エロ司

かつてはでも、明るかった人。 今はちょっと暗い。

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BITTER 90'S BLUES

 最近は少しずつ精神に平穏が戻ってきたので、一日に数回程度はタイムラインに目を通すようになった。そんな中流れてきた「91年生まれ大反省会」のツイート。自分も今年30になる91年生まれではあるが、個人的には「時代の移り変わりと共に価値観もアップデートされていく」というのは社会進化論的な傲慢に基づいた幻想であり、単に信奉する権力が変わっているだけに過ぎないと考えている。   当該ツイートの内容を概観すると一見、権力的、抑圧的な価値観に対するカウンターのように見えるが、旧態依然と

    • 生きるに値しない命

       先日の「死刑執行の当日告知は違憲」という死刑囚の訴えが棄却されたニュースを受けて、死刑の是非や死刑囚の人権についての見解を表明するポストがちらほらタイムライン上に見受けられました。  自分はというと、これまで死刑に関する全ての議論について単純な性善説と性悪説の対立構造だと認識していたこともあり、性悪説に基づく犯罪の抑止力としての死刑の運用に長いこと肯定的な立場を採ってきましたが、最近はそこに少しずつ変化が表れてきています。以前までの自分の「死刑」に対する認識は「凶悪な犯罪

      • 『バカ』の壁

         どうやら現職の静岡県知事が「野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいはモノを作ったりとかと違って、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです。」と発言して、それが差別発言にあたると炎上していたようで。個人的にはそりゃ燃えるわな、という感想しかないのですが、ひとつだけ確実に言えるのは本邦においては「知能/知性」が人間のあらゆる能力の中でも特権的な地位に置かれている、ということですね。例えば、人種なり出自なり所属に基づく差別の場合、そもそもその差別構造自体が否定される

        • 愛の脱走するけど毎回ゲームオーバー

           発達障害をはじめとした先天的な動作性の欠如やある種の精神の繊細さに対する理解が社会に浸透してきたことによって、SNSなどの言論空間において「逃げてもいい」という旨の言説をよく見かけるようになった。重度ADHD診断済みの筆者にとって、そのような論調が優勢となることは本来好ましい筈であり、筆者自身が土壇場で「逃げる」という選択を採ったこともこれまで少なからずあったわけだが、この手の言説に対しては何とも言えない違和感を拭い去れずにいる。なぜなのか。それはきっとこれらの言葉の殆どが

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        BITTER 90'S BLUES

          Who killed His Majesty The Emperor?

           今、X上でにわかに「自己肯定感」が話題になっている。話を掘り下げていくとどうやら"なぜ「自分が人から大切にされる価値がある」と思えるのか教えてほしい"という内容のポストが発端のようだが、個人的な肌感覚としては「自己肯定感」という概念自体が自己肯定感の低い人間特有のものであり、いわゆる”自己肯定感の高い人間”というものは、初めから存在しない可能性が高い。一見対極のように見えるが、実は全く別の存在である"彼ら"にその源泉を問うてみたところで、我々が生きていく上で有用な知見は殆ど

          Who killed His Majesty The Emperor?

          「デリヘルなんです。」

           都心では新型コロナウィルスが猛威を振るい始めていた昨年のGW。俺は矢面に立つ覚悟ひとつぶら下げて、五日間に渡る一人旅を敢行した。春先に完成した自著を友人の営む古本屋に届けに行くついでに、瀬戸内の町々を徒然に巡ってみようと衝動的に思い立ったのだ。内容はと言えば、尾道で深夜の商店街の静謐を軽やかに乱してみたり、キャリー片手に因島を徒歩で縦断したり、古色ゆかしき今治の街並みの猥雑に耽溺したり、道後で懐かしのストリップ観覧に興じてみたり、瀬戸大橋線の車窓から望む島々の湛える神秘性に

          「デリヘルなんです。」

          real emotion

           「エモい」という言葉が人口に膾炙するようになって久しい。おそらくその源流は音楽にあり、十年ほど前からライブハウスや終演後の居酒屋などで局地的に耳にしていた言葉ではありましたが、まさかここまで覇権を握ることになるとは想像だにしていませんでした。実際のところ、自分の中の「エモい」は未だに「eastern youthを評する時に用いられる語彙のひとつ」という認識で止まっています。「一切合切太陽みたいに輝く」とか「雨曝しなら濡れるがいいさ」とか好きです。  とはいえ、手掛けている

          real emotion

          心中したいならONE PIECE

           ワンピースが好きだ。「ワンピースが嫌いそう」というパブリックイメージを逆手に取り、「こう見えてワンピースが好きです」的なギャップを演じていると見せかけて実は本当に好きなのだ。小学生の頃、誕生日に単行本を1〜10巻まで買って貰ったことに始まり、今は無き地元の東映劇場へ「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」と同時上映だった「劇場版 ONE PIECE」を観に行った時には、最初は渋々の同伴だった父が思わず「面白いな」とこぼしている姿を見て、子供心ながらに「どうだ、ワンピ

