見出し画像

「終電なくなっちゃったね」と電車の終わり

生まれたものはいつかは滅びる。ということは、日ごろ見ている電車もいつかはなくなる。「終電なくなっちゃったね」の台詞を見聞きするたびに、そんな風に考えてしまう。その言葉がまったく別の意味だとわかっていても。

いつかは滅びる、と言ったって、実際に廃線になっているところはある。人口の減少で乗る人がいなくなって、惜しまれながらも姿を消す線は、近ごろ珍しくない。とはいえ「電車そのものの終わり」と「廃線」とは全然違う出来事で、電車が消える理由は「乗る人がいなくなった」ではない気がする。

例えば、もっと手軽な交通手段が普及するとか。自動運転車が出回り、車にとっての利便性を第一に考えた道路計画によって、電車は廃止されました……。あるいはもっと夢物語みたいなことが起こる。瞬間移動が可能になったとか、オンライン化が進むあまり人がまったく移動しなくなるとか、もしくは「人が集まるときは、感染可能性のないホログラムで集合してください」なんて世の中になるとか。

いまの技術では無理なことが、平気で実現しているのが未来社会なので、何が起きるかはわからない。そういうわけで、ひょっとしたら文字通り「電車が終わる」日は近いのかもしれない。

いつだったか読んだ本に「鉄の塊が殺人的な勢いで真横を駆け抜けていく、こんな社会に住んでる僕らは正気じゃない」と書いてあった。車や電車みたいな鉄の塊が消えれば、私たちは正気に戻るのだろうか。快速電車で自殺を試みる人も、自動車のスピードに憧れる人もいなくなった世界。殺人的な勢いが存在せず、代わりにすべての人がオンラインで繋がっている世界。あながちありえないことじゃないな、と思う。それはそれで正気じゃない、とも思う。

電車が終わる日、有力候補は「そもそも人が移動しなくなる」だろうか。いつか本当の終電の日までこの記事が残っていてくれたら、その答えもわかるだろう。そのとき自分が生きているのか、noteがまだあるのか、アカウントがまだ存在してるか自信がないけれど。

それにしても「終電なくなっちゃったね」って使ったことのない台詞で、自分にとっては「覚えているけど使わない英語の例文」みたいだ。This is a pen. My name is ○○. こんな感じ。ペンがペンなのは見ればわかるし、目が見えない人でも触ればわかるだろう。自己紹介なんてだいたい「アイム○○」で済む。それくらい使わない。

電車が消えたら「終電」の概念も当然、消えるだろう。そうしたら世の女性たちは「もう少しあなたと一緒にいたい」をなんて言い換えるんだろう。ちょっと興味がある。やっぱり電車がなくなる日まで生きていたい。それで「終電(の概念)なくなっちゃったね」って言いたい。

ところで夜間になると、文字通り駅が機能を停止してしまうのは日本くらいだ──という話も聞く。欧米諸国では都市は眠らない。ということは交通手段である電車も止まらない。それが常識だったので、東京に「シュウデン」なるものがあると知って驚いた、そんなエッセイを読んだ記憶がある。確か書き手はロンドンの記者だった。

欧米と比較したくらいで「○○なのは日本くらいだ」って言ってしまうのどうなのかしらね。そんなツッコミは置いておいて「夜は電車が使えない」のが珍しい世界線があるらしい。ひょっとしたらJRが「これからは電車が24時間稼働する時代。皆さまの移動を昼夜問わずサポートします」と言い出す未来もありえる。そうしたら、電車は存続しつつも「終電」は消えることになる。

とはいえ電車はまだまだ現役で、殺人的なスピードで走り回り、自殺に使われたり車内で凶行に及ぶ人がいたり。そうして今夜もどこかで「終電なくなっちゃったね」って言う人がいるんだろう。クリスマスまでは二か月切っていて、それまでに電車が終わる気配も、終電が消える気配もない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。