作り手と受け手のゴキゲン問題、あるいは「いいから寝させてくれ」と願ったかつての私へ。

(※注:あまり整合性も正当性もない乱文ですが、なんとなく言いたいことがわかってもらえれば幸い。一言でまとめると、『気楽に行こうぜ』です。)

 コミック乱買ったんですけど、これは男性にとうらぶをアピールするための企画でもあるんですね。よきかな。でも天保桃色水滸伝の真後ろはちょっとヒいたんでせめて2ページミニマンガ系の間に挟んでほしかった。

 でもまあ、作り手がそうしたのなら受け手はそうですかと言って読むのを止めるなり目当てのページだけ切り取るなり、そうすればいいだけの話です。
受け手には受け手の自由があり、作り手には作り手の自由があります。儲かる儲からないに話題がかかるとしちめんどくさい(というかそれは既に副業とか本業と呼ぶ何かでしょう)ですが、そうでなければ割とゆるいもの。やめたければやめていいから、趣味と呼びます。止めてはいけないという使命感はちょっと強迫入ってるかもなんでなんらかの受診をおすすめしておこう。

 さて、そんな趣味でも感想が欲しいのは世の常人の常。下は5歳児から上はご存命のかぎりのご長寿さんまで、いろいろたくさんの文章があっちゃこっちゃにジョウントしまくる昨今、悪口雑言のほうがジョウント事故を起こしやすいというのは周知の事実です。それで筆を折る折らない感想がほしい一言感想でもうれしいうれしくないこんなテンプレがもっと表明をもしくは入手を繋がりませんか診断結果はこちらってあああもう邪魔くさい!

 待って閉じないで、ウェイトアミニッツ。ネットのごく限定的なところに浮かぶいろんな話題を眺めていると
「自分の機嫌を自分で取れるのが大人」
という言説も出てきます。じゃあ、作り手は? 労力とか気力のぶんだけゴキゲンを受け取りたい、わかる。といってもその総量もレートも個々人で違うもんです。何より、受け手がその享受に気力を使っていないとでも?

 これは私の思索に過ぎませんが、19文字(575形式)以上で感想を述べられるような受け手は、少なからずその咀嚼や享受に気力を使います。労力は単純に入手や享受に使う時間を含むとして、割と根性、必要です。そして整合性のある文章で感想を綴る……読書感想文好きでしたか? 私はあらすじと思ったことのサンドイッチで乗り切りました。コンテスト狙いでもなければそれで提出したことになりますんで。

 そしてそうやって気合い入れて感想送っても、そんな感想がいっぱいあって人気でも、雑言や面罵を喰らったタイミングが悪ければ書き手というのは割と簡単に(趣味ならなおさらに)、筆を折ります。
 だって、その自由があるのだから。”それは止められないし止めるものでもない”のです。
そうさせたくないがために四六時中相手の動向を掴むのは不可能だしそもそもそれストーカーの所業その1
 
身を削ってまでそれをなさねばならぬという原動力が出る場合、執着(しゅうじゃく)、もしくは「此方が感想を送らなかったから彼方は筆を折ってしまわれた」といういつかどこかの罪悪感です。しかしそれを言うなら我々は死山血河のすえに生きているわけで。(スケールがでかい)

 たぶん、どこまでいってもこの話は平行線で終わりません。真剣であればあるほど、どっちもしんどいのです。なのに作り手側のほうがよりしんどいと言うものだから、そんなこと言われたってと受け手がしんどさを表明してしんどい合戦でここが六道輪廻の終わらぬ苦! ……失礼、まあとにかく終わりません。終わらないのでもうめいめい勝手に作って勝手に買うぐらいしかないでしょう。野菜の無人販売 in the 趣味の家庭菜園でいきましょう。

 趣味の作り手は作りたいものを作って放流して、鮭のように遡上してきてコーヒー代になればよし、ぐらいのご機嫌で。
 趣味の受け手は設定代価を払って、読むだけ読んで、気が向いたら浮かんだ賛辞を水面切りの小石のようにひょい、と放ればよしのご機嫌で。
 それでよしとなる、のんびりした世のほうが気楽な気がします。

 最後に、好きな作り手のゴキゲンが気になって眠れなかった”わたし”へ。

 ――眠れない時点でちょっとそれは心身の健康によくありません。それは愛(賛美)とか恋(ステキ)でなく、執着(なくなるのがおそろしい)何かです。
 よく寝て、それから別のところに行ったほうがいい。今はわからなくとも、そこに実体と呼べるほどのものはないと、あとでわかるから。

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