          心中したいならONE PIECE

          無題

          多分、頑張ってきた。 必要のない枷を掛けて、 理解されない掟を課して、 踏み外さないよう、 取りこぼさないよう、 されど気を遣わせないよう。 でも無理だった。 俺が信じて頑張ってきたことは、 多くの人間に嘲られ、 軽んじられ、 そして疎まれるものだった。 俺のことを好きだと言いながら、 俺が一番困るコミュニケーションを図ってくる人。 己の言葉に責任を取るための行動を攻撃する、 その場の空気と感情で言葉を垂れ流すだけの人。 当たり前の事ができない一事を以て俺を見下す、 実際はた

          君はロックを知らない

           今朝、中学時代の担任のエピソードをツイッターに投稿したのだが、実はこの担任と自分との間には浅からぬ因縁がある。人生の第一期「スクールカーストウォーズ」において、彼女は自分の前に明確な「敵」として立ちはだかった初めての大人であり、卒業までその立場を頑なに貫き続けた人だった。そして彼女のその選択が、当時の自分にとって「最も忌むべき偉業」であったことは疑いようのない事実だ。今回はそんな彼女と自分の戦いの日々とその顛末を、ここに記してみようと思う。  その教師は俺たちが二年に上が

          君はロックを知らない

          暴力にくちづけを

           女性が好きだ。そう口にすると大抵「女好き」というニュアンスで理解されてしまうが、この「女好き」に含まれる「女」とは基本的に「自身に利益をもたらす者」とニアイコールであり、自身にとって無価値もしくは害を及ぼすという判断が下された瞬間、「女好き」は容易く「女性嫌悪」へと変貌し得る。勿論それはこのケースに限った話ではなく、「女」の部分に何を当て嵌めても成立し得ることではあるが、利益によってのみ担保される関係であればそれは「好き」ではなく「価値がある」と表現するのが筋だと考えている

          暴力にくちづけを

          マイ・アンビエント・ミュージック

           ツイッターで音楽の話をすることはあまり無い。わざわざ公の言論空間で発信するからには最低限「オピニオン」もしくは「エンターテインメント」たるものでなくてはならないという自身の強迫観念めいた拘りから、私的要素の濃い領域に関しては意識的に遠ざけるようにしているが、あくまで積極的に話すことがないというだけであって、改めて振り返ってみると、それなりにノーミュージックではノーなライフだったと思う。  表題の「アンビエント・ミュージック」は本来、空間に雰囲気を添える「環境のための音楽」

          マイ・アンビエント・ミュージック

          こんな時代に生き延びるだけでも

           ここ数日、「いじめ」についての議論が紛糾している。個人として「いじめ」の是非を問われれば、おそらくノータイムで「到底許しがたい卑劣な行為」と心から答えるだろう。しかし、過去の被害経験に基づいた当事者の「怒りの声」に関しては、発生の抑制や制度の是正といった対策よりも加害者に対する断罪や追及という目的へと向かいやすいため、オピニオンとして扱うことにはある程度慎重を期するべきではないかと、個人的には考えている。  とはいえ、今回のケースのようにその内容の凄惨さがクローズアップさ

          こんな時代に生き延びるだけでも

          愛しさを知るほどに老いてゆく

           恋愛脳と言うわけではないが、恋愛について考えることは多い。基本的に、何もしていない時はだいたい性愛か恋愛、もしくは暴力と差別について考えている。こう書いてしまうとただの異常者だが、単純に人と人との関わりの種類の中でも、より対象への強烈な指向性を帯びたものに興味があるというだけのことだ。幼稚園の頃、七夕の短冊に「好きな子と同じクラスになれますように」と書いたのが、自分の原初の恋愛感情だったと記憶している。小学校に上がると、朝礼台の上で衆目の中キスをするカップルが現れたりした。

          愛しさを知るほどに老いてゆく

          We're lost in a "tasquerade"

           昨年秋に、軽度のADHDと診断されました。思い当たる節はいくらでもあったので、診断そのものに対して抱いた感想は「ですよね」くらいの素っ気無いものではあったものの、長年悩まされていた自身の不具合に正式な病名が付いたことで、常に張り詰めていた気を少しだけ、緩めることができるようになりました。薬はストラテラを処方して貰いましたが、あろうことか服用を始めて僅か一日で不能の兆候が表れたので怖くなって辞めました。今は何も飲んでいません。  というわけで、今回は三十年来の悪縁であるAD

          We're lost in a "tasquerade"

          「しない」ということを「する」ということ

           「言ってほしいことを言ってくれる人」よりも、「言わないでほしいことを言わないでいてくれる人」の方が人間関係において大切なのではないか、という話。  思わず頷いてしまいそうになるが、「言わないで欲しいことを言わない」というのはそれ自体が行為を伴わない相対的なものであるために、その達成が相手に伝わりにくくなっている。実行、貫徹には相当な配慮と想像力が求められるにも関わらず、短期的なリターンはほぼ無に近い。むしろ長い目で見ても気付かない人は永遠に気付かなかったりするわけで、どち

          「しない」ということを「する」ということ