にも頑として動かない。……うん? この男、凡庸に見えて妙に隙がないな。何か武術の心得があるとでもいうか。
 私が一歩避ければ、相手がさっと前へ出て手出しさせない。この隙のなさ、そして周りに紛れて気づかれないような凡庸さは密偵向きだ。もしやこの男は、と……点が線になって一つの画を結ぼうという時の事である。
「いやいや、只の嫌味で何でこんな事に? 嫌味の一つぐらい言わせて貰ってもいいじゃないですか! 最近は公爵家からの大口依頼も滞ってますし、資金繰りが大変なんですよ! 早く手放したいってだけの愚痴ですから! 赤薔薇のドレスを勝手に他所に売ったりしていませんっ」
 と、ブリス殿は大慌てで早口に言い立てた。
 その慌てようと必死な様子は嘘を言っているようにも見えず、私は扉を締めて、もう一度ブリス殿に問う。
「それは、祖神に誓って言えますか?」
 祖神に誓うとは、いわば己が矜持を掛けた誓いのようなものだ。但し、口の上手い商人相手にこの言葉がどれだけの効力を持つかは謎だが。
「いやいや、言えますよ! 今なら何でも誓いますよ! 何でしたら我が全財産を賭けてでも!」
 息急き切ってそう告げるブリス殿に嘘はなさそうだ。
「……商人が財産を賭けると言うなら本当ですね。分かりました、では脅したお詫びにそのドレスは私の権限で買い上げましょう」
「ほ、本当ですか!」
 必死の形相のブリス殿に私は頷く。
「ええ。その程度の事ならばヴィオレット様に許されておりますので」
 ヴィオレット様の秘密の事業の手伝いで、懐は潤っている私だ。以前のヴィオレット様は性格は兎も角として、吝嗇家と真逆の人物であったので。そういう意味では、やはり今のヴィオレット様は変わってしまったのだなと今更に思う。
 話を戻すが、そんな訳でドレスの一枚や二枚程度、簡単に買えてしまうだけの蓄財はある。まあ、今回はヴィオレット様の秘策で何とかなったとしても、次の機会に取っておけばいいだけの話だしな。チェストの肥やしにはなるまい。
「はあ、良かった。いや本当に商会が終わるかと」
「ブリス殿程の大商人が、ご冗談を」
「いえいえ。我が商会の売れ筋と言えばやはり地上の産物ですからな。公爵家の出入りが制限されると言う事は、つまりは我が商会が公爵軍の地上遠征へ同道出来ぬという事です。そうなったら目立つ商品の入手は閉ざされる。まあ、我が商会はいわば公爵家と不離一体《ふりいったい》ですからなあ。沈む時は一緒という訳ですな」
 そう言って笑うブリス殿の目は真剣だ。しかしまさか、別れる事が出来ないとまで言うとは思わなかった。
「まあ、そんな訳でして、私の事は今後疑う必要はありませんよ。それから、これはただの独り言ですが、公爵家のヴィオレット様が倒れた事は王都でも注目の事件のようでしてなぁ、宮廷の方々は日々噂しているとか。それに近々王家では慶事が重なるとか? こんな時は特に人の出入りが激しく鼠が紛れ込み易い事でしょうからなあ、くれぐれもご注意なさると宜しいかと」
 重なる慶事とは何だろうかと思ったが、それはそれとして、色々と情報をおまけしてくれたものだ。その心意気に敬意を評して、私も軍部への繋ぎに励む事にしよう。
「それではお互い問題も片付いたところで、話を次の遠征の事に戻しましょうか」
「おお、そうでしたな。今回は特に果樹を増やしたいという話が。後、畜産の方でも仔牛や猪などが望まれていますね」
「でしたら、専門家も一人二人連れて行った方が良さそうですね」
「そうですなあ……」
 そうして詳細を詰めていけば、互いの間のわだかまりも溶けていってしまうのだった。

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