鉄は熱されたので、このままブチ抜く
2023/08/09
坊っちゃん文学賞に応募することにした。
文學界新人賞に必要なボリュームは、ブランクのある状態だと厳しい。
まず坊っちゃん文学賞の作品に専念し、必死にかき揚げ
「書き上げ」、ホカホカになってから書きたい。
実はアイデアはもうある。話の流れも決まった。
とはいえ、うーん、どうしたものか。
アイデアはあるのだ。それゆえに、その紹介だけで終わってしまいそうなのだ。
うーん。
前回の大賞の『ジャイアントキリン群』が本当に面白かったからなあ。
あの作品はなんというか、アイデアがまず最高だし、空気感が良いし、それでいてキャラが立っていて、爽やかで、最後は嬉しい気持ちになれて、うーん。素晴らしい作品だった。
私に作品を分析できるほどの技量はないが、しかし、アイデアを披露するだけの小説ではなかったことくらいはわかる。
うーん。
自分で言うのもなんだが、アイデアには自信がある。
しかし、プラスアルファをどうしたものか。
人……。みな、人が見たいのではないか。
アイデアがやや突飛なものなので、どうにも、それに対するリアクションに終始してしまう気がする。おそらく、これではよくない。
私の強みはなんだろう?
「自分らしい小説を書け」と大学の授業で言われたことがある。
「自分の長所を全面に押し出せ」と。
長所……。
セリフ回しには自信がある。キャラ同士の会話を通じて物語を展開させることに関しては、一定の技量が備わっていると自負している。
そうだ、逆に考えよう。
「どのような小説を読みたくないか?」
起伏のない小説。
読み終わった後に「ふーん」としか思えない作品は読みたくない。
ドラマが必要だ。
ドラマとはなんぞや?
うーん。
人の変化、だろうか。成長や、成就や、あるいは失敗、復活、絶望。
どうにも私の書く小説には、人の変化が欠けているように思える。
村上春樹先生の『1973年のピンボール』が大好きなのだが、それゆえに、その上っ面だけを真似て、いやに淡々とした文章ばかり書いてしまう。
なんというか
「やっていることはわけわからないけど、まあしかし、こいつ(ら)なら、そういうことをするかもな」
と思える作品が書きたいのだ。上の文章にはひらがなが多いな、なんだか。
とにかく、そうなのだ。
世界観で圧倒したい。世界観に巻き込んで、絡め取りたい。
要は、そういう小説が好きなのだ。村上春樹先生が大好きだ。恒川光太郎先生が大好きだ。津村記久子先生が大好きだ!
しかし、猿真似になってはいけない。同じことをしていては勝てない。
同じことをしたいわけではない。私は私の書きたいものが書きたい。
いや、待った。独りよがりになってはいけない。
「書きたいものが書きたい」より「読みたいものが読みたい」を優先させる必要がある。
それらが噛み合ったとき、売れっ子作家が生まれるのかもしれないなあ。
話がそれた。
考えるべきは「どのように小説を書くか」ではなく「どのような小説を書くか」である。
私にはどうも、「」を並置させる悪癖があるな。
うーん。
仕掛けはシンプルでいい気がする。
なにせ坊っちゃん文学賞の規定字数は4000字だ。詰め込みすぎはよくない。
アイデアはひとまずこれでいい。
それに対し、どのような反応をするのか?
いや、それに対し、どのような反応が求められているのか?
ここまで来ると方針の話になる。
混乱を描くか、あるいは、淡々とさせ、シュールさを出すか。
そもそものアイデアが奇抜なのに、さらに混乱させたら、収拾がつかなくなるんじゃないか?
いや、どうだろう。
4000字だからな。勢いで読める。絡め取って、引き込んでしまおうか。
私はそういう文章を書くのが苦手ではない。多分。
これは別だ。noteはほとんど日記がわりだから、そこに勢いは必要ない。
小説となるとすごいのである。着痩せするタイプなのである。
そうなのである。
なんだか、書いているうちに、少し良いアイデアが浮かんだな。
まあ締め切りは9月末だし、推敲の時間はたっぷり取れる。
よし、今日まず書き切ってしまおう。
話はそれからだ。
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