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好きは飛び散る。けれど終わりではない。

ファーストデート、と聞いていちばんに浮かんだのは、大学2年の夏のことだ。昔好きだった人と最初で最後のデートをした、紫陽花が綺麗だった6月のことだった。

相手は中学時代に好きだった男の子。ひとつ年下で、今は地元の国立大に通っている。本が好きで綺麗な言葉を操る、頭のいい子だ。
好きだった、というべきか、中学生の頃にお付き合いしていた、と一応記すべきか。中学生のお付き合いなんてたかが知れているけれど、当時のわたしは真剣だったし、彼がなんだかんだ人生初の彼氏なる存在だったのである。嗚呼、甘かった日々。

当時、学校からの帰り道こそ一緒に帰ったものの、付き合っていた時の恋人らしい行為と呼べそうなものはそれきりだった。私立中に通っていたので、わたしと彼の家が電車で1時間以上離れていたというのも要因にある。
どうして恋が終わったのか、今となっては思い出せないほど遠い記憶の果てにいる彼との関係は、ゆるく細くそれからも続いていた。高校はそれぞれ自分の学区の公立高校に進学し、大学でわたしは県外に出た。そのため、わたしと彼がデートという名目で再会したのは、1年早くわたしが中学校を卒業して以来だったのである。

季節が巡るのよりも長いあいだを空けながら、けれど一度始まればそこそこの期間連絡を取るような関係が5年ほど続いたある日、たまたまちょうど実家に戻っている時のやりとりの中で送った冗談がきっかけだった。

「そういえば、わたし今実家に帰ってきとるんやけど。笑 明日ひま?デートしようよ。」

デートといっても冗談もいいところで、むしろ会うこと自体笑って流されると思っていた。だからこそ「なんてね、冗談!笑」と送りかけた瞬間に飛んできたコマンドに、わたしは変な声を出したのだった。

「いいですよ。しましょっか、デート。」
なんて。


それからばたばたと約束は成立した。彼の大学が私の実家に近かったこともあり、待ち合わせ場所は実家の最寄駅。まさか彼と付き合っていた頃に毎日利用していた駅で、それっぽい関係が終わって5年も経ってからデートするなんて。人生はわからないなと思いながら待っていた。

5年ぶりに会った彼は記憶のなかの彼よりもすこしだけ大人びた顔をしていて、ストライプのシャツを着ていた。わたしの記憶のなかにいる彼は制服姿だけだったのに。

ポツポツと交わした会話はすこしずつ雨の降り始めから小雨になるようにリズミカルなものとなり、電車に乗って目的地に着く頃には5年ぶりに会ったとは思えないほどのテンポ感となっていた。あの頃と変わらずわたしは彼のことを〜くん、と下の名前で呼んだし、彼は彼でその頃から変わらずわたしのことを先輩、と呼んだ。苗字のつかない「先輩」という呼び名はわたしだけに使うものなのだと、昔教えてくれたそれと変わらないやさしい声で。

「先輩の、」
「うん、」

紫陽花が咲き誇る淡い青の中でiPhoneのカメラを向けながらわたしは、彼の呼びかけに応じる。

「彼氏さん、今どこにお住まいなんでしたっけ。もう日本に帰国なさったんですか?」
「うん、今は、京都。」

そうなのだ、わたしはこのとき別に付き合っていた人がいた。彼は彼で、ちがう女の子と別れてずるずると未練を引きずっているところだった。当時の彼氏には昔好きだった彼の話は頻繁にしていたし、この日ふたりで遊びに行くことも快諾されていた。だってわたしとこの子の間に、もう好きだという感情はないから。

中学生の頃あんなに憧れていたはずの彼とのはじめてのデートは、もうお互いに好きが散ったことを確認するための通過儀礼のようだった。

いつまでもわたしたちはあの頃のままいられないのだ。制服はもう着られないし、髪だって染めたし、ピアスだって空けた。違う人を好きになるし、住む場所だって変わった。10代から20代へと何か大きなものを跨いだような、実はそうでもないような、そんな気持ちだけがした。

好きは散る。消えない、なくならないけど、ちがう誰かの元へ飛び移る。そこにあったそれは、恋愛感情ではない何かとして残る。たとえばわたしたちの場合、すこし特別な友情、とか。

冗談を言う度にペロリと舌を出して笑っておどけてみせる彼の、先輩という呼び名だけがこれからもずっと変わらずあるといい。だって、好きでなくなっても、もう正しい「デート」の相手が互いでなくとも、彼は大事な弟みたいな子だから。

あの日に見たのと同じように綺麗な紫陽花を見るたびに、梅雨が来るたびに、そんなことを思い出す。次に会うのはいつだろう。きっと今度はわたしたち、姉弟みたいな顔して会うのだろう。なんて、ね。


#ファーストデートの思い出 #エッセイ #コラム #恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる


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