なんでもない日の話 エッセイ
エッセイと呼んでいいのかわかりませんが、日記のようなものを小説っぽく書いてみた文章です。
もしよかったら読んでみてください。
地元の広報とかに載りたいなと思って書きました。(嘘です)
思えばあの日咲いていた桜たちのことを私は全く気にしていなかったなと、ふと脳裏によぎった0:02。
三連休の真ん中が終わり、ああ今日も外に出なかったなと少しの罪悪感と、それと同じくらいの優越感に浸りながら、私は布団の中で黄昏ていた。
特に何の生産性もない一日を過ごしたその日の最後の最後に、人生で最も忙しく鮮やかに生きていた学生時代が思い出されることの残念さといったら無いのだが、何故だか今の私にはそれすらも嬉しく思えた。
あの頃は毎日が本当に短かったなと思う。当時の環境や様々な状況から多くの″初めて″を吸収して、本当に少しずつ、でも着実に成長していたんだよなと考えると、若かった頃の自分を愛しく感じられて、なんだかとても、良い。
今の自分を形成するのに至った出来事や人間がたくさん在るのだろうけれど、当時のことを一生懸命思い出そうとしてもなかなか思い浮かばないし、そもそも然程面白くなくて驚いている。友人と酒を飲んでいる時はあんなに話題が尽きないし、ずっと楽しいのに。本当に不思議である。
そうしてうっすら思い浮かぶいくつかのシーンには、ほとんどの背景に桜の木があることに気付いた。私の地元は春になると桜祭りが盛大に行われている。そんな地元の桜が私はずっと好きだった。
しかし学生時代に春の桜を楽しんだ記憶がほぼない。記憶がないというか、そもそもそんな事実がないのだと思う。
祭りは行われていたが、当時の私は確実に花より団子だったのだろう。美味しかった屋台の食べ物のことなら事細かく覚えている。焼きとうもろこしや揚げパン、大判焼きにチョコバナナ。わたあめや玉こんにゃくも欠かせなかった。
どの並びでどの辺りに何が売っていたかも鮮明に浮かぶのに、桜を見て綺麗だなと一息ついた記憶がない。20年近く生きた地元の一番の誇りを蔑ろにしていたことに不安を覚えた。なんて幼稚だったのだろうか。
大人になってただ何もせず、休日を家でダラダラ過ごしたことによる気付きと反省が生まれるとは。想像もしていなかった。これだから生きるというのは面白い。
もうすぐ春が来る。今年は必ず地元へ帰ろう。そして朝から晩まで桜を楽しもう。昼間のあたたかい時間には桜を眺めながら土手を歩き、夜には河川敷にシートを敷いて夜桜の下で酒を飲もう。そう固く心に誓い、スケジュール帳の4月のページに″帰省″と書き込んで静かに眠った。
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