見出し画像

令嬢改心3-2 静かな町の、職人の苦境。そして王子がお忍びで。

 色々悩みは尽きない日々であるが、午後からは久々の半休だ。私は気分を切り替え、下町に降りて友人との待ち合わせ場所に向かう。
 朝市の後の、寂しさを感じるような祭りの後にも似た静けさに包まれた大通りを過ぎ、薄暗い横道を入った所にあるのが、目的の大衆酒場だ。
 土壁に突き出したジョッキを描いた看板を目印にドアを潜ると、すぐに声が掛かる。
「おう、先に一杯やってるぞ」
 明かり取りの窓からわずかに差し込む光を頼りに声の主を探せば、そいつは店の端っこの四人テーブルで木製のジョッキ片手に手を振っていた。
 あちこちに油染みがある生成りのチュニックを着た、いかにも仕事上がりといった風情の三つ年下の友人は、下町の商業地区で剣の装飾を主とした細工職人の弟子として職人見習いをやっている。筋はなかなか良いらしく、最近は装飾の仕上げ工程などに関わっているとか。
「最近は、ロクな仕事もないし師匠も店畳むかなんて気弱な事言っててさ。マジ辛いわ」
 酢漬けのカブを噛み締め温いエールで流し込みながら、そばかすの浮いた鼻にしわを浮かべて彼は言う。
 こんな所にまで影響が、と、私は思わず眉間を歪めた。
「そんな辛気臭い顔すんな。辛いのは俺らだけでなく公爵様達だって同じだろ? ここんとこ、公爵様はずーっと王都に詰めっ放しって聞くし。確か、お前んとこの爺様も、公爵様に付いて王都行ってんだったか」
「ああ。若い者には任せられんと、な」
「ハハッ、あいっ変わらず爺様若いなー。しかし、うちの領は代々争いを飯のタネにしてきたとこがあるとはいえ、先の終戦がまさかここまで仕事に響くとはなあ」
「そうだな。国内の武具の製造を一手に引き受けていた町が、ここまで冷え込むとは……」
 たった数年前まで、領の玄関とも言えるこの街には煙突から煙りが上がり、槌の音が引っ切り無しに響いていた。商人や剣豪が良質の武器を買いに来れば店からは明るい客引きの声が上がり、大きな取引が成功した際には、工房の者らが総出で祝い酒を酌み交わす。
 そんな景気のいい話が当たり前にあったこの町も、工房から上がる煙はめっきりと少なくなり、今や見る影もない。
「とはいえ、店を移転するにもなぁ。公爵様の膝下とはいえ、田舎者にゃさっぱりさ。そろそろ独り立ちって時に兄弟子も気の毒だよなぁ」
「何がだ?」
「親方も矜持が高いもんだからさ、兄貴もすっかりそれを受け継いじまってる。隣国との戦争が終わり、戦争特需でガンガン剣を作ってた時代は過ぎたって言うのにさ、まだまだ剣の装飾一本でやっていくつもりでいるからさ……」
 と言いつつ、腸詰肉を噛み切る。
「それは確かに、難しいな……」
「そーなんだよ。隣国とも平和協定つうの? そんなん結んでからさ、戦場で名誉を得て騎士になる道とかかなり限られてんだろ? そーすっと、いわゆる儀式剣とかの、うちの装飾工房の得意な依頼が少なくなんの」
「ほう?」
 こういった事はやはり職人に聞くのが早い。しかし、近年は騎士の取り立ても少なくなっているのか……。
 この領は切り立った岩山を中心としていて、中腹に厳しい戦争を想定した山城を構え、その麓に城下町を構えている。
 公爵領は、山の豊富な鉄鉱石を含んだ鉱山からの恵みを利用し、金物や武器防具を生産する事で栄えてきた。
 精強な戦士を抱え、強力な武器を持つ北の守り神。
 長年そう言われ、王家の縁戚としての地位を確立していた公爵領だが、ある時、問題が発生する。
 二代前の公爵、つまりヴィオレット様の曾祖父でいらっしゃる方が隣国との戦争を警戒し、その人生を武器防具の開発に費やしたというが、無理な採掘をしたのだろう。坑道が次々と崩落するという事故が発生したのだ。
 それからは、大きな事故のあった公爵領の鉱山に国からの監視が常設される事となった、近年は気軽に旧道の復旧も出来なくなっている。
 公爵家が使える坑道の先はといえばほぼ鉱石を掘り尽くしており、かといって崩落した旧道の復旧は許されず。
 そんな事だから、武器防具の一大生産地として王国に名を馳せている我が領であるが、その素材自体を自領で賄えずにいる。
 それは、富を抱えながらも宝を腐らせているようなものであり、屈辱的な話であった。

