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こころの掃き溜め

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こころについて考えます。
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記事一覧

自己肯定感が低くて「ほどよい暮らし」ができない

私と同じく、トラウマと共に生きている友人が、とある心理士さんのnote記事を紹介してくれた。 要約すると… デフォが「自己否定」の側にある人は、いきなりマイナスをプラスに変えようとするんじゃなくて、まずはほどほどを目指そうよ、とのことです。 「ほどほどの穏やかな日常」。 私はこれを「ほどよい暮らし(Good Enough Life)」と名付けることにした。 ほどよい、すなわち、"Good Enough"という言葉は、精神分析家のD.W.ウィニコットが提唱した「ほどよい母親

ホームレス(home-less)なわたし

5,6年前、私は新橋の居酒屋でバイトをしていた。 新橋の居酒屋は仕事帰りのサラリーマンたちで賑わう。 「明日も仕事じゃないの?」と思うけれど、華金じゃなくたって、閉店まで飲んでる人たちがいっぱいいた。 私はサラリーマンたちにお酒を提供し、サラリーマンたちと同じように、終電で辛気臭い家に帰る日々を送った。 「潜在的なホームレスなんていうのはね、たくさんいるんだよ」。 よりどころがない、安心できる場所がない、私には帰る場所がない、そう相談した時に、あるベテラン看護師はそう答えた

「専業主婦」になるのが怖い

私は幼い頃から、「専業主婦には絶対ならない」と心に決めて生きてきた。 「シングルマザーで子供が3人いたとしても全員を大学に行かせられるくらい稼ぐんだ」と大きくなってからも友人によく豪語していた。 それは専業主婦の母を見ていたからである。

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「何者」でもない大人になる

幼い子どもは皆そうなのだろうか、幼い私には万能感があった。 こんな子どもは鼻について仕方がないと思うが、5、6歳にして、「自分の方が賢い」と周りの大人を見下していた。 小学校中学年くらいの時、桜蔭高校から東大の理科三類(日本で一番難しいところである)に行った人の話を読んで、私もそのルートを辿るのだろうと思った。 そして、何かはわからないけど、「エラい人」になるのだろうと思っていた。 今思えば私は自分が決して天才でもなんでもないことを身に沁みて知っているが、 負けず嫌いな性

【前編】良い精神科医ってどんな人?〜約20人の主治医レビュー〜

たくさんの主治医に出会ってきた私に、どんな主治医に出会ってきたのか知りたいというお題をいただきました。 ありがとうございます。(お返事が遅くなり恐縮です) また、参考にしてくださっているとのことで、とても嬉しくありがたく思っております。 今まで私をみてくれた主治医は何と20人くらい。 色んな精神科医を見てきました。患者だって、精神科医のことはよく観察しています。 エピソードトークしつつ、どんな精神科医が良いのか考えてみることにしました。 今まで私の主治医はコロコロ変わって

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「死んでもいいんじゃない?」

私は中学生の頃からずっと「死にたい」と思っている。 何だかわからない圧倒的な苦しみが超デカい重石になって、胸を潰してしまいそうなのである。 それが辛いから死んで楽になりたい。 重石の正体ははっきりとは分からない。今までのトラウマの堆積物なんだろうけど、専門用語で重石に名前をつけたところでなんかしっくりこないような、言葉の世界から弾かれた異物なのだ。 大抵の人は他者の「死にたい」という言葉と上手く付き合えない。 「そんなこと言っちゃだめだよ」「周りの人悲しむよ」「死んだら悲し

こころの病気をもちながら働くということ

新社会人デビューをしてもうすぐ1年が経つ。 けれどもこころの病気をもつ私にとって、働くことは困難に溢れていて、実際働けたのは半年ほど。 1年目から、休職して、入院して、を繰り返してしまった。 「働けない」「働かせてくれない」ということは人の尊厳に関わる一大事である。 だから、こころの病気をもつ人が働くうえでどのような困難に直面するか知って欲しいし、どうやったらいろんな人が働ける社会になるのか、一緒に考えて欲しい。 こころの病気をもつ私が病棟看護師をやってみた病棟看護師(特

「言葉にできない」ことの苦しみ

こころの底には、「言葉にできない」ことがたくさん沈殿している。 何かは確かにあるのだけれど、その形はわからない。 引き揚げようとしても、引き揚げることができない。 吐き出してしまえたら、どんなに楽だろうか。 でも、「言葉にできない」限り、自分の外に吐き出すことはできない。 当然、他人と共有することも叶わない。 「言葉にできない」何かは自分の中でくすぶって、じわじわと自分を黒く染めていく。 私は8年ほど前から現在に至るまで、カウンセリングを受けている。 言葉を通じて自分の内的

カロリーメイトとポカリスエットで人間は生きていけるのか?

