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「刻石流水」

 今回の記事を書くにあたって、幾つかの記事を引用させて頂いた。

 私自身、教職員且つ鬱病経験者で、鬱病は未だ完治したとは言い切れない。辛うじて働ける状況まで落ち着いたので職場に復帰したが、昨日も尋常ではない不安・憂鬱・焦燥感に襲われ、頓服薬で何とかした程である。

 この状況だからこそ、定時退勤・土日祝は完全休日を徹底することで回復を図るよう主治医から言われており、そのお陰で症状は最底辺時(半年前~四ヶ月前)よりは遥かに良い。というか俗に言うホワイト企業では定時超えたらすぐ退勤・休日は働かないって当たり前なんだけれど。
 それでも、主治医から「あなたは傷つきやすい心を持っている」と言われる。些細な言葉の棘に以前以上に引っ掛かるようになり、自分自身の言葉にも後悔を覚え、感情の起伏が激しく、それが故に業務量とは比例しない疲労を覚える。

 本格的に発症したきっかけは、十一月末から二十日間休日無しという日々が続いたことだったように思う。部活動で土日はほぼ丸一日無くなり、平日は下校時刻が早くても業務に追われ、十二月には冬季休暇があるにも関わらず時間外労働は八十時間に迫った。
 担任を持ち、当時教室が三階だったこともあり、教室で空き時間や夜に仕事することも多かった。ふとした時に「もう、飛んじゃおっかな」と何度考えたか分からない。飛ばずに楔を打ってくれたのは、教え子の笑顔と、当時同棲してくれていた彼女だった。結局休むことになったが。

 休み始めてから、特に交流の深い友人にはその旨を伝えた。「いつかなるとは思ってた」と言う友もいれば、「お前に限ってそれは無いと思っていた」と言う友もいた。基本、友人と過ごす時には陰の部分を曝け出すことは無いからだ。職場でもそうである。二十代半ばの若手ということもあり、先輩方には気を遣う。相談員の先生は予兆に気付いて声をかけて下さったが、結局管理職に相談し、療養までの歯止めが利かなくなるまで、その予兆に気付けたのはその道のプロだけだった。

 つい先日、以下のニュースを目にした。

 その部分で、特に注目して頂きたい部分を抜粋し引用する。

労基署が勤怠記録通りに労働時間を認定し、今回の是正勧告に繋がったことに着目。公立校教員の場合には法的に残業とみなされない業務も含まれていたことから、「公立だったら労働時間にならない業務が、私学だと労働時間とみなされるというダブルスタンダードが鮮明になった」と指摘した。

 言い換えれば、「公立校は法律に守られて(侵されて)時間外労働が正当化されている」ということだと私は捉えた。
 我々の勤務時間は、基本的に八時から十六時半。しかし、八時には生徒たちが登校してくるため、七時四十五分でも遅すぎるくらい。十六時半には、冬場なら部活が終了する。だが夏場は陽が長く、総体もあるため、下校時刻は十八時半がスタンダード。そして十八時半に即帰れるかと言えば、そんなことはまずない。
 欠席した生徒の保護者への連絡、翌日以降の授業準備、部活動運営の為に諸々の整理、事務仕事等で十九時に退勤できれば上出来だろう。

 単純計算、七時半から十九時十五分まで勤務したとして、拘束時間は十一時間四十五分。休憩時間(給食・昼休みの時間に割り振られている。実際休憩できているかと言えば、私は勿論NOと答える)の四十五分を差し引き、平日一日辺り三時間の時間外労働が発生する。それが二十日間、更に土日どちらかに部活動を三時間活動したとする。生徒より早く出勤し、生徒が完全に帰宅した頃合いを見計らって退勤するため、短く見積もって四時間が四日。計七十六時間、過労死ラインに迫る時間外勤務を基本給の四パーセント上乗せのみで労働している。私の基本給から算出すると、一万円に届くかどうかという額である。