「数打ちの剣はさ、今でも騎士団に卸してるけど、そんなんに装飾なんて滅多に頼まれねーし。師匠の仕事は確実に減ってる。いや、名工と言われた師匠だから今だって高額の仕事は飛び込むさ? でも、暇な日は多いわけさ。そんな感じだとさ、やっぱ下の者としてはひしひしと感じる訳よ? あー先がねえなって」
 いかにも下町らしい、度ばかり強い安酒を飲みつつ友人はクダを巻く。
「ならお前は? これからどうするつもりなんだ」
「オレか? まあ、最初から剣の装飾だけに拘るつもりもないし、出入りの商人からちょくちょく貰ってた、貴族向けの装飾品の部分仕上げとかの仕事で意匠《デザイン》の勉強もさせて貰ったしさ、細々と細工師としてやってけそうかなぁとは思ってるよ」
「お前はしぶといな、まあ昔から器用だったしな……」
「カフスボタンとかブローチなんかも作ってるからさ、ご贔屓にってなもんだ!」
「そうか、なら、今度頼むかな」
「おっ、いいねえ! ……っと、好物の鳥の丸焼きが来たから、話は後だ。さ、熱いうちに食おうぜ」
「そうだな。美味いものは熱いうちに食わないとな」
 そこからは、何時ものような雑談に移っていった。と言っても話す事は労働なら定番のそれで、大抵はお互いの仕事の愚痴だの最近出来た商店街の評判の店の話だのと、他愛のない話ばかりだ。
 そうしてしばらく話し込んでいると、何やら酒場が賑やかになっている。
 何事かと振り返れば……兵士達の間で流行っている、賭け事で盛り上がっていたようだ。
「エルネスト、なんか気になるのか? ああ、ナイフ投げかぁ。なんか最近流行ってるよな」
「そうみたいだな……」
 それは横倒しにしたエールの空き樽を的に見立てて、印を付けた真ん中に一番近い所に投げた者が賭け金を総取りするという比較的簡単な賭け事だ。
 兵士達の間では腕前披露と飲み代稼ぎによく使われているという。
「まあ、こういう単純なもの程酒が入るとやたら盛り上がるよな……⁉︎」
 と言いかけて、私はギョッとした。賭けの中心に、やたらキラキラしい髪の青年を見つけてしまったからだ。
「……済まない、少々用事を思い出した。ここで抜けるな」
 テーブルに少し多めに代金を置き、私は椅子から立ちあがる。
 マントのフードから覗く金髪は間違いなく、第八王子殿下のものだろう。そうっと人垣の中に身を潜ませると、フードに隠れた横顔を確かめた。
 思わず溜息が出る……。
「……こんなところで何やっているのでしょうね、騎士様。お時間ですので城に戻りますよ」
「ゲッ、エルネスト!」
 私は有無を言わさず殿下のマントを掴んだ。
「なっ、何だよ。少しぐらい羽目外しても……ちょ、引っ張るな!」
「皆様、お騒がせ致しました」
「わーっ! 歩くから引きずるなっ! あ、マスター! 僕の勝ち分はそのまま皆の奢りに回してよ」
「だとよ。皆エール一杯こちらの騎士様の奢りだ。心して飲めよ」
 ワッと盛り上がる酒場を抜け、私は殿下のマントの裾を離さないまま裏路地に出た。

「折角いいとこだったのに……エルネストは不粋だなぁ」
 ブツブツと不満を言い募る殿下は、人気のない裏道から大通りに戻ると、静かな通りを見回して呟いた。
「しかし、随分と寂れたもんだなぁ。昔はもっと職人やら領の武人やらで賑わっていた気がするんだが」
「何を他人事のように仰っているのですか。殿下もこの領の関係者でしょうに」
「あ、そうだった」
 私の指摘に、今思い出したというように目を丸くする殿下。全く、婚約式も間近だというのに殿下のこの当事者性のなさは困りものだ。
「それにしても……あんな誰が潜んでいるか分からない所に伴も付けずに行くなど狂気の沙汰です」
「仮に襲われたって、僕を殺せる奴はそうそういないって。例えばだが、お前の兄の百人隊長並みの手練れがそうそう居るか? 居ないだろ。まあ、あんな如何にもな大男が歩いてたら僕でなくとも普通に警戒するか」
 そう言ってカラカラと笑う殿下の能天気ぶりには呆れる。私はあからさまに溜息を吐くと、嫌そうな顔で隣を歩く殿下を見つめた。
「だとしても、万が一というものがございます! 御身大事にお願いしますよ」
 耳元に「宮廷貴族側からの刺客が送り込まれている可能性もあるのですよ」 と囁くと、流石の能天気な殿下も真面目な顔になる。
「……で、実際のところ、お前はあると思うか?」
 殿下は囁き返す。
「そうですね……半々だと思います」
 殿下に刺客が送られるかどうか。
 現状からすると、宮廷の雰囲気は完全に軍縮方向に向かっている。おまけに、数年後を目指し戦争相手の隣国の王女と、殿下の兄君である第七王子殿下が婿入りするという話も出てきた。
 第七王子殿下は現在二十八。王族に珍しい研究家肌のせいで結婚が遅れていたのをいいことに、宮廷貴族達が隣国の未婚の姫と約束を取り付けたという話だ。
 ふいに浮上した、二十年周期で戦争を続けてきた隣国との初の結婚話。
 次代の武門を率いるヴィオレット様の政治家としての優秀さと、民衆からの人気も高い殿下という、宮廷貴族達には目の上の瘤のような此度の婚約に当たってのあてつけもあるだろうが、ずっと小競り合いを続けてきた隣国と本物の和議が結べる可能性が高い政略だ。
 当然ながら、宮廷内では歓迎の向きも高く……こうなってくると、疑いを掛けられてでも殿下を殺害する意味が俄然に出てくる。この政敵を倒す絶好の機会を、果たして宮廷貴族達が見過ごすだろうか。
「そうか……そうだよな。七の兄上が頷きさえすれば、あの話は前に進む。それが国の為にいい事は分かってるし、まあ、あの話を進めてる奴らにしたら邪魔なんだろうなぁ僕って。今後下町に降りる時はお前を誘うよ。お前、腕いいしな」
 少し残念な様子で、それでいて平静に、殿下はそう呟いた。

サポートして頂いた場合、資料代や創作の継続の為に使わせて頂きます。