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時代は流れてサマンサタバサ

 エクセルにはいろんな機能があって、その中に「郵便番号から住所を教えてくれる」がある。たとえば全角で「489-0042」とか打つとする。このままスペースキーを押して変換すると「愛知県瀬戸市仲切町」と、町の名前まで自動で出してくれる。
 
 という話を上司にすると「へえ~、エクセルも賢くなったんだあ。むかしはそんな機能なかったよ」。思わず「歴史を感じる……」と答えると、上司は「すみませーん、僕エクセルが出る前から社会人やってるんですよ」と苦笑した。
 
 すごくあたり前なのだけれど、ひと昔前は、いまみたいな社会って考えられなかったんだろうな。パソコンがひとり一台……どころか、家庭と職場でそれぞれ与えられるなんて誰が想像したんだろう。
 
 ましてその関連会社の中でどこが覇者になり、誰が敗者になるかなんて、誰もわかってなかった。わかっていたら、誰もがそこの株を大量に買ったはずだ。ここ2,3年で社会人になった自分には、マイクロソフトのない世界は考えられない。
 
 栄枯盛衰は世の常といえ、時代がどう動くかはほんとうに予見できない。最近「サマンサタバサが成績不振」と聞いたときも、同じことを考えた。
 
 サマンサタバサ。一時期は、女子大生ご用達のバックブランドだった。女子大に行った友だちも持っていて「値段とか作りがちょうどいいんだよね」と言っていた。まるでブランドに詳しくない自分でも、とりあえず名前を聞く機会はあった。
 
 手頃な値段で、それなりに可愛くて、作りが良すぎず悪すぎず、おそらくは学生時代に使い倒したらそのままサヨナラ。そんなバッグだったと思う。大学に入った時点で全盛期は過ぎていたようだけど、まだ力はあった。
 
 もっともその栄華も長くは続かない。原因はいろいろ取り沙汰されているけれど、要は「手頃である」ことの価値が暴落したのだ。安い物でいいと思う人は、ノーブランドのバッグを買う。それではダメだと感じる人は、ハイブランドを買う。タバサの居場所がない。
 
 いまの女子大生がなにを持っているのか、自分はよく知らない。在学中でも知らなかった。周りの子はたいてい「重たい辞書に耐えるリュックじゃないとすぐダメになる」と言っていて、おしゃれなバッグは持ってなかった。それしか覚えてない。
 
 かつてサマンサタバサを持っていた友達は、いまなら何を買うんだろう。バイトして背伸びして、シャネルとか買うんだろうか。彼女がシャネルを持つ社会、自分にとってはすごく異質なものに思える。それくらい時代が変わっているんだろう、たぶん。
 
 時代は変わる。そんなことわかっているけれど、どんな風に変わるかわからないから、なんとなく「いま」がずっと続くような気がしてしまう。だって昨日も今日も、あいかわらずビル・ゲイツは長者番付に載ってるし、明日になってそれが変わるとも思えない。
 
 それでも時代は変わる。どんな風に変わるかわからないけど「いまと同じじゃない」ことだけはあまりにも確かで。きっと予想もしないほうに転んでいくんだろうな。
 
 自分は10年後、なにを持ってるんだろう。いまは旦那さんが買ってきてくれたリュックとバッグを使っている。どっちもリサイクルショップで買ったものらしい。そのショップも最近つぶれた。これも時代の流れ。
 
 今年のお歳暮は、物流が死にかけているせいで配送が遅れ気味だという。

 郵便局で「クリスマス用の切手ないですか」と聞いたら「今年はないです」と言われる。

 職場では、デジタル系改革を任された人たちが「DX用の神社とかねーかな」と言っている。
 
 そのうち出てくるかもしれませんね、デジタル改革ご用達の神社。今年のクリスマスカードは結局、冬の記念切手で出すことになった。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。