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令嬢改心2-7 令嬢は引きこもっています。(2/2)

 それから一刻後の事。私達は空の上に在った。
 散歩の行き先は、公爵領の隣に浮かぶ小さな浮遊島。飛行生物でしか行けない為、新人騎士らの飛行訓練中の穴場となっているそこには、なかなか綺麗な草花が咲いているのだ。
 花が好きで根が乙女なところのあるヴィオレット様の気晴らしには最良と思われた。
 ふわふわの大きな猫に翼が生えたようなヴィオレット様の騎獣は、私の騎獣の後ろを追いかけている――その横に、何故か第八王子殿下が並んでいるのはこの際気にしない事にした。
 ……厩舎に行き、飛行生物に鞍を付けていたら、どんな野生の勘なのか殿下が姿を現し、一緒に散歩するなどと言ってきたのだ。
 この方は時折あり得ない程に勘が良くなるが、この度も何か感じたのだろうか……恋愛感情を持った相手が落ち込んでいるのを異常な勘で嗅ぎつけた、とか。
 いや待て、それは流石に無いだろう……無いと思いたい。
 空恐ろしい殿下の事は放っておいて、厚手のドレス型騎乗服に着替えたヴィオレット様は、浮かない顔つきながらも、女性向けの横鞍で器用にタマリンドに乗りながらゆっくりと付いてきている。
「ヴィオレット、折角の散歩だというのにつまらなそうだな? お喋りなお前が大人しいと何だかムズムズする」
「……つまらない訳じゃ、ないんですけれど」
 先導する私の後ろでは、どうにも気分の乗らない様子のヴィオレット様に、殿下が頻りに話し掛けている。
「そうか? それなら、俯くのはやめて笑顔ぐらい浮かべると良い。人間、意外と表情一つで心が上向きになったりするのだぞ」
「はあ……」
「ほら、笑顔だ、笑顔」
「……はあ。殿下はいつも元気ですね」
「それが僕の取り柄だからな!」
 明るい殿下と反するように、ヴィオレット様の溜息が尽きない。
「そうですか、はあ。悩みがなさそうで殿下が羨ましいです……」
 ヴィオレット様の悩みとは、おそらく一昨日の薔薇庭での一件の事か、夜会のドレスについてだろうが、それにしても意外な程に落ち込んでいらっしゃるものだ。確かに、庭師殿が怒った時はヒヤリとしたものだが。
「むっ。僕にも悩みの一つや二つはあるぞ! ただ……あの女のことを思い出したくないだけだ」
 殿下は殿下で、悩みあり、と。
 しかし、殿下の強引な話しに乗せられて、ヴィオレット様が普通に話すようになったな。こういう時は空気を読まない殿下も役立つのだ、と私はまた一つ学んだ。
 お二人が話す間も、翼の生えた大型猫達は空を蹴るようにしてぐんぐんと目的地へ進む。雲海を下り、階段状となった小さな浮島を眺めながらの飛行は、何時の時も心弾むものである。
「折角の飛行日和だ。今や公爵家唯一の後継となったお前には公爵領軍の飛行訓練という名目でもなかなか難しい事だからな。滅多に出来ない事を楽しめ」
 まるで私の内心を拾ったように殿下が言った。
「そうですね、タマとの散歩って部分は確かに楽しいんですけど……色々、考えることがあって。そういうリュカ殿下は楽しそうですね」
「ああ、楽しいぞ! 何せ空はいい。この果てない空を、相棒と飛んでいると何もかもがどうでも良くなる」
「それは良いことですねー……はあ」
 殿下は上機嫌だが、ヴィオレット様の返答がおざなりだ。気が乗らないのが見え見えで、殿下の話しに答えつつもタマリンドのふかふかの毛を撫で手持ち無沙汰なご様子。
 ……うん、これは何を言っても無駄だな。不毛な会話に私は口を挟む。
「お二人とも、そろそろ、目的地が見えて参りましたよ」
 その言葉にお二人は口を閉ざし、私が指差した先をじっと見つめたのだった。
 本日の目的地は、城下町の大き目の区画がすっぽりと収まるぐらいの大きさの島だ。そこには木々に囲まれた花畑がある。上から見ると、花畑はほんの少ししか見えておらず、緑に隠されているようにも見える。
「ヴィオレット、手を出せ」
「あ、はい」
 ヴィオレット様が降りる時、殿下がさりげなく手を貸した。こういうところは紳士なのだが。
「しかし、エルネストはこういう騎士の隠れ場所を見つけるのが本当に得意だな。さて、折角だしのんびり昼寝でもするか」
 ……と、ヴィオレット様を放って気ままに花畑へ行って昼寝など始めるのだから、困ったものだ。
 ああ、ヴィオレット様が外された手を宙に留めて困惑なさっている。それはそうだろう、淑女教育では男性が手を取ったらそのまま舞踏へ踏み出すか、洒落た会話を始めるものだと教えられるのだから。まさか、己が導いておきながら次の瞬間淑女を放り出す男性が居るとは思うまい。
 これはいけない、殿下の能天気ぶりが悪い意味で発揮されている。ここは一旦引き離すのが得策か……確かここには季節の果物が自生していたな。ヴィオレット様に土産でも取ってきて貰おう。
「殿下、ここの森には野苺やベリーなどの果実が生っていると聞きます。如何ですか、ベリー取りなど」
