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『◯商、取り壊しになるんだって』
友人は言った。
ついに来るらしい、母校が無くなる日。
故郷が無くなってゆく。
一度無くなり、無くなったまま、無くなってゆく。
文字通りそれは、跡形も無く。
よく、どうして岩手に帰らないの?と聞かれる。
何も無いから、と答える。
田舎なんて何も無いのがいいんだよ、と言われる。
その人の目には確かに、故郷の何か面影が写り込んでいる。
そういうんじゃない。
そういうんじゃ無いんだけど、そういうんじゃ無い事を説明することがなんとなく、自分が普段見て見ぬように遠ざけている事を自覚させてくるような気がして、次の言葉を躊躇ってしまう。
あると思えばあるということくらい、知っている。
それくらいは、知っている。
あることにはあるということくらい、知っている。
それくらい、分かっている。
でも、無いことの方を認めたい。
無くなった事を、無かったことには出来ない。
その事実を見てみぬふりする方が、よっぽど、あの町で生きた16年に背を向けることになる。
あの日以降、あの日以降の話ばかりが世に出る。
あの日以降に足を踏み入れた人々、関心を持った人々が多いから、当然のことであるが、忘れてはいけない過去がある。
あの日を忘れないことも大事な事で、あの日以降の日々を“良かったもの”として信じようとする事も、“意味のあるもの”だと認めようとする事も、どれも大事で、そうする事で生きてこられた節もある。
一方、あの日より前のことを“在ったもの”として振り返る事も大事な事で、あの日以降は“無くなったもの”として認めようとする事も、それも大事で、そうする事で生きてゆける節もある。
また一つ、私たちの故郷が無くなってゆく。
まっさらになった私たちの故郷はおそらく、あの頃の私たちの手無しでは復活できない。
あの頃の私たちは、あの頃の故郷無しでは、帰らない。
お互いが手を離し合った切なさだけが、東北沿岸の小さな町をひっそり包み込む。
別に何かを提案できるわけでも無いし、何千万と故郷に寄付できるわけでも無いから、私は今をこのまま生きていくしかない。
それがとても切なくて、少し後ろめたいような、そんな気がしても、立ち止まる事もできない。
ただ、故郷が無くなって、無くなったまま、無くなってゆく事が、淋しくて仕方ない事を綴っておきたい。
ただ、その気持ちだけを、残しておきたい。
このまま、無くなってゆくから。
だれも、止められないから。
だからせめて、綴らせて欲しい。
故郷を想いながら、手放す故郷の記憶。
寂しいだけ。虚しいだけ。
こんな風に、無くなってゆく事。
誰のせいでもないことが
ただ、切ないだけ。
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