見出し画像

アメリカ アメリカ アメリカ

 60年も前の話で恐縮ですが、中学生の頃、アメリカの
ポップス音楽に夢中でした。
今ではオールディーズというジャンルで懐かしくも少しカビ臭い
ジャンルになっています。
当時テレビを付けるとアメリカのホームドラマが流れていて
夢のような豊かな暮らしぶりに憧れたものです。
学校に行けば給食はパンと脱脂粉乳で、後から聞くとアメリカの
洗脳作戦だったそう です。
家庭用品や電気製品や車のある理想的な生活を見せて、
将来の消費生活の価値観を植え付け、パン食に慣れさせて、
マクドナルドがやって来たといいます。

 先の戦争は、日本の真珠湾攻撃から始まり、
終盤には東京を始め主要都市の絨毯爆撃による
皆殺し作戦を受け、そして人類史上最もひどい虐殺、
二つの原爆で止めを刺されました。
昨年の十月にパレスチナのハマスがイスラエルに
放ったミサイルが発端となってイスラエルは
圧倒的な火力で報復を重ね、目を背けたくなるような
パレスチナの一般市民の惨状がテレビに映し出されています。
国際世論は「イスラエル!やり過ぎだろう」という
パレスチナに同情する論調が主流を成すように
なってきています。
日本の各都市大空襲、広島、長崎の原爆攻撃の惨状も
現代のような画像伝達があって、世界中の人が見たら、
「アメリカ!やり過ぎだろう」とその横暴に対して
世界中が非難したことでしょう。
 
 そのひどいアメリカがわが国を占領して、余った小麦やミルクを
送って復興の助けをしました。
アメリカ兵がキャンディーやチョコレートを配り、
そこに群がるボロボロな姿の子供たちの表情は屈託のない
明るいものでした。
今、その記録映像を見ると、にこやかなアメリカ兵と
無邪気な子供たちのやり取りは、哀しさと同時に
戦争そのものの罪を思わざるを得えません。

 最近、どうして、あれほどひどい事をしたアメリカに対して
日本人はアメリカ迎合に変わって行 ったのかというミステリーを
スウェーデンのストックホルムで起きた銀行強盗人質事件に
擬えて説明している文章を読んで、この「ストックホルム症候群」に
興味をもちました。
この事件をドラマ化した映画「ストックホルムケース」を観てみました。

 強盗が女性行員を人質にして銀行に立てこもる恐怖映画ですが、
強盗が時折見せる女性行員への人間味のある優しい態度に
次第に好意を抱くようになるという筋です。
銃を突きつけられる極限状態で思いやりのある言葉に触れると、
尋常ではない安心感に包まれて、ついには女性行員は犯人を信頼し、
愛情さえ持つようになるという心理現象があるといいます。
どうして、日本人がアメリカに好意を抱くようになったのかの
答えとしては、単純過ぎるように思 いました。

 やはりそこには、日本人の民族的な特質があったように思います。
熱しやすく冷めやすい、嫌なことは水に流して忘れろ、
山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
みんな同じように仏性が宿っている、という感性が
根付いていると思います。
また面白い感性として「習合」が挙げられます。
右向きと左向きの考えがあったら、すぐにその折衷案を考えて、
仲良くなるということです。
神仏習合といって、明治維新までは神も仏も一緒に
拝むのが普通でした。
神とか仏とか言っていても、所詮それを束ねる大本の存在が
あるんだからいいじゃないかという大らかさです。
お正月にはおめでたい七福神、これも恵比寿様以外はインド、
中国の神様たちで、外来のものだろうと
面白可笑しく取り入れてしまう柔軟性があります。
現代のテクノロジーの時代でも、この感性は立派に
活かされて今後も経済大国の地位は揺るぐことはないでしょう。
 
 もう一つ、アメリカへの恐怖心と憎悪をなくしていったのは、
昭和天皇と連合国総司令官マッ カーサーとの
11 回にも及ぶ会見の結果だったと思います。
従軍した父と東京大空襲で逃げ惑い九死に一生の末、
生き残った母がよく話してくれた話しぶりはこうです。
「昭和天皇がマッカーサー元帥に会いに行ったんだ。
マッカーサーはきっと命乞いに来たのだろうと部屋で待った。
すると天皇は開口一番『この戦争の責任はすべて私にあります。
私の身はどうなろうとも構いません、
どうか我が臣民を助けてほしい』と言ったんだ。
マッカーサーはその態度の崇高さに感激して、帰りには
自ら表に出て天皇を見送ったんだよ」

 この話を何度も聞かされて育ったので、天皇誕生日の
一般参賀には家族で出かけたものです。
我が天皇がマッカーサーに掛け合って、平和な国家再建に
協力してもらったから、戦後の復興が立派にできたというのは
単純過ぎるだろうという異論もあるでしょうが、
昭和世代、復興に携わった人々の共通の認識だったと思います。
天皇とマッカーサーが穏やかに並んだ写真を見て、
安心できたのでしょう。
天皇がアメリカさんと仲良くして、いい国作ろうという
意思を示してくれた、こ の一本道を信じて努力した結果が
現代の繁栄につながっていると思います。

 先日、岸田首相が国賓として招かれ、バイデン大統領との
和やかな様子をみて、日米のあゆみについて改めて考えてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?