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三日間限定の三人暮らし

今まで「一人暮らしがしたい、一人になりたい」と散々言っていた。
そんなある日、母親の入院が決まった。
家にいるのは父と弟と私だけだ。
家事全般は私がすることになった。
「もしかしたら一人暮らしの練習になるかも」と思っていた。
その上で、この三日間の記録を、ここに残そうと考えていた。

やる事、やった事、しないといけない事をTwitterに書いていた。
記録を見返しながら、いつも書いている日記に書き写し、そこからここに付け足しながらnoteを書き進めていこうと思ったのだが、筆が進まないことに気がついてしまった。
いつもなら、私は感情や思ったこと、考えたことを文字に、声にすることでアウトプットをし、自己処理をしている。何回も話すうちに何が伝えたいのか、重要な部分が理解でき、回数を重ねるごとに相手に話す時間が短縮されている。
おそらく私のストレスコーピングはこれが性に合っているのだと思う。
今回は、別なのかもしれない。


母親がいない朝1日目。いつも母に叩き起こされる私は6時半にアラームと同時に目が覚めた。しんどかった。

よりによって鬱…

鬱の日だった。放っておけば治る日もあれば寝てないとずっと口を利かないほど黙り込むのがいつもだ。でも、そんなの気にしていられなかった。私にはやることがたくさんあった。まず洗濯を回し、朝ごはんのおかずを作り、弟の弁当を作り、のそのそと起きてきた父のご飯をよそい、弟を起こし、食べさせ、自分は軽く済まして、私は飲めないコーヒー用のお湯を沸かし、洗濯物を干して、朝ごはんの洗い物をして、、

そこまでは記憶がある。あとはあまり覚えていない。恐らく掃除機をかけたり配信もなんとなくした、?前日か?ひたすら黙々となにかをしていた。落ち着かなかった。

夜になって、やっと気付いたことがある。

何かをしていれば、ひたすらその事に集中し続ければ、
鬱状態という事実から切り離される

なぜなら私の目の前には誰かがやらなければ困ること、それをする人は私しかいないという、なんとも避けれない事実しか広がっていないからだ。

いつも鬱状態のときはひたすら自室のベッドに籠り、寝れるわけもなくただただ日が落ちて夕飯に呼ばれるのを待つか、トイレにしか行かない。そんな私を父は「甘えているだけだ、しっかりしろ」と叱りつけるので、部屋にいるのさえも避けていた。
ただひたすらに、怒られたくなかった。
怒られたくないその一心で普段絶対しない部分の掃除にやたらと力を込めてみたりした。

床下収納のラックの底に落ちている髪の毛を拾ったり、野菜室の掃除をしたり、洗濯機のフィルターのカビとり、浴室の床のオキシ漬け、なんでもやった。
現実逃避だったと今になって思う。


親には、綺麗にしてみたかったし、ずっと気になってたから。と言った。半分正解で半分間違いだ。
特に褒められたわけでもなかった。少しくらい褒められると思っていた。でも言わないと気付かなかっただろうし、したところでなにも変わらない。

現実逃避の方法を1つ覚えた。

この3日間、一人暮らしの練習だ~と思っていたが、実際はそんなものじゃなかった。一人暮らしと三人暮らし一戸建ての掃除の範囲と洗濯、料理の量は比にならない。ただ疲れる、それだけだった。別に自立できるための何か特別なスキルは身に付かなかった。買い物しようにも免許が取れないのでバスを使うしかないし、買おうとする物が高いのか安いのか、他の所で買った方がいいのか、何ひとつ分からないまま母親は帰ってきた。

そして今、私はバイトから帰ってきて布団で暖まりながらこれを書いている。

何も変わらなかった。
お母さんがいないと全然何もできなくて困る!!
ともならなかった。
やろうと思えば洗濯も掃除も炊事もゴミ出しもできる

変われると思った私がバカだったのだろうか。

母親が帰ってきた次の日の朝からバイトは入っていたし、その次の日も掃除をしていた。

よく分からない3日間だった。
面会禁止の状況下、偶々ナースステーションに来た母親と会った。
会いたくなるはずだったのに、会いたくなかった。顔もみたくなかった。なぜか泣いた。
感情が消えたのかと思った。

自分は飲食店でバイトをしているが、初めて夜まで営業しているレストランに感謝した。調理も洗い物もしなくていい。なんと有難いことか。


一人暮らし、向いてないかも。


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