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【幼児にもいじめは普通にある】~保育園児の小さな女王様達~

#エッセイ #体験談 #幼児のカースト #幼児は無邪気ではない #幼児故の残酷さ #皮膚レベルのペルソナ

子どもは純真無垢な生き物。世間ではそれが常識としてまかり通っている。しかし、それは真実だろうか?

心からそう思えるのは幸せな幼児期を送った人だけで、それ100%間違いだと断言出来るのは、男女を問わず、かつ不幸とまでは言わずとも、幼児期に幼稚園や保育園で不幸な経験をした人は、程度の差はあれ、誰しもそう思っているのではないかと思うのだ。

子どもはその無垢さ故に残酷な生き物だと、私はそう思う。ただし今回取り上げるテーマは、昨今頻繁している幼児虐待や、それに起因する虐待死とはまったく関わりのない件である。

【年少クラスのとき、同じクラスだったマリコちゃん】

マリコちゃんは3歳にして、年少組ーー仮にひよこ組とするーーの女子のカースト上位者だった。いつも全身赤い服を着て、髪も毎日違うヘアゴムで結び、とにかく気が強かった。彼女の気の強さを現すような吊り眉と吊り目は、いまだに記憶に鮮明に残っている。

マリコちゃんは、ひよこ組の女子達を配下に置いていた。いつそうなったのかはわからない。気がついたらそうなっていたのである。

マリコちゃんは園児の女児が集まると、毎日必ず同じ命令を下した。服の中に、

「女の子色」が入っているかどうかを、数ヶ所に渡って確認するのである。

ジェンダーレスが当たり前になりつつある現代ならバカバカしいことこの上ないことだが、40年近く前の時代においては当たり前のように、

「女の子色」             「男の子色」

という区分があった。

「女の子色」はピンクを代表として暖色系、「男の子色」は青やグレーなどの寒色系。

マリコちゃんは組の中の女児を集め、服の中に「女の子色」がいくつ入っているかをチェックし、一色でも欠けていたらその子は仲間外れ、という、今にして思えば、

「あよ、聞いてんのかよ。たかだが3歳の女っ子のクセしゃァがって、あに調子こいてやがんだァよ、おらさおめェの首、一捻りしておっかくこどぐれ、出来んだぞ」

と、胸ぐらをつかんで地元弁で脅したいとこれだと、マリコちゃんは私が当時の保護者だったらそうしてもいいぐらいのクソのつく位のメスガキだった。

マリコちゃんは「今日着ている衣服」の中に「女の子色」が1色もない場合は、仲間外れ決定。その日1日ハブられる。だか、私は別に疎外感や寂しさを感じることはなかった。1人で本を読んだり粘土細工をしたり、仲のよい男の子とふたりと戦隊ごっこが出来るから。

しかし、それでもマリコちゃんは私にとって脅威であった。お迎えの時間が迫ると、マリコちゃんは唐突に命令するのである。

「明日は全員スカートを履いて来い」と。

服装が自由に選べる家庭なら問題ないが、私の母は私がスカートを履くことを基本的に禁じていた。理由は風邪をひくから。しかしそれは冬場に限った話ではない。風邪をひくは名目で、母は私がスカートを履くことを絶対に許さない主義だった。要するに、少しでも『女の子』的な服装をすることを忌み嫌っていたのだ。

だから私はマリコちゃんからスカート着用を命令されたときは必死に訴えた。交換条件としてタイツを履けば何とか許されたが、ある日、何の勘違いかマリコ命令のスカート着用日でもないのにスカートを履いて登園したら、

「何でスカート履いて来いって言ってないのに、スカート履いてんだよ!」

と、平手打ちされた。あの時の理不尽さは、40年近く経った今でも忘れられない。

ちなみに、マリコちゃんは年中組に上がる少し前に、遠方に引っ越した。小さな女王様がいなくなってからの保育園生活は、とてつもなく平和になった。当時は思いもよらなかったが、マリコちゃんの家庭環境とはどのようなものだったのだろう。

両親についての話や噂は、一切耳にした覚えがない。園への送迎時に、彼女の母親と対面した記憶もない。しかし、わずか3歳にしてあの暴君ぶりは、やはり家庭か生育環境に、何かしら問題があったのではないかーー。

