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【知的障害児を普通学校に通わせ、普通学級に入れるのは親のエゴでしかないと考える持論の由来】

#エッセイ #体験談 #差別と区別の違い #障害児いじめ #インクルージョン教育

【小1~6年生まで同級生だったJくんの場合】

私の小学校時代の同級生には、知的障害児の男児、Jくんがいた。1~4年生では比較的普通に過ごせていたが、それは担任が勝手に任命した「お世話係り」の女の子がいてのことだった。お世話係りに任命されるのは、決まって成績優秀な優等生の女子。

だが、のちに彼女らは一斉に語った。

「はっきり言って、迷惑だった」と。

5~6年生になると、彼の自立を促すためかお世話係はいなくなったが、代わりに彼はDQN系男子達から執拗ないじめを受けるようになった。私の通学していた小学校には支援級がなく、普通クラスに障害児を組み込むしかなかったのだ。

Jくんの年の離れた姉であるお姉さんは中学受験をし、全寮制のミッション系の私学に入っていた。当時はまだ一般家庭では中学受験は珍しかったことに加え、中1から寮生活というのはかなりレアケースだったため、恐らく、母親の負担を少しでも減らしたいという部分もあったのではないか。

地元でお店を経営していたJくんのお母さんは、Jくんの小学校卒業とともに息子を地元の支援学校の中等部に進学させると同時に店を畳んだにも関わらず、引っ越しもせず、そのまま地元で暮らし続けていた。

それは恐らく、Jくんの送迎や勉強を見るためだったのかと推測出来るが、真偽のほどはわからない。Jくんのお母さんは他の健常者の保護者達から影口を叩かれていたとの噂もあったが、実際、Jくんは6年生時の修学旅行に参加していない。

修学旅行の当日「Jは発熱したため欠席させます」との電話が担任に入ったと聞かされたのだが、今にして思えば、それは嘘だったのかも知れない。

息子が修学旅行に参加したらクラスの皆に迷惑をかける。あるいは、彼をいじめている男子達から宿泊先で、夜にひどいいじめを受けるかも知れない、という二重の心配が重なっていたのかも知れないーーと思うようになったのは、成人してからのことだ。もちろん、本当に発熱していた可能性もあるが。

【保育園時代から一緒だったSくん兄弟の場合】

Sくん兄弟は、兄弟揃って知的障害児だった。私から見てS兄は1年後輩、S弟は2つ後輩の年子。ふたりとも健常者として生まれたが、兄が先が弟が先か、風邪を拗らせて脳炎を発症し、どちらかが風邪を貰い、ともに脳炎で重度の知的障害児になってしまったという過去がある。

S兄もS弟も、私の通っていた小学校の普通学級に入学した。前述のJくんとは違って兄弟ともに小学校時6年間は誰からもいじめを受けることはなかったが、問題は中学に進学してからである。Sくん兄弟の母親は中学生になっても支援学校に進学させず、支援級のない地元の公立中学校には進学させたのである。

兄も弟も、揃って。

小学校で大丈夫だったから中学校でも大丈夫だろうと思ったのか、それとも、母親がいわゆるインクルージョン教育方針だったのかはわからないが、兄弟はクラス内ではごく普通に学校生活を送っていたが、問題は部活だった。

現在ではサッカー部の人気に圧され、野球部の人気は桁違いに部員数も下降しているが、当時の野球部は男子生徒のみでの運動部内では、圧倒的に入部者が多かった。

皆さんも心当たりがあるだろうが、野球部は、圧倒的にヤンキー未満のDQN男子部員が多い。Sくん兄弟は、不幸にもそのDQN部員達のターゲットにされてしまったのだ。

体育倉庫に押し込まれ、兄と弟と交代でフェラチオをさせられる。または、兄と弟でシックスナインの体位にさせられ、フェラチオを。

ふたりが奇声を発しながら射精する様を、先輩部員達は腹を抱えて笑っていたという。ちなみにこの先輩部員達は、私の同級生にあたる。

この件は男の子でも胸糞極まりない話だが、これが仮に女の子だったら、避妊もしない集団レイプに発展し、妊娠、中絶という悲惨な状況に発展していた可能性も充分にあり得るのだ。

赤の他人の私がいうことではないだろうが、不幸中の幸いだったのは、当時はまだネットもなく、携帯電話もPHSもただの電話でしかなく、写メも動画も撮れる機能もなかったことだ。 もしこれが現代だったら、SNSやYouTubeに動画をアップされ、拡散されていただろう。そこから学校が特定され、加害者やその家族の実名や住所が明かされてネット上に拡散されてしまい、それによってまともな人生が送れなくなってしまえば、その連中に対してはザマァwwwの一言に尽きるが、万が一S兄弟まで身バレしてしまったとしたら、それはあまりにも酷な話だ。

そのときの状況を、笑いながらクラスメートの野球部員の男子達が皆に話す様は、まるで昨晩見たお笑い番組の感想を語るのと何ら変わりない調子だったが、私はおぞましさしか感じられなかった。

正義漢ぶるつもりはまったくなかったが、どうしてそんな鬼畜な真似が平気で出来るのだろう。どうしてそんな行いを楽しそうに話せるのだろうと。

現在私は40歳を過ぎ、30歳から毎日の服薬が欠かせない持病持ちの身になった故、もはや妊娠も出産も不可能であるが、その話を耳にした14歳@中3のとき、

「もし私が将来生んだ子が知的障害児であったとしたら、絶対にその子は初等部から支援学校に入れよう」と固く決意した。

さらに、この野球部員達の話には後日談がある。

S兄のお母さんは、信じ難いことに息子ふたりの部内での扱いにまったく気づいていなかった。S兄の1つ上の、例の先輩達が3年生ーー私の同級生達ーーが卒業する際に、S兄のお母さんは彼らに大学ノートを一冊、3年生部員全員分、お礼と卒業祝いを兼ねてプレゼントしたのだが、その大学ノートはすべて、未使用のまま、当時まだ店外に設置されていたコンビニのゴミ箱行きになったという。

健常者の子どもは男女問わず、知的障害児を見下し、忌避する。私が知的障害児は小学校=初等部から支援学校に入れるべきだと思うのは、こうした嫌な出来事を端から見る経験を重ねて来たからだ。

支援級のある学校でも、私は知的障害児を預けるのには信用するに値しないと思っている。

子どもは残酷だ。何しろ、健常者の悪ガキやDQNにとって、知的障害児ほど面白おかしく扱える、玩具的存在はないのだからーー。






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