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#映画感想文186『渇きと偽り』(2020)

映画『渇きと偽り(原題:The Dry)』を映画館で観てきた。

監督はロバート・コノリー、主演はエリック・バナ。2020年製作、117分のオーストラリア映画である。

原題の『The Dry』はオーストラリアの干ばつを指す。

メルボルンの連邦警察官であるアーロン・フォーク(エリック・バナ)は、高校時代の親友のルークの葬儀に参列するため、20年ぶりに帰郷する。

ルークは、自宅で妻と長男を銃殺し、その後、家から少し離れた干上がった湖で自殺をしていた。ただ、娘(乳児)のシャーロットは殺されず、生きている。この事件は、無理心中ではないのかもしれない、という疑念を地元の警官は抱く。その警官は、殺人事件を担当したことも、死体を見たこともなかった。経験不足であることを痛感していたため、アーロンに助言を求めるようになっていく。

この作品は、過去と現在の時間が交互に絡み合って、展開していく。

過去の事件とは、エリーという女の子が川で溺死した事件である。高校時代、アーロンとルーク、エリーとグレッチェンは、男女四人のグループでつるんで遊んでいた。ただ、その当時から、ルークはちょっと乱暴者で、皮肉屋で、悪ふざけをする人物であった。だから、癇癪を起して、家族を殺したのかもしれない、と観客に思わせる。

エリーは、そんなルークに反発したり、ルークに合わせないことがしばしばあった。ただ、ルークはエリーが好きでちょっかいを出しているようにも見える。一方のアーロンは口数は少なく、状況を注視するような思慮深さがあり、気難しいエリーとも気が合っていた。

ある日の放課後、アーロンは、エリーに普段遊んでいる川で会わないかとノートにメモして手渡す。その二人のやりとりをルークは見ていた。その後、アーロンは川でエリーを待つものの、エリーはやってこない。アーロンはあきらめて家に帰る。すると、父親が顔面蒼白状態で、帰って来る。川から女の子の死体が見つかった、と。

アーロンが川に駆けつけると、発見されたその遺体はエリーだった。自分が呼び出したことで、エリーは死んだのか、と彼はパニックに陥る。そして町中の人々から、エリー殺しの嫌疑をかけられ、アーロンは田舎町にはいられなくなり、メルボルンに移る。

そのとき、アーロンとルークは嘘をついたのだ。親友のアーロンを心配したルークは、「一緒にウサギ狩りをしていたと言うんだ。それをアリバイにしよう」とアーロンに持ちかける。アーロンはそれを受諾し、警察に川に行っていたことを隠す。そのおかげで、アーロンは容疑者にならずにすんだ。ただ、ルークの提案が本当にアーロンのためだったのかが疑わしい。ルーク自身の保身だったのではないか、という疑いを拭うことができない。

20年前のエリー殺しの犯人は誰なのか。ルークの一家惨殺と自死は何だったのか。干ばつで農場の経営がうまくいっていないことが本当の動機なのか。

二つの謎が交錯し、どちらの事件の犯人も明らかになっていくミステリーで、静かながらも見応えがあった。

田舎で暮らしているがゆえ、ゲイであることを隠している男性が「嘘をつき続けると、それが習性になるのだ」と諦念を滲ませつつ語る。

嘘をついてはいけない、という教訓ではなく、嘘をつくと、どこまでもその嘘にまつわるものが追いかけてくるよ、といったことを警告されているようだった。それで苦しむのは自分だけではない。他人も道連れにしてしまうのだ。

気候変動による干ばつで、いつどこで火事が起きてもおかしくないし、水不足でシャワーを浴びることもできなかったりする。人々はままならない自然に苛立ちを隠せない。

エリーを殺した犯人は、自分がエリーを殺したことを知っているのに、執拗にアーロンを批難し、追いかけ回し、責め続けた。

人間は、自分自身と他人を欺くための嘘もつく。でも、自分が犯した罪を忘れることなどできないし、その事実が消えることもない。そのような結末に安堵はしたが、すっきりはしなかった。

広大なオーストラリアの乾いた暗さを知ることができたのは、大きな収穫だったように思う。

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