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ピアノなんて大嫌いだった、子供の頃の私へ

3歳の頃から、大学1年になるまでピアノを習っていた。
なぜ習い始めたんだろうか、さてそれはよく覚えていないが、まあとにかく私はピアノの習いごとが嫌いだったことは覚えている。

ハノン、バイエル、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネ。

真面目に練習していなかった幼き私は、大体レッスンの前日になんとか練習して、「前回よりちょっとだけマシ」にしてから当日先生の元へと向かった。

ピアノのレッスンは、大体一回30分。
ハノンなどの指の練習からはじめて、ツェルニーをやり、曲を練習する。
単純にこれの繰り返し。

なんとなーく、少しずつ指は動くようになり、なんとなーく、曲を最後まで弾けるようになる。

ピアノを弾くことを楽しいと思ったことは一度もなかった。
ピアノの練習をすることも、レッスンにいくことも苦痛だった。

それでも、母の
「今辞めたら、今までが全部パアになるのよ」
この一言のために、週に1回のレッスンをずっと続けていた。


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私が教わっていたピアノの先生はちょっと厳しい印象の先生。そもそもやる気があって通っているわけではなかったので、ピアノの日が近づくたびに行きたくない気持ちがどんどん強くなり、「あ〜、どうやって休もう」と考えるようになり、高校くらいになってからは、週に1回のレッスンで、必ず月に1-2回は何かと理由をつけて休むようになった。

ある日いつものごとく、ピアノに行ってきます、と家を出て、家のすぐ近くの公衆電話からピアノ教室に電話をかけた。

「すみません、熱っぽいので、今日はお休みしますと先生に伝えてください。」

私はこの手口で、親には行ったと思わせながら、ピアノをサボる、ということを月に1-2回のペースでやっていた。そのまま家の近くの本屋さんや、駅の近くをウロウロして、時間になると家に戻る。

「ただいま。」

すると母は夕食を用意しながら、小さく「おかえりー」というのがいつもの光景。

でもその日はちょっと様子が違った。

どしどしどしとキッチンから玄関へ母がやってくる。

「先生から今、電話があったよ。」

胃がキュっとなる。全身から血の気が引いて、私は何も言えなくなる。

「今まで何回、ズル休みしてきたの。」

口を一文字にして黙りこくる私に、玄関で母が詰め寄る。
私は絞り出すように小さく一言呟いた。

「私、もうピアノやりたくない・・・」

すると母は大きなため息をついて、いつもの一言を空に放った。

「今辞めたら、今まの時間もお金も全部パアになるのよ」

私はただただ悔しくなって、何も言えなくなってしまった。


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「時間もお金もパアになるって、なに?」

「"今まで"を無駄にしないために、わたしの"これから"も無駄にするの?」

ズルをしたのは私が悪い。
それはわかっている。
ちゃんと練習しない私が悪い。
それもわかっている。

でも、だって、楽しくない。
ただピアノ教室に行って、防音室の扉を閉めて、座って、ただ弾く。
その繰り返しが全然楽しくない。
なんのためにピアノを弾いているのかわからない。
先生もなんで私に教えているのかわからない。

母も、私にピアノ教室に行かせるだけで、
ピアノの楽しみ方なんて誰も教えてくれなかった。
どう弾いたら上手なのかもわからない。
ただただ楽曲を練習したその先が全く見えない。

楽しくないって言ってるのに。
何度もやめたいって言っているのに。

ふとんに潜り込んで、私は繰り返し繰り返し自問した。
なんで続けなくちゃいけなかったんだろう?
誰も答えをくれるわけではないのに。


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翌週、私は何度もため息を吐きながら、重い足取りで教室へ向かう。

先生だって、こんなやる気のない生徒に教えるのはイヤだろうと思う。

なんて言い訳をしたらいいのかわからず、
でもとにかく私は教室へと向かった。

廊下で座って待っていると、前のレッスンが終わって扉が開いた。

先生は、「入って。」とだけつぶやいた。

中に入り、ピアノの前に腰をおろす。

先生も隣の椅子に腰掛ける。

「さて。」

先生がピアノに手をかけながら、ちょっと険しい表情で普通を装って私に話しかける。

「さ、今日は練習してこれたのかな。」

私は先生の顔を見ることができず、下をむきながら重い口を開いた。

「先生、」

「うん。」

「先生、今日は、30分、ピアノを弾くんじゃなくて、先生の話を聞かせてくれませんか。」

「え?」

「私、なんのために自分がピアノを習っているのか、正直もうわからなくなっていて・・・。でもそれは、ピアノの楽しさとか、ピアノを弾いている人のことを全然知らないからなんじゃないかと思って・・・。だから・・今日は自分が弾くことじゃなくて、先生がどうやってピアノはじめたのかとか、先生はピアノ弾くのがなんで好きなのかとか、先生が好きな曲の話とかが聞きたいんです・・・」

