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#映画感想文246『ソフト/クワイエット』(2022)

映画『ソフト/クワイエット(原題:Soft & Quiet)』(2022)を映画館で観てきた。

監督・脚本はベス・デ・アラウージョ、出演はステファニー・エステス、オリビア・ルッカルディ、ダナ・ミリキャン、メリッサ・パウロ。

2022年製作、92分、アメリカ映画。

幼稚園の教師であるエミリーはトイレで妊娠検査薬の結果に落胆し、ぶつくさ言いながら泣きそうな顔をしている。彼女は不妊治療をしている最中だが、今回も妊娠していなかった。彼女が職場を出ようとすると、教え子の少年が母親を待っている。エミリーが、これはちょうどいい、と自作の絵本を少年に読み聞かせようとすると、ガタガタという台車の音がうるさい。顔をあげると、ヒスパニック系の清掃員の女性が用具を運んでいるではないか。エミリーは教え子の少年に「モップ掛けは子どもが全員帰ってからするように彼女に言いに行って来て。男の子ならできるでしょう。滑って転ぶのはあなたたちよ。自分の身は自分で守らなきゃ」と言う。

もう、この時点で、この女は頭がおかしい。清掃員に問題があると思ったら、子どもじゃなくて、教員として自分で伝えるべきである。少年に男らしさを強要し、損な役回りは絶妙に避けながらも、マイノリティに悪意はしっかり向ける人物であることがわかる。

そして、エミリーは森の中にある教会に向かう。彼女は「アーリア人団結をめざす娘たち」という白人至上主義グループの主催者で、今日は初会合の日である。

食べ物や飲み物を持ち寄り、こじんまりとしたパーティーが始まる。エミリーが持ち寄ったパイには、鍵十字(ハーケンクロイツ)のマークの切り込みが入っており、何とも悪趣味だが、誰も拒否反応を示すことはない。彼女たちの主張はおぞましい。「実はわたしの父親はKKKで、てへへ」みたいな会話が繰り広げられるのだが、それ言わない方がいいよ、の連続なのだ。

多文化主義、多様性、インクルーシブ、フェミニズムにはうんざり。単一民族社会を目指し、女性は家庭を守るべき。会報を発行し、ソフトに、クワイエットリーに私たちの思想をこの世に広めていくべきだ、という。これがタイトルの由来となる台詞である。この映画の後半はhard&loudly、noisyといった感じに展開していく。

教会の部屋を貸していた神父さんは、彼女たちの会話を立ち聞きしており、廊下に出てきたエミリーに「一刻も早く出て行け。出て行かないと警察に通報する」と告げる。もう、彼女たちの会話はそれだけでヘイトクライム(憎悪犯罪)なので、通報できちゃうレベルなのだ。

その後は、会合に参加したメンバーが経営するスーパーでアジア系(中国系)の女性姉妹と遭遇し、いちゃもんをつける。実はそのアジア系女性の妹をエミリーの兄が強姦しており、現在、兄は刑務所にいる。そのことをみんなの前で持ち出され、彼女は逆上する。強姦の被害者に因縁をつけるほうが、どうかしているのだが、彼女たちはそのようには考えない。アジア系の娼婦がエミリーの兄を陥れたぐらいに思っているようなのだ。

そして、エミリーご自慢の白人の夫も登場するのだが、夫はどうやら白人至上主義者ではないようだし、格好からして田舎の労働者っぽく、お金もなさそう。

白人至上主義者の暴走というより、田舎のヤンキーが勝手な理屈と無茶苦茶な理論で、「あいつら、生意気だ。しめてやろうぜ!」というような展開になっていく。ただ、彼らは高校生ではないため、いい大人が他人の家に不法侵入して乱闘で済むわけもなく、事態はどんどん血なまぐさい方向に進んでいく。

教養がない、教育を受けていないことによる悲劇にも見えてしまう。マイルドヤンキーのように「俺たち最高っしょ!」と家族とぬるく郊外で生きられたら、白人は被害者である、とは思わなかったはずだ。自らの不遇の原因がマイノリティであると考えると、自分を傷つけることなく、仮想敵として徹底的に叩けるのだろう。

君たちを搾取しているのは、むしろ君たちによく似た人たちなのだよ。そして、君たち自身も、マイノリティの低賃金労働のおかげで安価なサービスを受けられているのだから、逆恨みするなよ、と言いたくなる。

白人であるだけで負い目を感じるのは嫌だ、というエミリーの主張もわからなくはない。ただ、白人はほかの人種より優れており、ほかの人種が優遇されすぎている、と考えるのはお門違いだ。

また、エミリーが夫に襲撃をけしかけ「男らしくしなさいよ」と男らしさを強制するさまを見ると、家庭を守る、貞淑な妻ってなんやねん、と思ってしまった。

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