考えて生きてきたかな?

先日、STORY WEBで、エッセイストのジェーン・スーさんとモデルのHARUKOさんによる人生相談を担当させていただきました。

その中で、「真似っこばかりするママ友に困っている」というお悩みがよせられたのですが、回答として、ジェーン・スーさんがおっしゃった「自分で考えて自分で決める訓練をしてこなかった人が女性には少なくなく、他人の真似をすれば、自分で決めなくていいのでラクなのだ」という趣旨の言葉にわたしは妙なひっかかりを感じました。

え、それ、もしかして、私のこと。。。。。。?

高度成長時代に生まれ、バブルの時代に就職、結婚した今の50代、60代は、みんな同じような価値観を持ち、主流からはみ出さずに、表街道を歩き続けることが一番の幸せと信じて疑わなかった世代です。私もその典型で、なんとなく時流に流されてここまできて、考えてきたようで、実は、思考停止だったのではないか、自分で選択をしてこなかったんじゃないか、とふと思ってしまったのです。

え、いまさらそんなことに気付いてどうするのよ、思春期でもありまいし。。。。。

考える作業とはどういうことか?

ライターとして仕事をしているときは、ちゃんと考えているんですよ、ほんとに。例えば、どなたかの取材に行く。そもそも、このテーマについて話してもらうには、どの方に聞くのがよくて、どの方の話が、ターゲットにしている読者さんに響くのか、問題意識を持って人選し、オファーをします。取材前には、本を読んだり、ネットで情報を集めたりして、よく調べ、必ず実際に会って、肉声で話してもらって、それを記事にまとめています。会うというのは取材の肝で、会ってみないと、持っている雰囲気とか、声のトーンとか、話し方とか、全部から醸し出される雰囲気のようなものがわからない。自分の目で耳で肌感覚で感じて、そこに、媒体のテーマを掛け合わせることで、ようやく何を書くかが見えてくるのです。

一時情報にアクセスして、五感で感じて、自分はどうするかを決める作業を『考える』と呼ぶとすれば、私は、そのやり方を知らないわけではないんです。でも、その作業を、自分の生活の中でしてきたかなと問うと、全然やってこなかった気がします。テレビのコメンテーターの発言をうのみにしたり、新聞の社説を自分の意見のように勘違いしたりしていて、ちゃんと、事実を見て、自分で分析したり考えたり、アクションを起こしたりしてきたかというとかなり疑問に思えてきます。

気付いて以来、私は、ただ流れてくるテレビの情報番組を見るのを控え、新聞やネットで、自分からニュースにアクセスして、このできごとについて自分はどう思うか?ということをいちいち考えるよう心掛けています。

不謹慎な言い方ではありますが、コロナの感染者数が再び増えてきている今は、考えて選択し、行動するいい訓練になるとも感じます。例えば、友達にごはん会に誘われたとして、参加するかしないか、といった小さなことでも、みんなが行くから私も、なんてことにはできないし、小池さんの言われたから自粛するというのも、ちょっと違う気がします。自分で考えて選択し、行動しなければ、納得できないし、そのリスクは自分でとることが求められているときだなと感じます。

若者は、大人よりよっぽどよく考えてるし発信している

私たちの世代に比べて、息子たちの世代は、自分の見方でものを見ることが自然にできているなあと感じます。テレビや雑誌に飛びつかず(残念なことではありますが)、自分が面白いと思ったニッチなものを選び、それぞれが、嗜好を尊重し、徒党を組まない。そして、教室でハイって手を挙げて発言するよりも、ずっと気軽に、当たり前のように自分の言葉で発信する。

今どきの若者は、すごいです。本当に学ぶことがいっぱいあります。

気づきを与えてくれた、ジェーン・スーさん、ありがとうございました。気づいてしまったので、大変遅ればせながらですが、ちゃんと考えて選択する人になれるよう、訓練して、ちゃんとした大人になろうと思います。

ちなみに、一緒に対談をしてくださった モデルのHARUKOさんは、私よりずっと若いのですが、私は彼女をとても尊敬しています。プライベートに関する取材も何度かさせていただく中で、この人は、しっかりと考え、自分で選んで生きてきた人だなあと、強く感じることが何度もあったからです。こういう若い素敵な女性からたくさん刺激をもらえる環境にいるということは本当にありがたいことです。

最近HARUKOさんもnoteを始められました。ありったけの素敵が詰まっているので、ぜひ、こちらもご覧ください。

ジェーン・スーさんの新刊もほんとにおもしろいので、ぜひ読んでみてくださいね。


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