【年長クラスのとき、同じ組だったヤスヨちゃんとタカシくん】

ふたりから日常的にいじめられていた事実は、一切ない。しかしある日の昼食の時間の際の出来事は、いまだに鮮明に覚えている。私の通っていた保育園の年長組、つばめ組(仮名)は、①②組と別れていて、例えば、

【つばめ①組】は来年小学生、4月から12月生まれの園児達のクラス。

【つばめ②組】は来年小学生の1~3月生まれの早生まれの園児と、再来年小学生の園児が混同した組で私はつばめ2組(早生まれ)の園児だった。

恐らく、小学校の給食当番に慣れるためのプログラムの一貫だったのだろう。給食の配膳は保育士(当時は保母)が行っていたが、1ヶ月交代でランダムに机を4人組で合わせて正方形の形状にし、1週交代で4人のうち1人が机を拭く、台ふきん係というものがあった。

私がその台ふきん係に当たった週、私は教室の外にある水飲み場でふきんを濡らし、しぼって机を拭いた。

しかしヤスヨちゃんもタカシくんも、

「ふざけんな!」と私を罵った。

全然ふきんが絞れていない、びちゃびちゃじゃないか、と、ふたりががりで私を責めたのである。

「ちゃんとおふきん絞れるまで、私達の班、ご飯抜きだからね」

ヤスヨちゃんの強い言葉に圧され、私は何どとなく台ふきんを濡らしては絞り、ダメ出しされ、濡らしては絞り、ダメ出しを繰り返したかわからない。ただ、保育園の昼食時間帯だ。当時の私にはとてつもなく長い時間のように感じられだが、実際は10分か、どんなに長くてもせいぜい20分程度だったと思う。

私が水飲み場で、涙目で台ふきんを絞っていると、担任の保育士の先生が血相を変えて私を教室に入れ、机を拭かせた。

ーー後で聞いたところによると、真相は、ざっくりこんな感じだった。

他の班がとっくにお弁当を食べているのに、私の班だけ食べていない。理由を聞くと、

「だってマキちゃんがおふきん絞れないから」「だから俺ら、あいつがちゃんとおふきん絞れるまでご飯食べらんないんだー」

「「マキちゃんって、ホントにダメな子だよねーーだから私達、俺達、まだご飯食べらんないんだから」」

園児のひとり(私)がそんな状態になっていたことに気づかずにいたことに血相を変え、ヤスヨちゃんとタカシくんを、

「どうしてそんな意地悪するのっっ!!!」

と、怒鳴りつけたとのことだった。

そして私は乾いてしまった台ふきんで机を拭くと、先生が私の隣に座ってお弁当を食べ始めた。(これは私をヤスヨちゃんとタカシくんから悪口を言われないよう、守るための措置だったのだと思う)。

班内に、ヤスヨちゃんとタカシくん以外にもうひとり園児がいたのははっきり覚えているのだが、名前も性別も思い出せない。彼だか彼女には申し訳ないが、そのときの私にはそれほど余裕なかったのだ。

タカシくんの母親は息子2人の立て続けに男の子を2人を産んで「女の子が欲しい」が口癖だった。自分の存在を否定されたように感じていたのだろうか?

ヤスヨちゃんは、いわゆるわがまま放題に育てられた第1子長女で、小学校入学と同時に上級生達から目をつけられ、いじめこそ受けなかったものの、

「ヤスヨは生意気」

と嫌われ、チクチク陰口を叩かれていた。

ーー幼児は決して純真無垢ではない。

特にヤスヨは、普段は優等生の皮をかぶった、陰湿ないじめっ子だった。幼児は二面性を使い分け、どうすれば親や先生を初めとした周囲の大人達から「いい子」と呼ばれ、いかにしてそれがバレないようにいじめを楽しむ術を、大人以上に心得ている。

ウチの子に限ってーーは、どの家庭にもあり得る。

母親であり、父親であるあなたに見せている顔がいい子の仮面である可能性は、充分あるのだ。もしあなたの子が皮膚と変わらないレベルの仮面を持っていたとしたら。       あなたは親として我が子のその仮面に気づき、その仮面を剥がせる自身があるだろうか?






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