 これらの業務を「やるべきではない」と否定はしない。生徒を想い、少しでも生徒が楽しく笑顔で過ごせるよう身を粉にしているからである。私が言いたいのは、夏季のこの七十二時間を、「労働時間にならない」と一蹴されている現状がどう考えてもおかしい、ということである。労働に見合う対価を貰うか、それを労働とみなさないなら改革しなければ異常であろう。
 今回報道された私立学校では、上記業務が「労働時間に当たるため、その環境を是正しなさい」と結論が出ている。この状況が業界に蔓延しているのは、「今まで当たり前にやってきたのだから、それが当然である」と考える中堅以上の同業者が多いからではなかろうか、と若造は考えてしまう。

 コロナ渦に突入し、リモートワーク・オンライン授業等、やろうと思えばできることが可視化され、我々も翻弄されながらも上手く取り入れる必要が出てきた。その時代を経験し、柔軟に取り入れた今の学生世代からすれば、対価に見合わぬ労働を強制(少し大袈裟な言い方かもしれないが)されれば嫌気が差すだろう。私もまたその一派なのだから。

 私自身、様々なアルバイト・法人での常勤経験があり、未払の残業代を請求して一悶着起こした経験もある。古臭い法律で縛り上げていては、「対価が見合わない」と考える若人が離れていくか、潰される。勤務上仕方無いことであるならば、いい加減二世代も前からの足枷をぶち壊さないと、子どもから「先生ってブラックなんでしょ」と言われ続け、人材枯渇一直線でしょう。度々こんなこと言ってる気がするけれど、現場からの声でした。

職場で貰った保険屋の資料より一部抜粋。

 本日の題は、配布された一枚の紙に書かれていた言葉で「素敵だな」と思ったものを拝借。私が理想としている生き方そのものである。他者から貰った恩義は大切に、そして他者に恩義を与えても、それは当然であり振り翳すものではない。

 今のお国がこれの対極にいる、と考えてしまうのは私だけだろうか。「お前ら公務員にはいい給料を上乗せしてやってんだから、働き放題やれや」って言われている気分。酷い言い草だけれど。
 また、同業者を、働き方改革の為に色々試して何とかしようとする「改革派」と、今までやってこれたんだから、と穏便に従来の方法でやっていこうとする「保守派」に分けてみたとしよう。私は間違いなく「改革派」に属する。そうなると、「保守派」からもその圧を感じる気がしてならない。
 今回是正勧告を受けた私立学校が大きな火種になって改革が急速に進むとは思えない。すぐに忘れ去られ風化し、蔓延った「当たり前」の根はそう簡単には消えないだろう。それでも、この火種が似た事例に飛び火し、本格復帰する頃には多少でも働きやすい・または見合った賃金が払われる業界へと変化していくことを祈るばかり。

 今回私の心にとても響いた記事を書いて下さったお二方へ、心より感謝申し上げます。勝手に引用させて頂いた身、もし不快であると感じられた場合はアクション頂ければすぐに削除致します。

 色々ぶん殴り書きしたけれど、今回の一曲はDEZERT「擬死」。私は死んだ振りなどした覚えはない。確実に人生で二度、心が死んだ。蘇ってくれて今は喜ばしいことこの上ないが、二度目の死で診断が出た以上、三度目の死は心身共にお仕舞いな気がするね。
 人間、腹割って話さないと本音は分かりゃしないよ。苦しい時は「苦しい」って言おうよ。辛い時は「辛い」って言える世界にしていこうよ。死んだ振りも赦せない世界のままじゃ、身体だけ生きてても心が死んだ機械人形みたいな人間と言っていいのか分からないモノばかりになってしまうよ。

苦しそうに甘えた声で貴方は僕に何を求める?
苦しいのは貴方だけじゃないから
作られた静寂がやけに心地よくて瞼を閉じた
今、消えることが死ぬことよりも怖いから

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