みーにゃん

脳腫瘍と高次脳機能障害を持った夫が長年の闘病の上、旅立ちました。すごく貴重な体験をさせ…

みーにゃん

脳腫瘍と高次脳機能障害を持った夫が長年の闘病の上、旅立ちました。すごく貴重な体験をさせてもらえたな、と思い、その過程で経験したこと、感じたことを追悼がてら、つぶやいてます。看護/介護ってドロドロ辛いことだけじゃなく、楽しいこと感動することも沢山あると伝えられたら。

最近の記事

闇落ちの日々(その2)

先日、亡夫の誕生日でした。 まもなく2回目の命日がきます。 このNoteも更新中です。Noteの仕組みって良く出来てますね。 ここまでに書けば連続〇ヵ月更新しますよ!的なメッセージが入っていると、じゃあ書くかと思います。 前回、闇落ち中の話を暴露しました。 優しいコメントもありがとうございました。 抗不安剤が効いていて、面白いもので飲み始めてから2日後くらいからピタッと意味不明の涙は止まりました。 だからといって、楽しくなるわけでもなく。 逆に、今きっとこの状況って泣

    • しっかり者の私の闇落ち話

      夫が亡くなってから、どこかに何かを書き残したくて、彼のことや関連して思ったこと等を毎月1回書き続けてそろそろ21か月。 日記をつけると確実に2日で終わる私が、やりゃあ出来るじゃんw と思ってみたり、そうか、もう21か月になるのか、と思ってみたり。 当たり前ですが、「ダンナが去年亡くなってね」が、「ダンナが一昨年亡くなってね」と表現が変わりました。それだけでなんだか聞いた人にはちょっと前の話になって聞こえるだろうなぁと思うと不思議な感じがします。 Google photoで

      • 4年に1回しかこない命日の話

        いつも、亡くなった夫のことを書くNoteだが、今日は父のこと。 2月29日になった。今日は父の命日。 4年に1回しか訪れない命日は、やさしい父が毎年悲しまなくて良いように、4年に1回にしてくれたのだろうと思っている。 実際、不思議と2/28だと命日感は薄く、4年に1回の2/29は「おー!命日だ!」と逆にテンションがあがる。 今日も有休を取得して、午前中から1日、母や姉妹で墓参りをしたり、父の大好物だった蟹を堪能(?)したりした。 父は珍しく東京に大雪が降った日に、入院し

        • 94枚のスライドの顛末

          昨年11月に高次脳機能障害について、当事者家族の視点からお話する機会を頂いた。彼の人生を振り返り、色々思い起こしてズタボロになりながらスライドを作り始めたら94枚にもなってしまった、という話。 その顛末を書こうと思っていたのに、どんだけ時間がかかってるんじゃい(笑) 当日は、50名くらいの方がいらしていたと思う。 そして、夫がお世話になった病院のリハ科の先生、終末期の在宅医療の先生、ケアマネさん、訪リハさんも駆けつけてくれた。 彼のことでお世話になり始めてから、ほぼ毎日連

        闇落ちの日々(その2)

          脳腫瘍の次は脳出血。歩行器を見て思うこと

          親友が、脳出血を起こした。 激しい頭痛に受診したところ、脳出血が判明。出血は止まったが、ゴルフボールくらいのサイズの血腫があり、吸収されるまで8週間は自宅安静とのこと。 LINEもくるし、彼女のダンナ経由の情報からも命に別状はないらしい。頭痛やふらつき、易疲労はあるけれど、自宅でなら1人で動けると聞き安堵した。 それでも、心配で年末に飛行機に乗って様子を観に行った。彼女にも高次脳機能障害が残ったら。自分の目で見ないと落ち着かない。 会えた彼女は自宅で少し行動しては休み、

