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#映画感想文292『PERFECT DAYS』(2023)

映画『PERFECT DAYS』(2023)を映画館で観てきた。

監督はビム・ベンダース、脚本はビム・ベンダース、高崎卓馬、出演は役所広司、中野有紗、アオイ・ヤマダ、柄本時生。

2023年製作、124分、日本映画。

平山(役所広司)は東京の下町周辺に住んでおり、彼の背景には常に東京スカイツリーが鎮座している。スカイツリーには、東京タワーのような象徴性はまだないと思っていたが、この映画によって格が一段上げられたような感があった。

平山は渋谷区のトイレの清掃員である。公共サービスを請け負った民間会社の契約社員か何かなのだろう。

この映画は渋谷界隈、代々木公園周辺の地理を知っている人にとっても、まったく違和感がないルートで平山が動いているので、そこにも感心してしまった。彼は代々木公園前のトイレを掃除したあと、代々木八幡(神社)のベンチに座り、昼休憩をとる。この神社の近くには、本当にローソンがあるのだが、そこで買ったサンドイッチを食べ、牛乳を飲む。そして、木漏れ日をフィルムのモノクロ写真で撮る。

朝、起きて、布団を畳み、歯を磨く。顔を洗って、ひげを整え、育てている観葉植物に水をやる。作業着に着替え、家を出ると自動販売機で缶コーヒー(おそらくBOSSのカフェラテの甘いやつ)を買う。就業前の労働者が血糖値を上げるには最適の飲み物だ。カセットテープで洋楽や歌謡曲を流しながら、公衆トイレに向かう。仕事が終わると自転車で銭湯に行き、汗を流す。浅草駅の地下にある居酒屋に行き、店主に「お帰り」と言われ、晩酌をする。帰宅すると、布団の中で文庫本を読み、眠たくなったら、ランプを落として眠りにつく。そして、近所のおばあさんが箒を掃く音で目を覚ます。平山は窓にカーテンをつけていないので、自然光が入ってくるようになっている。これは生体リズムにもとてもいいのだろう。

平山は無口で穏やかな人間だが、彼の生活が平和で平穏なわけではない。迷子になった子どもを助けてあげても、彼はその母親からバイキン扱いされたりするし、女子高生は彼を一瞥して「どけ」と命令する。彼はときに透明人間のようでもある。トイレの利用者は、声を出さず、言葉を使わない。平山は慣れているのか、苛立ちも憤りも見せず、出来事を流す。そんな彼の瞳には、光の反射による揺らぎが映る。平山は自分の目に映る世界をそのように解釈していることがわかる。

しかし、何も起こらない人生にも、突発的な事件はやってくる。後輩(柄本時生)が仕事をやめたことにより、勤務シフトが大幅に狂う。その後輩が夢中になっているガールズバーで働く女の子は平山のカセットテープを一本盗み、返しにやってくる。この若者二人をバカップル的に描写することも可能だったと思うが、恵まれていない若者として描かれているような気がした。虐げられた経験のある人たちだけが持つ、心根の優しさ。彼らは平山と言葉をかわす。自分の弱さを理解できている人間ほど、責任感はなくとも、本質的には優しい。世の中で生きにくい人たちは、このような人たちで、それは平山も同じ。かりそめの、ほんの一時的な友好関係がある。ただ、その永続性には誰も期待していないことが少し寂しい。

そして、妹の娘、家出した姪っ子がやってきて、彼の日常が乱されていく。彼は伯父として、説教じみたことはもちろん言わないし、姪っ子も多くは語らない。ただ、娘を迎えにきた妹の存在によって、すべてが氷解する。「お父さん、老人ホームに入って、昔とは違っているから会いにきてあげてよ」と言う。平山は気まずそうに微笑みながら首を振り、最後には妹を抱きしめる。これだけで、平山と父親のあいだには不和があり、家庭内の問題が示唆される。

家族を遠ざけ、家族を作らなかった平山は他者とのコミュニケーションを最小限にすることで自分自身を守っている人なのだとわかる。一方の妹はそれを克服するために、社長になったのか、社長と結婚したのかわからないが、運転手付きの高級車に乗り、異なる世界で生きている。平山はこの生き方を選んだというよりは、選ばざるをなかった人なのだと思われる。

ラストのワンショットで平山は、微笑んでいるのか、悲しんでいるのか、よくわからない表情で涙を流すのだが、その意味はいまだに理解できていない。人生を肯定しているのか、後悔しているのか、忸怩たる思いがあるのか。そのようにしか生きられなかった、という諦念を抱えて生きるのは、苦しいことでもあるが、自分を赦すことにもつながるだろう。

ビム・ベンダースがちゃんと天才でよかった。そして、平山の孤独は、都会ならではのもので、東京でしか成立しないだろう。銭湯に行けば顔なじみがいて、居酒屋の大将はお母さんのようであり、飲み屋のママには片思いもできる。働く場所だって、地方と比較すればたやすく見つかる。孤独でも、誰かとつながれる。

古本屋の店主は南果歩かなと思ったら、犬山イヌコで驚いた。やはり、声優さんだけあって、声が際立つ。平山が読んでいた本がパトリシア・ハイスミスや幸田文であったことからも、彼がマッチョな人ではないことがわかる。

あと、キャストが豪華すぎる。公園のホームレスは田中泯で、居酒屋の店主は甲本雅裕で、助っ人の清掃員が安藤玉恵で、飲み屋のママが石川さゆりで、そのママの元旦那が三浦友和で、常連客はモロ師岡で、写真屋の店主はなぜか柴田元幸。

(ただ、この渋谷のトイレプロジェクトは、トイレの安全性、防犯という観点においては多くの批判に晒されていることは留意すべき点であると思う)

鑑賞して数日経過して、平山の孤独を諸手を挙げて賛成もできないな、とも思い始めた。彼のような人は、ちゃんと愛されるべき人ではないかと思っている。

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