「それぞれのものさし」

11月12日に「かつらぎ芸術祭 2022」を終えた。出演者の一人が経営する葛城市八川の「おやこカフェほっこり村」で打ち上げをした。自己紹介を交えながら、今日の体験を分かち合う。

それで話されるのは、このイベントに参加しようと思った経緯であったり、自らの生い立ちであったり、今、自分が置かれている環境や抱えている不安といった超プライベートだ。

なぜそのようなセンシティブなことが話せるのか?それは、ここにある種の安心感が漂っているからに違いない。あなたのすべては受け入れることはできないかもしれない。でも、同じステージに立った者として、あなたの想いを聴く準備があるという雰囲気が部屋中に溢れている。一体感の正体はおそらくここにあるんだと思う。

営利目的での開催なら、観客動員数や収益率などの「量的ものさし」で評価すべきだし、そうあるべきだと僕は思う。しかし、「かつらぎ芸術祭 2022」はチャリティーのイベントだ。このような非営利のイベントには「量的なものさし」はそぐわない。出演者、来場者が「それぞれの質的なものさし」で量るしかないのだ。

いつの間にか僕たちは、「それぞれの質的なものさし」と「量的なものさし」を混同するようになった。そこに僕は危機感を感じるのだ。偉い人が言う「多様性が失われている」というのはそのことを指している。

ハッキリ言おう。多くの人が「金(カネ)」という「量的ものさし」でしかモノゴトを量れなくなっている。効果や損失はすべて金で換算される。なぜか?わかりやすいからだ。しかし、そこには質的なものがばっさりと抜け落ちている。

僕たちは、質的な満足感に飢えている。量的によりも質的に満たされたいのに、そのアプローチに困っている。僕の現代への捉え方はこれに尽きる。僕と共にこの難解な課題に取り組まないか?そのような悩める同胞を僕は喜んで迎える。

I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-