          脳腫瘍の次は脳出血。歩行器を見て思うこと

          94枚のスライドを作りながら泣いた話

          昨年脳腫瘍で亡くなった夫の高次脳機能障害について、とある障害者福祉センターの講演会でお話させていただく。 夫は20年前くらいに巨大な脳腫瘍で倒れているのだが、その当時は「高次脳機能障害」の概念がまだ一般的ではなく(今もまだ一般的とは言えないが)、その言葉も知らぬまま退院、大変な思いをした。 高次脳機能障害の診断が確定したのは、発病から15年後だった。 彼について、入院時から「え?」と思うことは多々あった。でも3回の大手術を行い、メスを入れ、実際脳みそも減っている(!)。 頭

          94枚のスライドを作りながら泣いた話

          亡き夫の代わりに、彼の人生を振り返る

          パソコンがついに死にそうだ。 私はWordやパワポは好きで、色々な書類を作るのも嫌いではない。 アメリカに住んでいた当時通っていた高校ではタイピングを教えてくれる授業があり(世代がバレる・・・)、先生がスパルタだったこともあり、ブラインドタッチというのか、パソコンを打つスピードはめちゃ速くなった。 そのせいか誤解されやすいのだが、世の期待に反してパソコンは嫌いである。どれくらい嫌いかというと、買い換えるのが面倒で使っているこのパソコン、数字ボタンは押せないボタンがいくつか

          亡き夫の代わりに、彼の人生を振り返る

          夫が亡くなった結果のドイツ出張

          ドイツまで海外出張に行った。 今の会社は海外出張の前後に休暇を追加してもOKという素晴らしい会社なので、前後の週末の移動を避けて合計で12日間程出張していた。 世界各国の人事を中心に、組織の風土作りに興味がある人を集めて開催された会議と、本社で打ち合わせをしたりが目的だったが、交渉事がある訳でもなく、割と気軽な出張だった。 ちょっと期間が長いので、数日前から冷蔵庫の中身を食べ、 なんとか盛りだくさんだった仕事も片づけ、 ひとりでモゾモゾ準備し、 台風の大雨の中、バス移動を

          夫が亡くなった結果のドイツ出張

          新米没イチの友人を見ながら考えた没イチ歴1年の自分のお話

          ママ友の夫さんが亡くなった。 お風呂から出て来ないと思って見に行ったら・・・だったらしい。 若くして(別に50代だし若くもないが、まぁ)夫を亡くすってとこまで仲良くしてくれなくても良いのに。 秋に転勤予定があったので、そのママ友とは色々なやり取りをしていて、夫さんが亡くなる前日もLINEのやり取りをしていた。 不安もあるけれど、明るく、新生活への準備。楽しそうな。 それが、翌朝、訃報の第一報。 LINEを読んで、「え? は? なにこれ? え?」と止まってしまった。

          新米没イチの友人を見ながら考えた没イチ歴1年の自分のお話

          留年しやすい遺伝子はあるのだろうか

          前回書いた 亡くなった夫の1周忌の寿司屋の話の Noteの閲覧数が多くてびっくりしている。いやいや、ありがたい・・・ 今日はその、寿司屋に一緒に行ってくれた息子の話。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 脳腫瘍で亡くなった夫は数字にめっぽう強かった。 一緒に買い物に行くと、トイレットペーパーの単価を計算してどの店が安いとか、以前あのお店ではいくらだったとか、歴史も好きだったので何年に何があったとか、とにかく数字にまつわることが得意だった。 時間も、9:51を適当に「10

          留年しやすい遺伝子はあるのだろうか

          夫が自分の一周忌に寿司屋に連れて行ってくれた話

          昨年脳腫瘍で亡くなった夫の命日がやってきた。 自分がどんな気持ちでこの日を迎えるのか想像がつかず。 仕事していたい気分なのか、しっぽりしていたいのか、何なのか。 取り合えず、息子もいるし、会社から休暇を取った。 イベントを控えて忙しい時期だが、「夫の一周忌」は相当なキラーワードで(笑)、「それは休め!」と言わんばかりの勢いで休ませてくれた。 ーーーーーーーーーーーーー ぽっかり空いた1日。息子をドライブに誘った。 私:新車でドライブ行こうぜぇ~ 子:いいねぇ~ 成

