大人の正体。モラルの正体。

こんにちは、モスです。

人生最後の春休みですが、みんな忙しくて遊んでくれる人がいません。しかもちょっと憂鬱な気分なので外に出るのも億劫だし、本を読む気力も起きないし、何も出来ていません。

なので、残った気力で記事を書きます。

今回は誰しも1度は耳にした事がある「大人になれよ」「モラルを持って行動しろ」という言葉について考えていきたいと思います。

皆さんもそんな言葉を誰かに言われた事があると思います。自分は、今までその言葉に強い違和感を覚えていました。
(それって結局、「自分達や社会にとって都合の良い人間であれ」って事を言いたいだけなんじゃないのか?)と思っていたからです。

別にその主張を否定するつもりはありません。むしろ、共同体における秩序を保つ上で他者への配慮は必要不可欠だと思います。

自分が否定したいのは、「大人」や「モラル」といった曖昧だが綺麗な言葉を利用してただただ自分達の都合を押しつけて来る存在です。
そして更に問題なのは、それらの言葉の定義が曖昧すぎる事だと思います。
何をもって「大人」なのか。何をもって「モラルがある」と言えるのか。それを自分達は吟味する必要があります。

今回の記事は、次の3つに分けて吟味し、「大人の正体」「モラルの正体」を暴いていこうと思います。

①大人って?モラルって?
②大人やモラルに線引きはない
③自分のエゴとモラルを天秤にかける


①大人って?モラルって?

例のごとくwikipediaに頼ってみる事にする。

おとな(大人)とは、

・十分に成長した人。成人。
・考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。
wikipediaから引用
モラルとは、道徳である。
道徳(どうとく、英: morality)は、中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう。
wikipediaから引用

ハッキリ言ってどちらも曖昧すぎて意味不明な概念だと思う。

辞書などそんなものである。なので、自分なりに「大人」と「モラル」の解釈をしていこうと思う。

「大人とは、モラルのある人間」である。

「モラルとは、共同体の秩序を保つために必要な能力」である。

いまだ曖昧な概念ではあるが、順を追って解説し正体を暴いていきたいと思う。



---共同体の秩序とは?

曖昧さを解消するには、曖昧な言葉を明瞭にしていき、芋づる式に(帰納的に)正体を暴いていくのが筋が良いだろう。

つまり、「大人」の正体を暴くには「モラル」の正体を暴く必要がある。「モラル」の正体を暴くには、「共同体の秩序」の正体を暴く必要がある。それら下位の曖昧概念の正体を暴けば、上位の曖昧概念である「大人」の正体が帰納的に求まるという寸法だ。

早速暴いていこう。
まず「共同体の秩序」とは、「人間の集団の安定した状態」である。

さらに具体的に言うと、「争い、混乱、破綻などの存在しない安定した状態」である。

例を挙げる。
男5人の仲良しオタクサークルがあり、そのサークルは争い事も無く仲良くやれていた。そこに突如1人のオタサーの姫が加わり、オタクたちを虜にするように気を引く行動を多く取る。
そして姫を巡り男5人の関係性がギスギスし破綻していく。

この仲良くやれていた状態が秩序のある状態であり、関係性がギスギスし破綻した状態が秩序のない状態(混沌の状態)である。

オタサーの姫。俗にサークルクラッシャーとも言われる。
境界性パーソナリティ障害患者と近い物を感じる。

この例で言うと、モラルのない人間は姫だけではなくオタク達もである。
姫は姫でオタク達を誘惑し、秩序を乱した。なのでモラルはなかったと言える。
しかし、誘惑され秩序を乱したのはオタク達である。彼らも彼らでモラルがなかったと言える。


つまり大人とは?モラルとは?
結論を言うと、「大人はモラルのある人間。モラルとは、秩序を保つ能力。秩序とは、争いや破綻のない安定した状態」なのである。


②大人やモラルに線引きはない。

「大人である」とか「モラルがある」なんてのは、どこかに閾値(線引き)があるわけではない。つまり、どこからが大人で、どこからがモラルがあるなんて一概に言える物ではないのだ。

