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「女らしさ」や「男らしさ」は作られる(ジェンダー活動家になった原体験について)

 私の好きな動画はこれで、まさに今日言いたいのはこれです→ Always #LikeAGirl

 私がジェンダー活動家になるに至った原体験を書きたいと思います。
「プロローグ」
 この間、家の片付けをしていたら、高校生の時に書いた研修レポートがでてきた。(私の母校では希望者は高校1年または2年のときにカナダに研修に行くことができる。2か月弱の研修で、ホームステイしながら毎日学校に通って英語、カナダの文化等を勉強するもの。)忘れていたのだが、その時に1人1テーマ自由に設定して、レポートを書くという課題があったようだ。私のレポートはなんとその名も「カナダの父親と母親の家事・育児分担について」で自分でビックリした。あの時から男性と女性の固定的性別役割分担っていうのに何等か疑問をもっていたんだなあと。。

「小学校からの固定観念の植え付け」
 振り返れば小学校から、後に「ジェンダー」という名前がつく概念について、私は問題意識を持っていたんだと思う。小学校6年生の時の運動会で、応援団なるものが結成された。小学校5,6年生の各クラスからなりたい人2名程度が立候補して、だいたい20名くらいの人が応援団になった気がする。私は、この応援団というものに憧れをもっており、もちろん立候補した。初めての応援団の集まりの時に、まず応援団長を決めることになったので、私は「やりたい」とはりきって立候補!そうしたら!なんと担当の先生が、「そういうのは男子に任せようよ」と私を一蹴。めっちゃテンション下がったのを覚えている。でも同時に、その先生があたりまえのようにそういうなら、私が応援団長になりたいっていう風に考えることはへンなことなのかな、つまり私ってヘンってことなのかな?と感じたことを覚えている。けっこう私はハキハキしていて目立つのが好きな小学生だったと記憶しており、それまでに学級委員長をやったこともあったし、音楽会では指揮者を務めたり、そういうタイプだった。なので、なぜ応援団長は「男子に任せよう」になるのかちっともわからなかったし、なんなら今でもわからない。

「ジェンダーという言葉は知らなかったけど」
 高校生の時に大好きだったのはY先生の世界史の授業。Y先生は「歴史」として語られていることをまた別のアプローチから紐解いて教えてくれる先生だった。印象的だったのは、「アメリカ独立宣言」の中で言われている「人」というのには「女性」や「奴隷」は含まれていなくて、「人」=白人の男性のみを指す、という衝撃の見解。物事の味方がいかに男性目線オンリーなのかっていうのを知ってチョー衝撃だったよ。

「大学での出会い」
 大学1年生のとき、初めてこの「ジェンダー」という言葉を知った。忘れもしない「ジェンダー論」という授業。本当に面白くて、いつも一番前の席でめっちゃ真剣に聞いていた。私がそれまで???って感じていたことや現象をその言葉で説明することができる!と知って腹落ちした。そしてその後今日に至るまで約20年間ですね、ジェンダーの活動家の道を歩んできたわけです。

 「まとめ」
 今日は、自分が「ジェンダー」という言葉に出会って、腹落ちするまでの原体験を書いてみました。私は、もし自分の子供がやりたいことがあったら、何だって応援するし、そんな社会を作っていきたいです。



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