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【詩を紹介するマガジン】第2回、ツェラン

詩を紹介するマガジン、二回目もドイツの詩をご紹介します。詩を切り貼りするのは野暮ではありますが、やや長い詩なので一部を略しています。
ツェラン「死のフーガ」

明け方の黒いミルク僕らはそれを夕べに飲む
僕らはそれを昼に朝に飲む僕らはそれを夜に飲む
僕らは飲みに飲む
僕らは風の中に墓に掘るそこは寝て狭くない
男一人家に住み蛇と遊ぶ彼は書く
彼は書く暗くなるとドイツに向かって君の金色の髪マルガレーテ
彼はそれを書き家の外へ出る星々は光っていて彼は笛を吹き猟犬たちを呼び寄せる
彼は笛を吹きユダヤ人たちを呼び出し大地に墓を掘らせる
彼は僕らに命じるさあダンスのための音を奏でろ

(…)

明け方の黒いミルク僕らは君を夜に飲む
僕らは君を昼に朝に飲む僕らは君を夜に飲む
僕らは飲みに飲む
男一人家に住み君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート彼は蛇と遊ぶ
彼は叫ぶもっと甘美に死を奏でろ死はドイツ生まれの巨匠だ
彼は叫ぶもっと暗くバイオリンの弦を弾けそうしたらお前たちは煙となって風の中にのぼる
そうしたらお前たちは雲の中に墓を持つそこは寝て狭くない

明け方の黒いミルク僕らは君を夜に飲む
僕らは君を昼に朝に飲む死はドイツ生まれの巨匠だ
僕らは君を夜に朝に飲む僕らは飲みに飲む
死はドイツ生まれの巨匠だその片目は青い
彼は鉛の銃弾で君を撃つ彼は君を正確に撃つ
男一人家に住み君の金色の髪マルガレーテ
彼は猟犬たちを僕らにけしかける彼は僕らに風の中の墓をくれる
彼は蛇と遊び夢を見ている死はドイツ生まれの巨匠だ

君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート

******************

ツェランはユダヤ人だった。1920年生まれ、1970年セーヌ川に入水して死んだ。両親は強制収容所で亡くなり、自身の最期は自殺だった。

支給される牛乳は遺体の灰が降りかかって黒く、人々は焼かれて風の中に溶けていく。「死のフーガ」は、強制収容所の経験が詩に落とし込まれている。グロテスクな描写が何もないからこそ不穏さが際立つ、その点は第一回で紹介したアイヒとも共通している。

「マルガレーテ」はドイツの代表的な女性の名前。ちなみに『ヘンゼルとグレーテル』の「グレーテル」は「マルガレーテ」の愛称である。対して「ズラミート」は、旧約聖書に出てくる女性の名前。ズラミートの髪が灰色になのは、心労のために白髪混じりなのか……。

この詩を読んだ後輩は「暗い。中二病かよ」と吐き捨てていた。好みを選ぶ作品だとは思う。個人的には、初めて読んだとき息が詰まった。言葉でこれだけの流れるような緊迫感を出せるものかと思った。読んでいるだけで苦しい。だけど、吐いて捨てようという気にはならない。ツェランの作品の中でも、一番印象に残る。好きか嫌いかにかかわらず、印象に残る。人を放っておかないパワーがある。

「フーガ」は、主題が反復される楽曲形式を指す。主題が何度も模倣され反復されて奏でられていくタイプの音楽で、日本語で「遁走曲(とんそうきょく)」とも言われる。反復されるフレーズ、繰り返される収容所の日々、重なっていく人々の死。いろんなものが折り重なってひとつの詩になっている。「死のフーガ」は、死が変奏され反復される日々のことに他ならない。

初めて読んだときは「風の中の墓」が何を意味するのか、「黒いミルク」が何なのかわかっていなかったけれど、この句読点のない詩はすごく心に残った。原作のみならず、そのとき読んだ翻訳も優れていたのだろう。少しずつ変化をつけながら、しかし繰り返される毎日。それは強制収容所にいなくたって、誰だって同じことなんじゃないだろうか。戦争を超えた普遍性を、自分は感じる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。