先生はちょっとびっくりした様子で、うーん、と少し考えた後、

「そんなことでいいなら・・・。じゃあ、何から話そうか。」

と、慣れていない様子で、少しずついろんな話をしてくれた。

何歳からピアノを始めたかとか。
自分も小さい頃に練習がイヤで親と喧嘩したこともあるよ、とか。
それでも続けたのはどうしてなんだろうとか。
ピアノのどういうところが好きかとか。
ピアノを仕事にしようとおもったきっかけだったりとか。
ピアノの先生で大変なこととか。
私みたいにズル休みする子も実はいるよ、とか。

その日、教室に入った時には、完全に【ズル休みしたことを少し怒っている先生】【ズル休みしたことを怒られるべき生徒】の関係だったものが、不思議と時間が立つにつれて、どんどん立場が近くなって、境界線が曖昧になってきた。

先生もピアノいやになったことあるの?
生徒が練習してきてないの、すぐにわかっちゃうんですね。
やっぱりそういうとき悲しいですか?
それでもでも続けてお仕事にしてるのすごいです。

ずっと教室でしか会わないただ「ちょっと怖い先生」だったその先生の、教室以外の顔や、これまでの顔。いろんな顔が見えてきて、私もすっかりその教室が「ただただイヤなことをする部屋」ではなくなってきた。

「先生、先生が一番好きな曲を弾いてるの、今聞いてみたいです」

残り時間ももう少し、となった頃、私は先生にお願いをしてみた。
というのも、先生のピアノって、年に1回の発表会くらいしか実は聞くチャンスがない。演奏会にも行くわけでもなかったので、ピアノって、どうやって弾くのか、演奏の瞬間を私はろくに見たことがなかったから。

「じゃあ・・」

先生は何を弾こうかな、と少し迷ってから、私と席を交換して、おもむろに曲を弾き始めた。

その曲が、なんと言う名前だったのか覚えていない。

でも、今までちょいちょいと鍵盤の端で引いて見せてくれていただけの先生が、全身でピアノを鳴らしているその姿は、ちょっと私も背筋が伸びる思いだった。

指はくるくる回るように踊っていた。
鍵盤もきらきら煌めくような音を鳴らしていた。

やっぱり、先生ってすごい。

演奏が終わると、私はただただ無心で両手を叩いた。

先生は一息つくと、こんなことを私に提案してくれた。

「明夢ちゃん、練習曲をやるのやめて、一曲でいい、どんなに難しい曲でもいいから、これだ、と思える曲を練習して弾けるようにしてみない?」

「その代わり、ちゃんと楽譜をなんどもなんども読んで、CDとかも何度も何度も聞いて、ただ弾くだけじゃなくて、ちゃんと【曲】として弾いてみよう。」

来週までに、いろんなCDとか聞いて、いくつか候補見つけてきてみてね。

先生は最初とは違う笑顔で、私をその日送り出してくれた。

30分のレッスンで、一度も鍵盤に触れなかったのは、15年やってきてこの日が初めてだった。

でもこれまでのどんな30分より、ピアノを "ちゃんと" 楽しんで帰れた気がした。


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家に帰った私は、その日の夜に母が集めていたデアゴスティーニのクラシック特集のピアノ版CDを取り出し、次々と耳を済ませてみた。

こんなに集中してピアノを聴いたのはその日が初めてだったんじゃないかなと思う。

"自分がこれを弾く" 

