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高度1億メートル 11

Before…

【十九】

「いよいよ卒業だな。長かったけど、こうやって考えるとあっという間だったなぁ。」
 ナオトとコンビニでジュースやお菓子を選びながら、ナオトの言葉を反芻する。何もかも充実していたかと言われれば、そうとは言い切れない。しかし、少なくとも俺にとって本当に貴重な四年間だった。
 同じ目標へ向かって団結して様々な課題やテストに取り組み、平日はずっと同じ環境で生活。週末には地元に帰る奴やバイトでほぼ一日いない奴もいたっけか。凄く、濃密な四年間だった。
 ナオトの発案で、前夜祭をやろうと皆で決めた。とは言っても寮内での飲酒喫煙は言語道断だったので、一階の多目的広場でちょっとしたお菓子パーティをしよう、という方向でまとまった。「店に行って飲みに行こうか」なんて案も出たが、この四年間を過ごした寮での最後の一晩は、やっぱりここで迎えたいということに決まった。それぞれが一、二品ずつお菓子を持ち寄ってお喋りに花を咲かそうということで。

 ふとスイーツ置き場に目をやると、小さなシュークリームが沢山入ったものを見つけた。
「ヒイラギ、相変わらずホイップ好きだなぁ。それ皆で食べようぜ。」
「おう…。」
 買い物かごに入れた時、あの幻想的な空間で同じものを食べたことを思い出した。心優しい、あの素敵な双子と。

 あの少女に別れを告げられた後、一度だけ、未練がましくも思い切ってあの世界へ飛んだことがあった。手土産にあの子の好きなプリンを持って。しかし、あの空間には誰もいなかった。世界に踏み入れることはできたが、そこの住人と出会うことはなかった。そして袋を開くと、プリンは滅茶滅茶に崩れていた。俺と少女の関係が完全に破綻したような気がして、そこから真っ逆さまに落ちていって、自室のベッドから落ちて現実へと戻ってきた。

 そんなことを思いながらスイーツコーナーに目を配っていると、ホイップクリームが乗ったものを一つ発見し、衝動的に手に取った。しかしそれは、乗っているホイップの甘みを相殺するような珈琲ゼリー。またも得体の知れない何かを感じ、一緒にそれも購入してナオトとコンビニを後にした

 煙草は、吸う気になれなかった。

【二十】

「乾杯!」
 メンバー十一人で紙コップを掲げ、思い思いの飲み物を手にして全員一気に飲み干した。
「打ち合わせとか何もしてないのに、皆イッキかよ!」
 ナオトのツッコミが皆の笑顔を咲かせる。持ち寄ったお菓子を三つほどパーティ開きにして、ポテトチップやポップコーン、チョコレートを食べやすいように配置。空になったら、また新しいものを同じように開く。飲み物も多種多様にあって、宴が長くなることは想像に難くない。

「あの時はお前らずっと付き合ってくのかと思ったけど、案外あっさり終わっちまったな。」

「集団研修、大変だったな。このメンバーで良かったよ。」

「文化祭、マジで苦労したよな。その後の打ち上げは激アツだったけどな。」

「そういやお前、一年の時肉喉に詰まらせて大変なことになったよな。」

「うちの学校辞めちまったあいつは、今頃元気してんのかな。」

「少し前に連絡とったけど、楽しくやってるみたいだよ。パリピ全開で遊びまくってて、留年したらしい。」

「ははっ、あいつらしいや。元気そうで何より。」

「お前はずっと付き合ってるよな。結婚まで応援するぜ。」

「まだ先だよ。でもありがとな。」

「ヒイラギ、仕事決まって良かったな。俺ら全員心配してたんだぜ。」

「わりぃな、皆が応援してくれたから何とかなったよ。食いっぱぐれることは無いから安心してくれ。」

 四年間の思い出がメンバーから飛び出して、彩りある走馬灯みたいな感覚になる。皆いい奴で、親元を離れて挑戦して良かったと心から思う。この寮で過ごすのは、今日で最後。寮を引き払う準備は皆済ませていて、部屋は空っぽだ。あとは、明日の卒業式と後夜祭。それが終わってしまえば、それぞれが未来へと歩み出す。

「最高のメンバーだったよ、すっげぇ感謝してる。社会人になっても、またこうやって集まってメシか飲み行こうな。」

 自然に俺の口から零れた言葉。皆、「おう!」と返してくれた。すごく温かくて、優しくて、いい奴ら。この絆は一生モンだ。

 次のお菓子を出そうと適当な袋に手を伸ばした時、袋の底にある珈琲ゼリーを見つけた。俺が買った、ホイップクリームの乗った珈琲ゼリー。
「わりぃ、ちょっと席外すわ。」
 スマホを取って、ポケットに珈琲ゼリーを押し込んで足早に隣の部屋へ移り、ドアを閉めた。自由利用可の学習室。もちろん、卒業前夜にここで勉強する奴などいない。ポケットから珈琲ゼリーを取り出す。気を利かせて店員さんがテープでプラスティックのスプーンを付けてくれていた。しかし蓋を開くと、急いで出てきたせいで中身はぐちゃぐちゃに混ざっていた。