食べるものに困った時、支援団体や行政から食品を配布されることがある。 そういう食品のうち多いのがこういった類のもの↓ 食品廃棄物をなくそうという善意と、人を生き延びさせようという善意を感じる。 このご時世、コロナに罹って行政から食品が届いた人も実感したかもしれない。 これが届いた頃、ちょうど鬱がひどくて買い物する気力も料理する気力も食べる気力もなく、1ヶ月ほどこの段ボールの中身を少しずつ消費して過ごしていた。 基本寝ていて、目が覚めて何か摂取しなければと思うとカロリーメ

「支援される」ことの息苦しさ

「よかったら仕事の相談に詳しい人がいますけど、相談していきませんか?」 「や、いいよ(苦笑)。前もそれで『ハローワーク行ってください』で終わりだったしね。」 生活困窮者のための炊き出しで、色んな人を支援につなげようとする中で、聞かれた言葉である。 スタッフの札を下げた私達が声をかけにいく素振りを見せるだけで首と手を振って拒絶の意を示す人もいる。 幾度となく「支援」されることに慣れている人たちの一部は、「支援」の偽善性や安っぽさに呆れているのかもしれない。 私は、人生で最も

初めての借金

CBDオイルを舌下投与してから仕事に出かける。 一応言っておくと、CBDは大麻から抽出される合法的な成分で、ダウナー系のやつ。 毎日やってらんないから、効くかどうかわからないけれど、お守り代わり。 オイルを使う度に、これを買ったときの罪悪感が胸に蘇る。 2年ほど前だろうか。 私は人生で初めて借金をした。 30万円。 その事実は「お金のない惨めなクズ」という自己像に、「お金を借りる惨めなクズ」という自己像を上書きした。 私はお金が、お金持ちでありながらその特権に気づいていな

加害者化する被害者

「君だって彼の痛みが分からないでしょ。」 自分の痛みに埋没して周りが見えていなかった私に、知り合いがそう諭してくれたのは去年の秋のことだった。 「自分と同じ痛みが分かる人と一緒に居たい」「強烈な刺激で痛みから目をそらしたい」、それは切実な気持ちで、それを求めて荒れた交際関係から抜け出せていなかった頃だ。 それでも、自分の痛みは痛くて仕方がなかったから、知り合いはなぜいつものように私の味方をしてくれないのか、少し不満にも思った。 私はかつて被害者だった。 詳しいことは過去の

「助けて」が言えるようになるまでに。

「助けて」というのは難しい。 こんな本まであるくらい。 なぜ「助けて」というのが難しいのか。 詳しいことはこの本に任せたいが、 「変わるのは怖い」 「人は信頼できない」 「恥ずかしい」 「申し訳ない」 「自分は助かる価値などない」 そういうふうに思わせてしまう、人それぞれの個人史や、社会の環境がある。 私も、「助けて」というのが怖かった。 なぜ怖かったのか。 私の個人史と、周りとの交流を描きながら、 「助けて」が言えない人たちの事情を想像したり、奥底にある「助けて」を少

アルコールと共に生き延びる

※以下の話はフィクションです。 ※依存症などへの根強い偏見があるなか、依存対象に頼らざるを得ない人それぞれの事情を体感していただけたらと思い、物語を作りました。 現在20代の私がアルコールと最初の出会いを果たしたのは、小学生の頃だった。 私は幼稚園児の頃から不眠になり、現在も睡眠薬を飲んでも不眠気味で、不眠歴はかれこれ20年ということになる。 物心ついた頃から、父は夜になるとお酒を飲んで、母親や兄をいたぶった。私は、父にとっては家族の中で唯一可愛い存在だったのか、あまりタ