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【感情の因数分解 #2】 アルターエゴよりエゴイスティックな


不定期執筆を予定していましたが、早くも二回目です。


B型はエゴイストが多いという血液型占いがあります。私が高校生のときにその話題がよく出たため、必然的にその場にいた全員が標的となって、それぞれがそれぞれを順番に、どの血液型"らしい"性格をしているかについて、よく話しました。

私は仏教寄りの思考を持っていますが無心論者であり、血液型占いが科学的にナンセンスであるという信仰を崇拝しているので、その話題からは、たびたび逃げたり否定したりしていました。加えて追い風のように、私の周りにいた人間たちは、ことごとく私の血液型についての予想を外して、ついには自分から血液型を明かす他がなくなることも多々ありました。しかし、ここで血液型占いの是非は問いません。私は信じていませんが、信じているという人がいるのならば、それもまた良しと感じています。

私にはB型の血液が流れています。血液型占いによると、どうやらエゴイスティックだと称される側にいるのです。

エゴイスティック  【egoistic】
( 形動 )
利己的であるさま。自分本位であるさま。自分勝手。 「 -な考え方」-三省堂 大辞林 第三版

しかし本当のところ、利己的でない人間はいるでしょうか? もちろん、これが極論であることは分かっています。実際に利己的でない人間がいるにしろいないにしろ、それはゼロイチの話、あるなしの話ではなく、大小の程度を表す言い回しであることも前提にあります。言い方を改めると、社会を織りなしていくにあたって、この世界は、利己的な行為なしに発展できたでしょうか? ということです。

志が高い人は「利他主義によって社会は発展してきた」と考えるかもしれません。もちろん、全員が他人を無視して利己的な行為に走れば、凄惨で猟奇的な戦争が巻き起こるでしょうが、しかし利他主義が極まってもまた、同じように「全員が全員、常に他人に配慮しながら生きる」というディストピア的な世界が生まれます。どちらも同じレベルで過酷な環境であり、どちらも目指すに値するような、持続的なメリットはほとんどありません。これらは集約すると、バランスの話になってきますが、ただ並べただけでも利他主義と利己主義の両方が必要であるということが分かります。

つまるところ、他者から見える自我、アルターエゴは、ある程度バランスが取れている必要があるということです。または、アルターエゴにバランスを取らせているのはエゴであるとも言えます。アルターエゴはあくまで他人から見えているエゴであって、影響こそすれ、エゴとの同一性があるかは果たして疑問です。アルターエゴがエゴイスティックに見える場合に、自己中心的だと言われるような人間像が出来上がる訳です。

オルター・エゴ、またはアルター・エゴ(Alter Ego)とは別人格の事。哲学においては他我(他者の持つ自我)の意味で使われる -Wikipedia

しかし、アルターエゴの考え方を差し込んだとき、誰かをエゴイスティックであると言い表す考え方そのものが、見当違いなものであることがわかってきます。
他者から見えている自我(他我)と、自分から見えている自我に同一性はないからです。ストリートパフォーマンスをしているピエロを見て「あの人は変な化粧をして街中で変なことをしている、自分勝手で不審な人物だ」と考えてしまうことほど不毛なことはありません。その考え方そのものがエゴイスティックであり、誰かをエゴイストだと言い表した瞬間に、最もエゴイスティックであるの人物は、発言した当人であることを周りに知らしめる羽目になります。

冒頭の血液型占いで言えば、最もエゴイスティックであるのは、B型はエゴイストだと称した他の血液型の人物であるということになります。アルターエゴは鏡のようにエゴを反射させ、綺麗にそのかけらを写しとっているだけなのです。これを自覚しなければ、誰かをエゴイストだと言うたびに、自分のエゴをひけらかすことになります。

誰かを批判するとき、自分勝手だと言ったならば、批判しているはずのアルターエゴよりエゴイスティックな自分を、たんに告白しているだけに過ぎないのです。

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