見出し画像

酒飲みでなくなった私は、私たちは

このあいだ、久方ぶりに外で酒を飲む機会があった。

仕事終わりに、「じゃあ一杯これ、行くか」と先輩がお猪口を呷るジェスチャーをし、なし崩し的に飲みに行くことになった。

都内は、なお緊急事態宣言が発令中だったが、まあ20時までと言って、そのまま私たちは居酒屋に入った。


飲み会自体は、無事に終わった――とは言い切れないところがあった。

私以外の参加者はみな酩酊状態で、私自身も足がふらついていた。

とりあえず、みな帰る電車も覚束ない中を、あなたは何番線です、あなたは何番線ですよ、と案内し、全員がちゃんと電車に乗ったのを見送ってから、私も自分の乗るべき路線に乗った。


電車に乗り込み、ワイヤレスのイヤフォンを耳につけて音楽を聴きながら、私はこのあとどうすべきかを迷っていた。

まだ飲みたりなかった、というわけではない。

むしろ、久方ぶりのくせして、いつもよりも酒を飲んでいた。


元来、私は酒に強い方ではない。

いつもジョッキ1杯目で顔が真っ赤になるし、3杯目以降ソフトドリンクに切り替えるのが常時のルーチンだった。

それが、その日は4杯のハイボールと、お猪口3回分ぐらいの日本酒を飲んでいた。


このあとどうするべきか。

それは、この酔いをどう醒ますべきなのか、ということだった。

週に一度ほど飲みに行く機会のあった頃は、飲むときのルーチンが上述の通りあったように、その酔いを醒ますためのルーチンがあったはずだった。

しかし、その習慣がすっかり抜けてしまった私は、そのルーチンをすっかり忘れてしまっていたのだ。

電車に乗って、立つようにしていたのか、はたまた積極的に座るようにしていたのか。

また、近所のコンビニでは何を買っていたか。なにを飲みながら、酔い醒ましをしていたか。

記憶はあまりにもぼんやりとしていて、はてさてどうしたものか、という状態だった。


あまり身体に良くないと思いつつも、カップ麺を買って食べた。

アルコールを分解するときに糖分を必要とするとか聞きかじったことがあったからだった。

それと同時に、600mlの麦茶を買った。

カフェインレスのほうが、その後寝ることを考えると良い気がしたのだ。

しかし、どのぐらい酔いが醒めていれば、よい気分で寝られるのか、それすらも分からなかった。

翌日、二日酔いになるのではないか、という恐怖が私の心を満たしていた。


結句、その日はなんとかなった。

しかし、結局どのようにしたのか、残念なことにあまり記憶がはっきりとはしていない。

酒で記憶が飛んだのもあるだろうし、また特に何も手を打てないまま、欲望のゆくままに、つまり喉の渇きがあればなにか飲み、寝たくなったら寝たのだろう。

まあ、時節柄、また飲みに行く機会も随分と先になることが予想されるので、しばらくは心配しなくてもいい。

しかしこでれは、今から先の、私の「ルーチン」の失念が思いやられる。


酒飲みでなくなった――先述の通り、あまり酒に強くもないし、連日飲み歩くタイプでもないのだが――私は、次の酒の席のあと、どのように振る舞うべきか。

そもそも、酒の席で、どれほど飲むのが――ブランクもあれば、適量もまた変わってくるだろう――適切なのか。

きっとその日の私以外の参加者も、自分が飲める量を忘れていて、それであれほどひどい酩酊をしたと思われる。

ということは、次の酒の席でも、同様のことが起こってしまう可能性は十二分にあるということだ。

取らぬ狸の皮算用と言われればそれまでかもしれないが、今から私は、それが心配でならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?