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閏年に寄せて

もう過ぎてしまったけれど、今年は4年に一度の2月29日がある日だった。床で寝落ちているあいだに日付が変わってしまった今コレを綴っている。多分書き終えるまでに今度は布団の中で寝てしまうだろうけれど、4年後の自分へ、記録として書いておく。


Twitterを流し見ていると、あちこちで「何をしていたか書き記しておくといい」「4年前の閏年は○○をしていた」ということが呟かれていた。メモリアルな日のことはたしかに思い返しやすい。分かりやすい節目だからだ。数字を覚えるのが病的に苦手で、未だに夫の誕生日を年に数回確認する( 13日だったか15日だったかいつも分からなくなってしまう ) わたしにも、閏年という節目は、やさしい。

だから、わたしも記しておくことにした。


🍮


ちなみに4年前の今日は何をしていたかというと、高校時代の友人と渋谷で夜ごはんを食べていたらしい。ビストロの前菜と、あとサムネイルにしたプリンの写真が残っていた。東急プラザにあるパーラー大箸のものだ。
あの頃は今以上に渋谷の地理が分からず、なんとかかんとかお店に辿り着いたのだった。今は頭の中でなんとなく道すじが描けている。いつのまにか、大学時代を過ごした熊本に住んでいた頃よりも長く東京で生活をしている。
4年前の今日会っていた友人は、翌月にあった共通の知人の結婚式以来会ってない。人伝てに、当時関係性をどうするか悩んでいたパートナーとお別れしたことを聞いた。わたしはまだあの頃、夫とは知り合っていなかった。そう考えると4年というのはつい最近のようで長い年月なのだろう。不思議。


世間では大谷翔平が結婚したことで何やら忙しなかった。わたしの周囲ではまた件の感染症患者さんが出て何やら忙しなかった。

あの頃はまだ新人として病棟をバタバタ駆け回っていたけれど、今もなお年次こそ重ねたとはいえ増してバタバタ駆け回っている。後輩が増えて、頼ってもらうことや任せてもらうことが少しずつ増えてきた。
でも、本当にわたしで良いのかしらと思う。キャパシティが大きいほうではない自覚があるゆえに、手のひらからポロポロと零れ落ちてしまっているのではないだろうか。患者さんがわたしを見る目は変わらないのに。良くしてくれると期待されることも、治してくれると思われてしまうことも。


医療は魔法ではないので、すべての人が思い描く生活を実現することは難しい。お会いして数回で「多分お一人で外出するのは難しくなるだろうな」とか「お仕事に戻るのはちょっと難しいかも」とか、そういう想像はつくようになった。
もちろん良くなってほしいという気持ちはあるし、そのために最善は尽くすけれど。死者を生き返らせられないのと同じように、失われた機能を取り戻すのはむずかしい。

それでも、最近ご退院した後の方と関わることが増えたなかで、前は車椅子を漕ぐことすらままならなかった方に「昨日は友達と飲みに行って、焼酎ボトル一本空けた」と言われて「またご入院なさらない程度にしてくださいね?!?!」と言えることは、うれしい。( いや、お酒の飲み過ぎは良くないけれど! )
ずっと目標にしていた部署で少しだけ働かせていただくようになってから、やっと「手を離した先のこと」が少しずつ見えるようになってきた。絶望だって数多あるけれど、案外上手くいっていることも沢山ある。それは、希望だ。そうして見えることが増えてきた分、もっと知りたい、もっと彼らの良い生活のために一緒に走りたいと思う。

その分仕事が増えたのは事実で、そして夫もまた仕事の忙しさは増しているように感じる。親にならないという選択を確認し合ったうえで結婚したし、だからこそお互い今やりたい仕事が選べた。
実際、今の希望部署での業務を始める前に「とてもプライベートな、しかもセンシティブなことを聞いて本当に申し訳ないんだけど……」と上司に確認されたことをよく覚えている。複数人の部署に加入するならまだしも、上司がワンオペで回していた仕事にプラスワンで加わることになったのだ。聞かれて当然である。そして「長い目で見ても今後そういうライフプランは無いです」と答えたことで話が進んだ感覚があった。そこに現状も変わりはないし、この価値観が合っていたからこそ夫と結婚できたと本気で思っている。幸いお互いの両親もそれを良しとしてくれたというところも含めて。

けれど、4年後のわたしもこれで良いと思っている、よね?という気持ちはほんの少しだけある。わたし自身が親になりたいと思ったことは一生で一度もない( この話はまたいつか ) し、夫も「もし仮に相手が望むのであれば考えていたかもしれないけど、かつても今も、自分だけの考えで言えば積極的に親になりたいとは思えない」と話していた。とはいえ人の心は移り変わるものだから。

4年後、30代になっているときにまた考えてねよろしくね過去のわたし。
ちなみに今のわたし、というか我々は「周りが親になって2人の暮らしに余裕ができたら、いつかお犬様をお迎えしたいね」と話しています。架空の飼い犬に名前を考え始めるほどには本気です。コラそこ怖いとか言わない。


4年後の自分がどう在るかは分からない。ただ、今も同じように家族と仕事が好きで、変わらず本を読むこと文を書くことが好きでいられるといいなとは思う。歳を重ねるごとに本を読むのも文を書くのもだんだん苦手になってきている気がして、最近はそれが怖いから。
まあ無理はしないでおくれよ。でもスキンケアとか食生活とかはなんとかしてね。憧れた30代ですから。早くそちらに行きたいよ。

4年後、書いたものを読み返すのが楽しみだ。



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