 食べるというよりも飲み干す形で一気に喉に流し込んだ。一瞬だけ懐かしい甘さがあったが、すぐに苦みに押しやられて消えていった。皆でお菓子を摘まみながら話していた時に、隙間から吹く北風のような、一抹の寂しさがずっとあった。満たされた四年間とタメを張るくらい、癒されたひととき。
 俺はあの空と宇宙の境界線・高度1億メートルで、ほんの僅かな時間だったが、確かに過ごした。夢の中で過ごした、忘れ、消えかけていた記憶。ホイップの甘みを一瞬だけ味わえた時に、冷たい風を吹かせていた隙間はたちまち全開になり、心が凍えた。席を外してよかった。皆の前でみっともない姿を見せたくないという思いは確かにあったが、それ以上にあの暖かい空間を冷やしたくなかった。そして、もし誰かが暖を取ってくれたら、あの約束を破ることになってしまいそうだったから。

 床に膝を抱えて座り込み、顔を突っ伏した。瞳が湿気を帯びるのが分かる。誰にも見られたくないし、自分自身その姿を直視したくない。ズボン越しに膝が濡れる。その雫は止まることを知らず、膝をどんどん濡らす。無理矢理消し去ろうとした反動だろうか。フラッシュ・バックが止まらない。
 月のすぐそこで団子を食べたこと。双子と楽しくお喋りしたこと。星と月の合間を縫うように踊ったこと。キスをされたこと、したこと。抱擁を重ねたこと。黝い右腕。少女の激昂。そして、別れのキス。

 駆け回る記憶は目元から零れて、ズボンの染みを広げていく。きっとこの染みが乾いてしまった時が、永劫の別れの時だ。明日の朝には、きっとこの思い出からも「卒業」するのだろう。

 そう思った瞬間、一瞬嗚咽が漏れた。部屋の外から聞こえていた宴の喧騒もいつの間にか聞こえなくなっていた。泣きじゃくった。声にならない声をできるだけ絞ろうとしたが、嗚咽は止まない。顔を上げる。世界の全てがぼやけて見える。それがまた無性に悲しくなり、再び膝に顔を預けた。

 その時、誰かが俺の頭をぺしっとはたいた。顔を上げる間もなく、右の腕を引っ張られた。誰かに気づかれて、また要らぬ心配をさせてしまっただろうか。そう思って顔をゆっくり上げ、右腕の先を見た。そこには、痣だらけの腕と、銀髪の誰かが見える。表情までは、涙でぼやけて見えない。でも、この手の温かさと、流星のような銀髪。こんなひと、一人しか知らない。

「この、泣き虫さん。いつかまたね。」

 この日、ここから先の記憶は無い。目が覚めた時には卒業の朝で、誰に聞いても「あれ、どうだったかな。席を外したとこまでは覚えてんだけど…」という答えしか返ってこなかった。そして卒業し、社会に出た。

【二十一】

 あれから五年。何故これを記したかと言われれば、一枚の雑紙が発見されたから。

 約六年ぶりに病が再発し、俺は退職を余儀なくされた。先も見つからず、再び食い扶持を探す日々。徐々に無くなっていく口座の残高。縁も何もあったもんじゃない。幾つも応募し、書類選考さえ中々通らず、やっと通って面接しても持病が足を引っ張って断られる日々。

 あの時と同じように、「焦燥」に駆られる毎日。自暴自棄になって自ら左の腕に傷を残した。それは今でも十字に残っている。全て投げ出して、諦めて、この世にさよならをしようと決めた時、全く身に覚えが無い紙切れが枕の下に挟まっていた。

「高度1億メートル」

 その紙には、確かに俺の字で一言走り書きされていた。全てを思い出した。銀河で過ごしたあの時間。

 だから俺は約束を破ってここに書き残した。もう二度と忘れないように。いつか俺の全てが尽きた時に、あの場所へともう一度飛び立つために。きっと怒られるだろう。あの時以上に怒られるだろう。全て受け止めよう。本気で謝ろう。再び覚醒した恋心はめらめらと燃え盛り、生きる原動力になって日々頑張ろうという思考の核となっている。そのことを感謝し、お礼を言おう。そして、もし許されるなら、俺もあの銀行員になって、あの子と笑い合える日が来ることを願おう。

 夢は見るだけでなく、叶えるためにあるんだから。

【高度1億メートル 完】

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