          夫が自分の一周忌に寿司屋に連れて行ってくれた話

          亡くなった彼を覚えていてくれた訪リハさんのちょっと良い話

          仕事を終えて、ダッシュで出かけようとしたときに携帯が鳴った。 見知らぬ番号は通常出ないのだが、最近は自分の携帯で仕事の電話をすることも多い。 仕事モード100%で電話に出てみたところ、ちょっと戸惑い気味の、懐かしい声がした。 昨年亡くなった夫に一番長く関わってくれた訪問リハのSさんだった。 うぇー!どうしたんですか??うっわー、お久しぶりです!! なんて、驚いて聞いたところ、彼は言った。 「ちょっと遅くなっちゃったかもですが、そろそろ1年だなと思って。 奥さま、どう

          亡くなった彼を覚えていてくれた訪リハさんのちょっと良い話

          婚姻関係は終わったけれど、今日は結婚記念日

          今日は結婚記念日。 昨年脳腫瘍で亡くなった夫が不在の初めての結婚記念日。 20年以上前に結婚式を挙げて結婚した。 結婚式には大勢の友人がきて、梅雨時期にも関わらず、めちゃくちゃ晴れの日だった。 別にジューンブライドを目指した訳ではない。 たまたま、海外赴任していた父の帰国日程に合わせて挙式をすることにしたらこうなった、というだけのこと。 披露宴とか二次会とかが恐ろしく苦手で、挙式だけして、あとは親族で集まって終了。社内結婚だったし、部下の仲人をするのが夢だった上司や、共

          婚姻関係は終わったけれど、今日は結婚記念日

          車を手放した日。家族の車から、私の車へ。

          夫が亡くなって11ヶ月。 車を手放すことにした。 いや、厳密に言うと、イマドキの「新車のサブスク」とやらに切り替えることにした、なのだが、まぁそこは良いとして。 ウチの車はとにかくデカいのだ。 トヨタのエスクァイアという、若干ヤンチャな大きな車だ。 荷物も何でもOKという気軽さ、頭の上の空間の広さ、高いところから見える景色の良さ等、とても便利だった。 キャンプ道具でも、自転車でも、和太鼓でも、はしごでも、大人数でも、あまり気にすることが無く何でも乗せられる気軽さ。 彼が

          車を手放した日。家族の車から、私の車へ。

          エンヤと嵐のあいだで

          好きな映画を聞かれたら、「冷静と情熱のあいだ」と言う。 それにちなんだ、今回のタイトル(笑) ここ数年、車の中ではずー----っと「嵐」の曲が流れている。 しかも、飽きもせず、ずー--っと同じCD。 コロナ前頃から聞いているのでかれこれ3年近くか。意外と長いぞ。 ただ、私は嵐のファンという訳ではない。 それなのに、嵐の曲を聞きまくった。 その不思議を分析したみた結果のお話。 ========== 2003年に夫が脳腫瘍で初めて倒れた頃から何年も、車の中でいつも聞いてい

          エンヤと嵐のあいだで

          人生最後の「記念旅行」 in 奄美大島

          昨年の今頃、奄美大島にいた。 昨年6月に脳腫瘍の再発で亡くなった夫は、昨年の今頃には最後の切り札となる治療薬を使い始めて1年が経過し、歩行も困難になり、そろそろ薬の効果も限界だな、と思えるステージに入っていた。 ただ、幸いなことに、脳腫瘍は考えることや記憶する力を吸い取るので、彼はこの世から旅立つ日が近いことをあまり理解していなかった。 脳腫瘍を知らない周囲の方で「いや、そんなことないよ、きっと分かっていても心配かけないように振舞っているんだよ」と言われる人もいたが、一番

          人生最後の「記念旅行」 in 奄美大島