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だからわたしは手を握る

仕事を始めて、1年半とすこし。お1人1時間のリハビリを7人分、毎日どなたかとご一緒しながら、もう数多の時間を過ごしている。けれどその中でも、いつも鮮明に思い出せる瞬間がある。まだ去年の今くらいの時期のことだ。

その方は、至らないところだらけのわたしに、沢山のことを教えてくださった方だった。

麻痺の残ったお身体では、歩くどころかお一人で起き上がることすら出来ず、そもそも吐き気がするせいで寝返りひとつ打てない方だった。お食事やお水も、鼻から管を入れて栄養剤を流し込むところから始まった。けれど記憶や言葉のしっかりした方だったから、お会いするたびにちいさなちいさな声で、調子が良い日はベッドの上や、たまに車椅子に移って色々なことをお話ししてくださった。

ご病気をする前に何度も観るほど好きだったドラマのこと。自慢の子どもさんのこと。もう亡くなってしまったご家族のこと。転院する前の病院のこと。若い頃の懐かしい日々のこと。
息を継ぐのもやっとの中で、それでもわたしが身を乗り出してお邪魔すると、「ああ!」と満面の笑みで迎えてくださって、あれがね、これがね、とお話ししてくださる方だった。違うスタッフとのカルテに「あおいさんとお話ししてる時間が1番楽しいの」と話してくださっていた旨が書いてあった日は、その日ずっと幸せな気持ちだった。


そんな方と、リハビリを続けた。お身体の状態を見ながら、細い首元に聴診器を当てて浅い呼吸の音を拾いながら、細くてちいさなスプーンでとろみの付いたお水をひと口。

「ああ、ひさしぶりに飲んだ。もうひと口ちょうだい」

そう仰っていたその方のお口に運ぶものが、ミキサー状のお食事になり、お粥になり、小さく刻んだおかずになり。飲み込めない、今日のは大丈夫そう、無理だもう食べられない、を何度も何度も繰り返しながら一緒に向き合う日々は続いた。
2口で「もう無理」と話すその方に、どうしたら召し上がっていただけるんだろうと何度も何度も悩んだ日があった。「もう何するにも1人じゃ駄目なら、もう死んでしまいたい」とベッドの上で涙する方に申し訳なくて仕方がなくて、無力さから帰り道に泣いてしまう日があった。

それでも一緒に一進一退を繰り返すこと約100日。理学療法士、作業療法士の先輩方とのリハビリの甲斐もあって、鼻からの管を抜いて、すべてご自身でお食事が食べられるようになった日が訪れた。

「ひさしぶりに美味しいなあって思う。ありがとうね。」

そう仰ってえっちらおっちら、スプーンをご自身で操りながら口にお食事を運ぶその方を見た瞬間、鼻の奥がツンとした。笑顔で離れて、早足でトイレに駆け込んで、声を殺してボロボロ泣いた。この方とわたしの100日は、ちっとも無駄なんかじゃなかった。


そんな方が具合が悪そうで仕方がない日、何も出来ずにオロオロしているわたしに、ちいさな声で、でもはっきりと仰ってくださったことがある。

「もしもよければ、そこにいてくれる?手を握っててくれるだけでいいから。」


迷わずその方の手を取り、思わずハッとした。機能を上げることだけに囚われて、大事なことを見失いかけていた。頭を動かすのも辛い、だから首すら動かせないし、マッサージすら出来ないと思ってしまっていたけれど、そうじゃなかった。
ただ手を握って、声に耳を傾けるだけでも変わることだってあるのだ。
手を握ることは、すこしだけやさしさを伝える方法なのかもしれないと、今なら思う。わたしのエゴに過ぎないかもしれないけれど、ここにいますよ、味方でいさせてください、という気持ちを伝えられるのかも。少なくとも、握り返してくださった温もりから、わたしはそう思った。


半年間の入院期間を経て、その方とはお別れをした。最後はご自身で車椅子を漕いで窓の外を眺めたり、他の患者さんとお話をしたりして、お食事の時はご自身で一口大のおかずをぱくりと召し上がるようになった。そのままどうかいつまでもお元気でいてほしいと、今でもふと思い出してはそう思う。

心を傾けたいと思う、その気持ちをやさしさと呼ぶのであれば。わたしは手を握れる医療従事者でいたい。明日も、その先も。

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