最低の夏

しゅわ、しゅわ、しゅわ

 青い空、白い雲。
 目を焼く光、肌に照りつける紫外線。
 どこかの町では例のごとく四十度の気温を記録したと今朝のニュースで見た。
 こちらに来てから何度目の夏だろうか。たまには帰省しろと母親から連絡があったような気もするが、結局帰るのはいつも年末だ。
 汗ばんだシャツを着替え、髭を剃る。
 今日も暑くなりそうだ。

「今日、最後だしさ。お店も予約しちゃったし頼むよ」
 会社に着いて開口一番、同僚からそんな話を聞かされる。できれば静かに会社を去りたかったのだが、どうやら会社の方はそうではないらしい。サプライズで送別会を用意していてくれたようだ。こういう時くらいしか社内懇親の場がないとも言えるが。
 せっかくの好意を無下にするわけにもいかず、悟られぬよう渋々頷く。たまにはこういう付き合いに顔を出すのもいいだろうという気まぐれもあった。

しゅわ、しゅわ、しゅわ

 朝礼を済ませ、後輩を連れていつものように外へ出る。彼への引継ぎも兼ねて今日は取引先手早く回って行かなければならない。
 それにしても、と振り返る。
 春夏秋冬いつも外を歩いてばかりだったのに、自分が知っている風景は驚くほど少ない。いつも決まったルートをいつも決まった時間に歩き続ける。一本脇道に逸れたところに何があるかなどてんで未知の世界だ。
 それにしても暑い。夏は嫌いだ。
 冬は着こめば何とかなるが、暑いのばかりは肉まで脱いでも暑い。まったくたまったものじゃない。

しゅわ、しゅわ、しゅわ

「辞めた後、なんかするんですか」
 会社への帰路、後輩が尋ねてきた。
 何か、か。特に考えてはいなかった。もっと言うのならば辞めるという決断も、節目を迎えて何か変化が欲しかったという漠然とした理由からだった。
「海とかいいと思いますよ。しばらく晴れみたいだし、白い砂浜でバーベキューとか最高の夏!ってカンジじゃないですか」
 適当に相槌を打ちながら彼の描く最高の夏というものを頭の隅に記憶していく。

しゅわ、しゅわ、しゅわ

 送別会もつつがなく終え家に帰る途中、コンビニの看板が誘蛾灯のように私を呼んでいる気がしてついつい入ってしまう。
 大して必要とも思わないくせに酒やつまみ、適当な菓子や雑誌などもポンポンと籠に入れてから四桁の買い物になってしまったことに気付く。しかし今更棚に戻すのもなんだか癪でそのままレジへと進む。
家のドアはいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。
先ほど買ったビールを冷蔵庫に入れ、あとはそこらに袋から出しもせず無造作に置く。
これからすぐに何をしようかなんて考えてないし考えたくもない。
どこかへ行こうとも思わない。もとより外の世界に興味があれば働いていた頃に早々に寄り道でもして楽しんでいただろう。
それに、今まで散々暑い中歩き回ったんだ。今更どうしてまた暑い思いをして出かけなきゃならない?
そんなことよりも、だ。
まずは風呂に入ろう。そして二十六度のエアコンの中で冷やしておいたビールを飲もうじゃないか。どうせ明日から何もない。いっそそのまま海外ドラマでも通しで見ようか。そして眠くなったら目覚まし時計をかけずに寝てみよう。
ああ、考えただけでワクワクする。
さあ、最低の夏を始めよう。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?