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恋とビール

「わたしは時々人生が恐ろしい冗談だと思うことがあります。少しでも感受性があると、そこらじゅう傷ついてしまいます、いつも。そうすると、まるで綿や脱脂綿を取り出して傷を手当てするときみたいにお酒を一杯飲むわけです」

フランソワーズ・サガン『愛と同じくらい孤独』

ビールを好きなひとに聞きたいことがある。
好きな理由は?

ビールを苦手なひとにも聞きたいことがある。
苦手な理由は?

きっと好きなひとも苦手なひとも、その理由のひとつに「苦味」を思い浮かべるかもしれない。最初からビールを「おいしい」と感じるひとは少ないように思う。

人間は「苦味」を感じるものに対して本能的に避けるようにできているため、「まずい」と感じるのは正常な反応なのだそう。

それならどうして、「おいしい」と感じる瞬間があるのだろう……

そこには「ビールを味わっているときの環境」が影響していて、“好意的な印象の積み重ね”が大きいのだという。つまりビールの持つおいしさ以上に、誰と、どこで飲むのかが重要だということ。

ビールをはじめて「おいしい」と思った日のことを、私は鮮明に覚えている。

お酒を飲みはじめのころは種類もよく分かっていなかったから、とりあえずビジュアルで惹かれたカクテルばかりを頼んでいた。アルコールの気配が最小限にまで抑えられた、ほんのり甘い色のついたドリンク。

とはいえ自分がどれほど飲めるのか、お酒に強いのか弱いのか、ということを分かっていなかったので、そんなカクテルでさえ1.2杯でなんだか酔ったような気持ちになっていたし実際酔っていたようにも思う。

20歳のときに交際していたひとは年上で、よくお酒を飲んでいた。飲んでいたというか仕事の付き合いなどで浴びているようで、しょっちゅう泥酔しては電話がかかってきて、だから一緒にいるときは自然とお酒を飲むことが増えた。

一緒に出かけていたある日の夕暮れ時、商店街を散歩しているとふいにお腹が空き、なんの変哲もない“町中華”のお店に入った。

店内では地上波のテレビが流れていて、音は厨房や食器の雑音でかき消されてよく聞こえない。とても蒸し暑い日だった。

「ラーメン餃子セットと……ビールでいい?」

「うん」と私は答えたものの、ビールは飲んだことがなかった。厳密に言うと両親が飲んでいるのをひとくち飲んで「なんだこりゃ」と思って以来飲んでいなかった。しかし手元にメニューはないし町中華屋にあのほんのり甘いカクテルがあるとも思えず、ラーメンと餃子で流し込もう、と決意を込めての答えだった。

ラーメンと餃子、生ビールが2つずつ、テーブルの上に並んだ。「乾杯」とグラスを合わせ、ふかふかの泡が乗った黄色い液体をゴクリと喉に流し入れる。

(……あれ?おいしいかも)

私が飲んだそのビールには、あの独特な苦味が感じられなかった。ひとくち、もうひとくちと飲み進めた液体は、火照った身体の中を嬉しそうに駆け回った。向かいに座る恋人は私の密かな驚きには気づかず、ラーメンをすすり水のように自然にビールを飲み込んでいた。

私は今日という日をたぶん一生忘れないだろう、とそのとき思った。

俵万智さん風に言うなれば「ビール記念日」だ。実際に、8年前の出来事だけれどここに書いた情景は昨日のことのように鮮明に覚えている。あの日から私はビールを「おいしい」飲み物として、自ら進んで注文するようになった。

「苦味」をおいしく感じられる要素にはストレスもあるというけれど、少なくともビールをおいしいとはじめて思えたのは、間違いなくそこに恋があったからだろう。

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