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4年に1回しかこない命日の話

いつも、亡くなった夫のことを書くNoteだが、今日は父のこと。

2月29日になった。今日は父の命日。
4年に1回しか訪れない命日は、やさしい父が毎年悲しまなくて良いように、4年に1回にしてくれたのだろうと思っている。

実際、不思議と2/28だと命日感は薄く、4年に1回の2/29は「おー!命日だ!」と逆にテンションがあがる。
今日も有休を取得して、午前中から1日、母や姉妹で墓参りをしたり、父の大好物だった蟹を堪能(?)したりした。

父は珍しく東京に大雪が降った日に、入院していた病院で予期せぬ状況が発生し、見舞いに行っていた私と母の目の前で嘔吐・窒息死した。
まもなく退院できるかね、なんて話をしていたのに。

父が窒息した瞬間のことは良く覚えている。
その後の大騒ぎの中、不思議だが、「あ、こうやって人の命って消えるんだ」とか「人ってもろいんだな」とか「息が止まれば死ぬんだな」とか、心が止まったことを覚えている。

ほんの数分前まで生きていた人が、
もう二度と会えない人に変わる

本当に、人の身体ってもろくて弱いものなんだなと思った。
人って、本当に簡単に死んじゃうんだよ。

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父が亡くなった日の約1か月前くらいに近所に住む祖母が亡くなっていた。
大往生と言える年齢で、単純に最期は心臓が止まって亡くなっていた。

これまた、自宅で亡くなったため、警察が来たり、死亡解剖が行われたり、警察と葬儀社を行き来した。
入院していた父も色々緊急事態になっていて、もぐら叩きのように、優先度が高いことだらけの時期だった。毎日、何かしら自分ではない家族の人生の判断をしなければならないような時だった。
そんな中で祖母の葬儀も終えて、ちょこっと一息ついたと思ったら、次は父の旅立ちだった。

そして数年後の夫。
彼は祖母や父とは違い、少しずつ弱り、少しずつ呼吸が止まって、息をしなくなり、旅立った。

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命ってなんなんでしょうね。

私は子供のころ入院しがちで、病院で色々な状況を見ながら育ってきた。
夜の病院、長期入院している子どもたちのドロドロ、ホラー的な噂話、お見舞いに来る人の様子、まぁ色々だ。

だから、生きることって何だろう、とか。
命ってなんだろう、とか。

色々考える子だった。


呼吸をすることも、心臓が動くことも、自分の力ではどうしようもコントロールしようがない。
自分の力で止められないから生きてるんだよね。
と、今では悟っているのだけれど。

そんなことを色々、思い出したり、考えたりしながらの父の命日でした。

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