「おおっ、それはいいな。甘酸っぱい実は僕の好物だ! よし、多めに取ってきて後で砂糖漬け(コンフィ)にでもして貰うか!」
 私の声掛けに、殿下はさっと起き上がると奥の森の方へと向かっていった。
 ……さて。ヴィオレット様はどうされているだろうかと見ると、最初の位置から一歩も動いておらず、宙に浮いていた手をタマリンドのふかふかの毛に埋めてぼんやりと立っておられた。
「ヴィオレット様……」
 その虚ろな表情が一体どんな感情を内包しているのか、今の私には推し量る事も出来ない。
「……どうして、貴方はわたしの機嫌なんて取ろうとしてるの? わたしなんか、別にどうでもいい癖に」
 ヴィオレット様はぽつりと呟く。
「何だか勘違いしているようですが、私はヴィオレット様を尊敬していますよ」
「嘘」
 ヴィオレット様はようやく私を見た。睨みつける紅茶色の瞳は濡れている。
「嘘ではありません」
 私の言葉にふいと視線を外したヴィオレット様は、力尽きたようにタマリンドの横に座り込む。のんびりと寝ていたタマリンドは、何だというように片目だけ開けてヴィオレット様を見ると、ヴィオレット様をふかふかの長い尻尾で巻き込むようにして丸くなった。
 己を我が子のように包むタマリンドを優しい目で見つめたヴィオレット様は、しばしの沈黙の後こう呟いた。
「だって……起きてからのわたし、みんなが呆れるような事しかしていないよ。侍女さん達はわたしがまるで淑女らしくないって言ってるし、みんなの役に立とうと考えた芋畑だって、考えが浅いって怒られた。わたし本当になんにも、出来てない」
 意外だ。そんな事を気にしていたのか。 
「エルネストだって苦労してるんでしょ。わたしの分と執事の仕事、ふたり分の仕事してるって聞いてる」
「それは、ヴィオレット様の裁可を待って留め置いているものもありますが……」
「だよね。でもわたしにはきっとその仕事だって分からないんだ」
 珍しい、酷く投げやりな言葉がヴィオレット様の口から吐いて出る。
 苦手な礼儀作法では苦心しているようだったが、メイドのリセとして働く様は楽しそうで、開放されたように笑顔が多い日々であったから、てっきりメイドごっこをしている間は楽しんでいるのかと思っていた。それにしても、ヴィオレット様は確かに子供返りされたが、しかし年齢相応の自省もなさるようだ。
「私はようやく思い至りました。下の者を叱る事が出来ないと泣く貴女も、誰かの為に私を捨てて貴族として厳しく在る貴女も根は同じなのだろうと。貴女は人の為に動けるのです。それは、得難い資質と思います」
 ……我が主人は不器用だ。
 子供返りしたものの、人の役に立ちたいとより良き明日を探し使用人らと共に汗を流す娘。娘が正気のまま沈みゆく故郷を見ずに済むなら良いと、子供返りを肯定する母親。
 お互いがお互いを見ていないようで、母娘は似ている気がする。
 だからこの人を、童女のようなこの人の事も捨てられない。捨てては、いけない。ようやく私の気持ちは固まった。
 支えていこう、この人を。例え稚く拙い事でしか今は表せないのだとしても、この人の信念はけっして揺るがないのだ。
「そうかな……わたし、人の為に動けているかな?」
 ヴィオレット様の縋るような瞳に、私は頷いた。
「ええ。後はもう少しだけ広く視点を持つだけです。今は周りしか見えなくとも、貴女に流れる祖神の偉大なる血は血族を導く力をお貸し下さるでしょう」
「偉大なる祖神……か。そうだね、わたし達の先祖はこんな高くにまで地上から飛んできて、家族の為に戦った人達なんだもんね。うん」
 ヴィオレット様はしっかりと瞳を合わせて笑って見せた。
「わたしに出来ること、一つでもやっていくよ。それはきっと空の上に戦いに来るよりはずいぶん楽だろうから」
「はい」
 私達が微笑みあっていると、遠くから呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、エルネスト、ヴィオレット! 向こうで沢山採れたぞ! お前達も運ぶのを手伝え‼︎」
 両手一杯どころか、立派な刺繍のダブレットのたっぷりとした布を使ってヨタヨタとした足取りで沢山のベリーを運んでくる殿下はまるで酒場の酔客のようだ。その姿を見て、私達は揃って笑い声を上げた。
「ふふっ、子供っぽいって、あの人の事を言うのね」
「そうですね」
「今なら、なんだかあの人の事も許せそう。婚約者の事も忘れてメイドのわたしに本気で恋なんかしちゃう困った人だけど、でも裏表がないって凄い事なんだよね……。殿下、わたし手伝います!」
「おお、ヴィオレット、助かる!」
 ヴィオレット様が手を振って殿下に近づく。ドレスを摘んで、半分ほどベリーを受け取った後、顔を寄せて二人が話し出す。最初は素直過ぎるヴィオレット様に警戒していた様子の殿下は、次第に笑みを浮かべ出した。
 並んで歩きながらつまみ食いする二人の間には、自然な笑みが広がる。
 それを見て、私は少しだけ明るい未来の兆しを感じたのだった。

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