だから、20歳を過ぎたら大人だとか、配慮が出来るから大人と言うのは間違いである。
「モラルが良質であればあるほど大人に近づく」と言う表現が適切だろう。

だから、
「精神的に自立したから大人」
「金銭的に自立したから大人」
「世のため人のために頑張るから大人」
「自分1人で生活ができるから大人」
「周りのことを考えて行動するから大人」

これらは大人に近づくためのただの1要素に過ぎず、それらが出来るからじゃあ大人!とはならないのである。
「大人になれよ」と自分の都合を押しつけて来る人間は、これらの論調で歩み寄って来る事が多い気がする。


③自分のエゴとモラルを天秤にかける

自分の好きな漫画に「左利きのエレン」という漫画がある。その中で柳一というキャラが↓のセリフを放ったワンシーンは特に好きである。今回の話と関係してくるので紹介したいと思う。

自分がとても大事にしてる考え方として、
「モラルの欠けた行為をする人間=モラルがない人間(大人じゃない)とは必ずしも言えない」というのがある。
何故なら、その行為が秩序を乱す事を分かった上でモラルの欠けた行動をする人間は一定数存在するからだ。分かった上でやっているなら、そこにモラルは確かに存在する。
自分はそれを必ずしも悪い事だとは思わない。むしろ賢い人間というのはそういう人間だと思う。

と言うのは、モラルの欠けた行為をしたとして、その行為により誰も迷惑を被る事がないor被ったとしても許容範囲であるならばそれは悪ではないと自分は考えるからだ。
いや、むしろ人の全ての人間の全ての行為は必ず誰かの迷惑になるとまで言える。ただそれを皆、どこかで落とし所を付けて許容しているだけで。「僕らは生きてるだけで不謹慎」まさにその通りなのだと思う。

人間は所詮エゴで生きる生き物である。ルールやマナー、法律さえも人々のエゴ(幸福)を守るために存在しているに過ぎない。いや、そうあるべきなのである。

それは大前提として、そのエゴな行為がどれだけ周囲に対し迷惑をかけているか。それらを見抜く事こそが配慮であり、そしてその配慮が出来る能力こそが「モラル」だと思う。

結論を言うと、
「自分のエゴとモラルをどこまで天秤にかけられるか」。その能力がある人間こそが「大人」であり「モラルがある人間」だと自分は定義する。



---思考停止でルールやモラルを守るべきではない

具体例を挙げる。
自分はもちろん人生で全て1度もした事がないが、
・明らかに車も通ってない横断歩道を赤信号なのに渡る
・街中で裸になる
・路上など外で寝る
・賭博をする
・嘘をつく

自分はこれらの行為を一概に悪だとは思わない。確かにこの中に法律上は違法とされるものもある。あるが、それの行為が自分の幸福に繋がり、かつ周囲への迷惑が許容範囲で天秤がエゴの方に傾くのであれば、それは悪ではないと思う。

あくまでルールやモラルというのは、人々のエゴ(幸福)を守る秩序を保つために存在するべきなのだ。それを守る事で幸福を損失するのは本末転倒であると自分は考える。「ただ何も考えずに守るべき」というのは思考停止である。それは、尊属殺重罰規定違憲判決という歴史が証明している。



まとめ

今回は「大人の状態。モラルの正体」について解説した。まとめるとこうである。


「大人はモラルのある人間。モラルとは、秩序を保つ能力。秩序とは、争いや破綻のない安定した状態」。

モラルというのは、人々のエゴ(幸福)を守る秩序を保つために存在するもの。それを守る事で幸福を損失するのであれば本末転倒。

自分のエゴとモラルをどこまで天秤にかけられるか。その能力がある人間こそが「大人」であり「モラルがある人間」


共同体で生きる上でモラルは確かに大切な事だが、思考停止にならないように気をつけたい。と自戒の念を込めて。


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