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年末、淋しさ、すき焼き

 まったき年末になった。体調不良でひきこもっていたので世間の様子は知らない。明日には元旦らしい。
 
 年末年始に一切関係ない、むかし読んだ小説をおもいだす。29才の女性が主人公だった。その人は男性をお金で買う人で、贔屓にしているボーイがいる。こっちは23才だったと思う。残念ながら「男として役に立たない」のだけれど、彼女は彼を買い続ける。
 
 ああいう夜の店は独特のシステムになっていて、自分も詳しくは知らない。早い話、売り子は指名客がたくさんついて、店に多くの売り上げを渡せば自分も儲かる。おおまかに言えばそういうスタイルなんだろう。
 
 やがて彼女の誕生日が来て、ふだんは素っ気ない男の子が連絡をくれる。彼女は舞い上がる。店に行ってみると誕生日ケーキが待っていた。贔屓のボーイの顔はわざとらしく笑顔になっている。彼女は思う。
 
 客が食べものにカネ払えば、この子にもキックバックがあるってことなんだろうな……。
 
 もうその時点で喜びは半減している。さらに店のマスターが「焼き鳥も頼みましょうよ」なんて調子のいいことを言う。彼女は、自分の財布からそのお金が出ることを気にしながら、結局その場で一晩過ごすのだった。
 
 なんでこれを思い出すんだろう。ひょっとしたら、年末年始をそうやって過ごす人もいるのかな。周りが帰省したり、家族と過ごしたりしているときに、ひとりになっている人々。彼らはどうしてるんだろう。いつも以上にさびしかったり、しないんだろうか。
 
 「人をお金で買う」というのは、やったことのない自分には想像がつかない。いつだったか、レンタル彼女をやると3万円になると聞いた。1時間あたり?それとも1回あたり?よく知らない。ただ3万円らしい。あまり安くない。
 
 母親に以前、そんな話をしたら、食い気味にこう返された。
「当然でしょ。犬や猫だってそうそう言うこと聞いてくんないのよ?ひと一人思い通りにして3万だったら安いもんだわ」
 
 そんなもんなんだろうか。3万円。それだけあったら貯金するか、ちょっといいところにご飯を食べに行ってしまう。どう転んでも「人間そのものに払う」に行き着かない。
 
 ただ、あんまり淋しいと人は人を買うのかな、とも思う。人肌恋しくて仕方ない、とか。お金を払っていいから誰か一緒にいてほしい、とか。そういう気持ちが微塵もわからないか?と言われると、それは嘘になる。
 
 自分だって休日を持て余すと、馴染みの店員さんと話したくて喫茶店に通ったりしたし。女将さんと話したくて、頻繁に顔を出す食堂もあったし。ああいう気持ちの延長線上に「人を買う」はあるんだろうか。それだと少し、理解できる。
 
 しかし「買う人」がいる以上は、「売る人」もいるってことで……。売る側は、自分の知り合いの誰とも一緒にいないで、見知らぬ人に買われるほうを選んでいるんだろうか。だとしたらなんか淋しいな。外野の身勝手な意見ではあるけれど。

 
 大晦日の今日は、晩ごはんがすき焼きだった。一応きのう作ってみたものの、旦那さんから「これじゃない」と苦言を呈された。実家ですき焼きなんて食べたことがないので、文字通り見よう見まねで作ったはいいが、そうとう違う何かに仕上がったらしい。
 
 「俺の好物がぐちゃぐちゃにされてしまった」と嘆く旦那さんと「そうは言っても、味付けはみりんと醤油、砂糖。食べられるものに仕上がってるんだしよくない?」の自分とで、やや険悪な雰囲気になる。
 
 結局、あまった肉で今日もすき焼きにした。今度はふたりで作ったので、特にまちがいもなく済む。「これが食べたかったねん」と旦那さんはおいしそうに食べていて、締めのご飯がおいしくてよかったねと返して、今年が終わっていく。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。