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令嬢改心2-5 貴族に向いていないと令嬢は言った。(2/2)

「冗談にしても、言っていい事と悪い事がある‼︎ 隅っこだからいいだぁ? お嬢ちゃん、あんた人の仕事をどれだけ馬鹿にすりゃ気が済むんだ!」
 豪雷のような庭師殿の声が響き渡った。
「冗談なんかじゃない! わたしは本気で言っているの。せめて城の使用人のみんながお腹いっぱいにご飯を食べられるようにしたいって。それの何処が間違ってるの?」
 両の手を握り締め、顔を真っ赤にして、ヴィオレット様は庭師殿に抗弁する。そうだそうだと同意するメイド達は、ヴィオレット様の正義の方向性が間違っている事に、何も感じないのだろうか?
 その頑なな態度に、いよいよ呆れたように庭師殿は片手で額を覆い、次いで大きく溜息を吐く。
「あのなあ、場所を考えろ! ここは王家に次ぐ由緒ある貴族家の庭だ。第一に俺が心を込めて丹精している薔薇達だ。俺はここをお嬢さん達の遊び場にする予定なんてこれっぽちもないぞ!」
「遊び場って何よ! わたしは真剣に考えてるの!」
「真剣なら、庭の片隅に芋植えて喜ぶ筈なんてないだろ。冷静に考えろ。庭の隅っこで小さな畑を作って? で? お嬢さんはお友達だけ腹が膨れればそれで満足かよ。腹を空かしているのがお友達だけだとでも? 大口叩いた割には随分とちっぽけな正義感だな、なあ?」
「……うっ」
 ヴィオレット様は答えに困ったのか、悔しそうに庭師殿を睨んだ後、拗ねたように横を向いてしまった。
 さて、そろそろ口を出してもいい頃合いか。
 私はわざとのように靴音を立てて庭木の間から姿を現すと、そのまま進んで庭師殿とヴィオレット様の間に挟まるようにして立つ。
「庭師殿、そこまでにしてあげて下さい」
「おや、執事殿も人が悪いな。お嬢さんが追い詰められていっても黙って見てるとは」
 常のような余裕の表情を取り戻した庭師殿は、私の方を見るとニヤリと笑う。
「まあ、庭師殿の言い分の方が正しいと思いましたので」
 私は慇懃な笑みを浮かべたまま頷いた。
「……なんだ、見てたの。それで、わたしの理想は小さな正義だって、エルネストもそう思う?」
 ヴィオレット様は不満げな顔をして私に聞く。
「はい、そう思います」
「どうして?」
 不思議そうにヴィオレット様は首を傾げた。
「ヴィオ……いえ、リセのやり方では友人しか救えないからです」
「でも、友達は救えるんでしょう。何もしないよりいいんじゃないのかな?」
 ああ、何ということだ……。
 手が届く範囲の物しか見えていないと言わんばかりの返答に、ヴィオレット様は本当に御心が子供に戻られたのだと思い知る。
 心に浮かんだ落胆を押し隠し、私は笑みを維持したままいつものように答えた。
「それでは領民への救済には足りません。目先のことに囚われていては、隣にある不幸すらも意識から漏れてしまう」
「隣にある、不幸?」
 紅茶色の目を瞬かせ、ヴィオレット様は私の言葉を繰り返した。
 ――自身は忘れてしまっておられるようだが、ヴィオレット様の功績は思ったよりも大きいのだ。
 戦争終了により急激に減ったこの領を救う為に成した、数々の救済策。引退した飛行生物や騎士達が勤める飛龍便にせよ、剣柄の装飾技術の転用として始めた宝飾品の製造にせよ。隣国との戦争が終結し、武門の力が文官である宮廷貴族達に削られつつある今、ヴィオレット様の柔軟な政策なくしては領の明るい未来は無いだろう。
「……ここからは自分で考えて下さい。賢い貴女であれば、きっと分かる筈です。さあ、リセ。貴方には大事な仕事があります。行きますよ」
「うう……嫌だけど、どうせ逃げられないしね。戻るよ」
 私が手を差し出すと、ヴィオレット様は渋々とその小さな手を載せた。
 部屋へと戻る道すがら、私はヴィオレット様に一点だけ反省を促していた。
「ヴィオレット様、先程の件は本当に反省して頂かねば。この薔薇園を侵すという事は、先祖の墓を暴くようなものです」
 この薔薇庭は代々、騎士団が飛行生物を捕獲する為に地上へ降りる時、地に生えた野薔薇を持ち帰っては植え、蛮族と呼ばれた先祖の苦しい時代を偲ぶ場所。
 品種改良しどの季節も美しく咲いているのは、祖先の苦労を偲ぶ為であり、賓客をもてなす為のものだった。
「え、あれ、そうだったっけ? 確かにそんな由来がある場所を畑にする訳にもいかないね。うーん、それなら芋畑はどこに作ろうかな……騎士団の所……じゃあ余計に怒られそうだし」
 悪びれずに次の候補地を考え始めるヴィオレット様に、私は何とも言えない気分になる。
 ……まさか、庭の由来すら覚えておられないとは。
 何とも言えない気分を抱えつつ、そう言えばこれだけは聞かねばと、逃げ回る理由を率直にヴィオレット様に聞いた。
 するとあっさりヴィオレット様は答えた。
「わたしね、貴族に向いていないんだよ」
 小さな歩幅で薔薇の庭を歩くヴィオレット様は、遠い目をしてぽつぽつとその御心の内を語られる。
「こないだみたいなさ、男爵令嬢の失敗を笑うようないじめなんてしたくない。それが例え貴族として正しい行為であっても、誰かを責めるような事をすると心が沈むんだもん。それに、毎日息が詰まるんだ。メイドや侍女を人を顎で使うなんて出来ない。家具か何かって言われても、相手は人だよ? 気軽に感謝も言えないなんて、なんか、毎日申し訳ない気分になっちゃう……」
 私は本当に、貴族に向いていないのだと。
 そうですか、と私は言った。幼い頃のヴィオレット様はそこまで使用人との壁を感じてはいなかったようだが、貴族らしい嫌味などは確かに苦手とされていたと記憶する。
 ヴィオレット様はほっとしたような顔をして、私に微笑む。
「もういいよね? わたしはもう貴族令嬢なんて無理だから、やめていいよね? あー、これで明日から慣れないことしないで済むよ」
 ほっとした顔をされても、残念ながらヴィオレット様の望む言葉を一つも掛けられない。
 私は首を振った。
「いいえ、勘違いしては困ります。貴女はこれまで貴族として育ち、その血を受け継いでここに在る。貴族として生まれたからには、向き不向きに限らず責務を全うしなければなりません。あなたはこれまでもこれからも、民によって生かされてきた事を忘れてはならない。明日からも、貴女は苦手な貴族令嬢として生きるのです」
 そう、ヴィオレット様に厳しく言う事しか、私は出来ないのだ。

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