天寿マット系の死化粧をつけたい

2023/09/05
 良いセンテンスが思い浮かんだので、タイトルにしてみた。
 なかなか悪くない。このタイトルに釣られてくる人は、いったいどんな人なのだろう。

 ところで、私は男だが、死化粧をしてもらえるのだろうか。
 ぜひやってほしい。時代はメンズメイクだ。
 いっそのこと、バーレスクやドラァグクイーン風でも良い。
 華々しいのは良いことだ。何かの終わりに際してはなおさらだ。

 また、死化粧は「デス・メイク」だろうか。「デス・コスメ」だろうか。
 どちらにせよ、なんだかおどろおどろしくて素敵だと思う。

 タイトルについて話す。
 
 いつもは本文を書き終わってからタイトルをつける。
「この書き出しからどうやってタイトルに着地するのだろう」
 という好奇心をテコにして読ませるやり方だ。
 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観て、こりゃいいや、となって始めた。
 
 また、本文を読み返して総まとめのような形でタイトルをつける作業は、自分の書いた文章を客観的に俯瞰できるという点でも有益なように思える。
 それはもちろん、思考を整理することにもつながる。推敲もできる。

 ただ、不安なこともある。
 読者は、読み終わる頃まで記事のタイトルを覚えていられるのだろうか。
 私は覚えていられない。ものにもよるが、大抵忘れる。
 みんなそうじゃないだろうか。

 私は毎回「ヴァイオレット・エヴァーガーデンのようなことをしてやったぞ」とニヤニヤしながら得意げに記事をアップするわけだが、これは自己満足に過ぎないのではないか。
 
 タイトルだって文章の一部だ。ゆえに、そこには技巧を用いる義務が生じる。
 一体全体、適切なタイトルの付け方とはなんぞや。
 さっぱりわからない。

 今日はタイトルからつけてみた。
 意外とやりやすい。話がまとまる。

 ただ、着地点が不明瞭だ。
 最初にタイトルをつけるやり方は、書き出しはスムーズだが、徐々に見切り発車の弊害が見えてくる。

 タイトルを最後につけるやり方の長所は、着地点を明確に設定できることなのだ、と今日学んだ。
 出発点と着地点をタイトルに集約することで、文章を引き締めることができる。

 一長一短だ。
 
 まあいいや。
 今日は美容院に行く。楽しみだ。
 

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