そう思いながら音色に耳を澄ませてみると、不思議と自分が心地よく感じる音楽と、そうでもない音楽との中にルールが見つかるようになった。

モーツァルトはあまり好きじゃない。
リストはなんとなく好き。
ショパンはなんとなく好きじゃない。
ドビュッシーはきれい。

翌週、先生にこれとこれとこれは、気になりました。弾いてみたいです。と伝えた。すると、先生が

この曲は、明夢ちゃんに似合っているかもね。タイトルにも名前と同じ "夢" の文字が入っているし。これ、練習してみようか。どう?」

そう言って選んでくれた曲。
それが、リストの【愛の夢】だった。


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これまで「レベル」で次の曲が決まっていた。
"ここまで練習したら、じゃあ次はこれかな"
でもここで初めて私は、難易度にかかわらず自分で課題を選び、
さらに先生に「明夢ちゃんに似合っている」という理由で決めてもらった。

"似合っている曲" と言われる曲なんて、そんなの初めてだった。
初めて課題曲を、"自分の曲だ"と思えた。

「ハノンやツェルニーも練習はして欲しいけど、これはおうちだけで練習してみて。レッスンでは、この曲が完成するまで【愛の夢】一曲で行こう。そして、やっぱり目標はあったほうがいい。せっかくだから、大人のピアノの発表会に、明夢ちゃんも出てみるのはどうかな。」

子供の頃は毎年発表会があって、でもそういえば中学にあがったくらいから発表会には出ていなかった。聞けば、もう高校生ともなると、子供の部には出られず、大人の部に混ざることになるらしい。

「・・・出てみます。この曲で、お願いします。」

そこから発表会までは3〜4ヶ月だったと思うが、私はこの期間、初めて《言われたことをただこなすだけの練習》ではなく、《ピアノをもっと上手に弾けるようになるための練習》をすることができたと思う。

今まで楽譜しか見てこなかったが、CDを何度も何度も聞いてみた。愛の夢では、右手がメインの旋律で左手が伴奏、ではなく、右手の小指で弾き出す一番高音のみがメインの旋律で、その他の9本の指で奏でる音がその旋律を支える伴奏になる。"その一音だけを響かせる" がどういうことなのかよくわからず、CDを聴きながら「こういうことか」と"真似"を始めた。

先生にも何度かしっかり弾いてもらったりした。先生には、CDの弾き方を観察するのはいいが、緩急の付け方などは変に癖を真似せず、譜面通りのスピードで弾くようにと忠告を受けた。曲として弾くことと、丁寧に弾くことを、はじめて両方意識した。

家のピアノがクラビノーバだったため、本物のピアノが弾きたくなり、私ははじめてレッスンの日じゃないときに、空いている教室をレンタルし、ピアノに向かうということを始めた。ペダルをうまく使えるようになりたくて、最初の一音をどうやってやわらかく響かせたらいいかその加減が知りたくて、ピアノに向かった。

ほんの数ヶ月前には、親にも内緒でレッスンをサボっていた私が、だ。

先生の指導も、少しずつ内容が変わってきた。ずっと指使いだったり、リズムだったり、強弱だったり。基礎の基礎の技術指導しかされなかったのが、段々と表現の指導にもなってきた。姿勢。体重の乗せ方。鍵盤の叩き方。

私が真剣になれば、先生はこんなふうに応えてくれるのかと、これまでの15年間を振り返って反省もした。


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そうして迎えたピアノの発表会。
なんとか、大きなミスもなく、一曲弾ききることができたことだけは覚えている。

曲としての完成度は、全然ぼろぼろ。
15年やっていても、やっぱりずっと真面目にやってなかったからこんなものか、というところ。

母はというと、「ほら、15年続けてたからここまで弾けたんじゃない。」と自分が正しかったと言わんばかりの言葉を空に投げて、私はそれは受け取らなかったけど、とりあえずご満悦のようだった。

先生からは、「ちゃんと最後まで、弾けたね。頑張った。」と言ってもらえた。



ちなみにこちらが、私が当日弾いた、リストの【愛の夢】。
当然ながら私の映像は残っておりませんので、フジコ・ヘミングさんの素晴らしい演奏にてお聴きください。

改めて聴いてみると、よくこんなの、弾けたもんだと。
"15年やってたなら当然" と思われるかもしれないが、
本当に本当に本当、嫌いで嫌いで嫌いで。
サボってサボってサボってきた15年なので、これが一曲、あの時弾けただけでも本当に奇跡のようなことだったと思う。


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ピアノは、その後、経済的な事情もあったが、【愛の夢】で燃え尽きてしまって継続することはなかった。


結局、大学一年の時に個人レッスンも辞めて、今ではピアノを前にして「弾いてみてよ」と言われたとて、ご披露できるのは猫ふんじゃった、だけである。

(猫ふんじゃったでしたら華麗に弾けますことよ)

ただこの時、自分がただひたすらに興味が持てず、楽しむこともできていなかった習い事に、一度はちゃんと自分なりに向き合って一曲を仕上げることができてから辞めることができたことは、かけがえのないことだったと思っている。

ピアノにしろ、
バレエにしろ、
スイミングにしろ、
勉強にしろ。

本人がイヤだと言っても、続けなければ見えない世界があるものは多い。

だから親も、ただ子供が辞めたい、と言ったところで、「ここまでできるようになるまでは続けなさい」「これまでの努力が無駄になるよ」と言ってしまいたい気持ちになることは、自分が親の立場になった今、わからなくもない。

でも、確かにそれが正しい側面もあれど、
もっと早く、ピアノの "楽しみ方" を知っていたら、もっと違ったんじゃないか。」
なんてやっぱり思ってしまう。

どうしてもやる気が出ずやめたい、と思っている子供が、私のように、突然ピアノの鍵盤の蓋を閉じて、先生に30分先生の話をして欲しい、なんて自分から言い出すことはきっとめったにない。

だったら本当にどうやったら子供にとって、それこそ「全てが無駄な時間」にならないように、自分のやってきたことをちゃんと消化・昇華させてその経験を自分のものにしていくことを大人がサポートできるんだろう

それは、きっと、私が思うに、どうやったら上手くなるかを教えるとか、これまでやってきた時間を無駄にするなとか、どうやって練習を続けるかとかそういうことじゃなくて、

それの楽しみ方を大人の背中を通して見せること。
そしてその時その子が興味を持ってやりたいと思えることを
一緒になって取り組むこと。


やっぱりこれが大事なんじゃないかなと思っています。

"大人が楽しそうにしてる"

やっぱりね、これってすごい大事なんですよね。
カリキュラムとかほんとそれも大事なんだけど、それより何より、目の前にいる人が楽しそうにしてたら、それの楽しみ方って自然と伝わるんですよ。

実際、私は高校時代、元々確かに理系科目の方が得意ではあったものの、出会った高校の物理の先生と塾の物理の先生が、ダブルでもはや物理を愛していた人だったもんだから、まさかまさかの大学進学で物理学科を選ぶまでになってしまった。

それはひとえに彼らが、私に物理の解き方や考え方ではなく、"楽しみ方" を教えてくれたからだと思っている。


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あんなに大嫌いだったピアノは、今ではあこがれに近い感情を持っている。

途中でやめてしまって宙ぶらりんになってしまったけど、でも、また子供が手を離れて暇になったら、大人のピアノ教室に通ってみるのはちょっとありだなぁなんて思ったりしている。

夫はギターが弾けるし。
息子、ドラムとかできるようになったりしないかしら。
娘ももしかしてオーケストラ部とかでチェロとかやったりしたら、
私がピアノを弾いてジャズバンド組むのもありじゃない?なんて。

でもやっぱり、15年以上もかかったけれど、音楽の演奏家のみなさまへの敬意と、その旋律を「美しい」と思えるようになったから、あの時間はきっと無駄ではなかった、とそう思える。

多分、大切なのは、自分で学びをどう自分のものにできるかということ。

そう思うと、きっと「なんで私はピアノをやってるんだ?なんで続けなきゃいけないんだ?」と追い詰められて考えて、自分なりに答えをだそうとした、その時間とその行動がすごく意味があったんだなと改めて思う。

そう思うと、子供が「やめたい」って言った時に、ただただ「とりあえず続けとけ」っていうのも思考を奪うし、かといって「わかったやめよか」でもダメなのかもしれない。

その子がその子なりに納得できる答えや行動ができるまではとことん楽しさにも迷いにも怒りにも大人がずっと付き合う。それがすごく大事な気がする。

習い事も、勉強も。
人生を、世界をより楽しむためにあるんだということ。

15年もかかっちゃったけど、でもちゃんと自分で向き合った子供のころの自分に、よくやったね、と伝えてあげたい。

そして、自分の子供達にも、
人生の、世界の楽しみ方を伝えてあげなくてはなーと
ふと思った1日なのでした。

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