見出し画像

【小説】詐欺師の娘たち-3

 正式には児童養護施設、こういう場所はどこも金がない。私は着くなり相部屋に叩き込まれた。ずっと前に見たアメリカの映画、刑務所のシーンを思い出す。主人公を独房に案内した看守が言う。
 来な新入り、ここがお前の寝床だ。
 父と一緒に暮らした部屋よりもさらに狭い、二段ベッドが置かれた殺風景な空間には、トーコという女の子が先に住んでいた。孤児院の職員が適当に切ったであろう雑なショートヘアをして、伏し目がちで、ほとんど口をきかない。色白で細い体をし、スレンダーと言うよりはただ、栄養状態が悪いように見えた。
 職員のことは「先生」と呼ぶように言われる。彼らは私にそこのルールを教えてくれた。門限があること、お小遣いを毎月貰えるのは高学年になってから、それから夜はうるさくしない、食事の時間が決まっていて、性別と年齢によって孤児院内のどこに住むかが決められていること、風呂に入れるタイミング、贅沢を言わないこと。
 一緒になった子とは仲良くしてね。
 作り笑顔をした女の「先生」に諭される。トーコもお父さんお母さんがいないの、あなたと同じなのよ。そう、他の子どもたちには親がいた。生粋の孤児は珍しい。多くの子どもは親の経済状態が悪いため孤児院に送られる。だから本当に両親の顔も知らない人間は、孤児の中でも少数派だった。
 部屋に戻るとき、すれ違いざま男の子たちが絡んでくる。
 お前トーコんとこかよ、あいつ山から拾われてきたんだよ、お前もそう?
 私は言い返す。私にはパパがいたの。それだけ口にしてまた歩き始める。背後で顔を見合わせ、何か言うのをためらう気配がした。

 トーコ。狼少女になり損ねた普通の少女。その子にどんな「問題」があったか、人はたやすく想像できる気でいる。
 ──言葉が話せなかったんじゃない?
 まさか。トーコは自己紹介することができた。漢字でモモコと書くんだけど読みはトーコなのだと自分で言った。
 ──夜に吠え始めるとか?
 それも違う。彼女はすごく静かだった。唸り声ひとつ聞いたことがない。
 ──じゃあ食事の仕方が汚いんでしょう。食べ物にガツガツかぶりついたり?
 それもハズレ、全然わかってない。

 部屋のドアを開けたとき、トーコはベッドに座っていた。生まれたときと同じ姿で。一糸まとわぬ野生の姿、真のワイルド。
 服を着ないほうが心地がいいという理屈はわかる、山で育った人間にはそれが普通なのかもしれない。あとからならなんだって冷静なことが言える。でも私が心から何かを願ったのはそれが初めてだった。誰でもいいからここから出して。私を人間のいるところに戻して。もう帰る家がないならせめて、どこでもいいから人と暮らせる場所へ帰して。
 その晩は、心の中でずっと神さまに祈っていた。私をここから出して、どこだっていいからここ以外のところに行きたい。
 その願いに呼応するかのように、孤児院は日に日に居心地の悪い場所になっていった。

 まず「先生」たちは、私の長い髪を嫌がった。不潔だ、長い髪が落ちてると掃除が大変、ドライヤーを使うと電気代がかかるし、自然乾燥で風邪を引いたら今度は薬代か病院代。彼らは金のかかることをとにかく嫌がり、私のエナメルの靴を没収したがった。孤児院には時々見学人が来る。そのときに綺麗な靴を履いていると外聞が悪い。場合によっては院への寄付金が減る。孤児は孤児らしく貧乏臭くしていなければならない。それが彼らの言い分だった。
 それでも私は髪を切らなかったし、靴も手渡さなかった。先生たちからは疎まれ、男の子たちから髪を引っ張られ、女の子たちからはどつかれ殴られることもあった。暮らしていくうちに理解したのは、子どもたちの中にも厳然たるヒエラルキーがあること、同性ばかりの空間では、誰かが性的に異性役を割り振られること、上級生が暮らす廊下の隅には近寄ってはいけない、時々そこで女の子同士胸をもみ合っているから……。
 男子の上級生がどうだったかは知らない。だけど人間が暮らしている限り、どこも事情は似たようなものだろう。

 先生たちに疎まれたからか、はたまた正真正銘の孤児だったからか、私は遠方に住む夫婦に引き取られることになった。アンバランスな夫婦、女のほうは茶色い髪をボブに切って派手な服装をし、男のほうは天然パーマの黒髪にワイシャツと、いかにもラフな勤め人の格好をしている。初めて彼らの目に留まったとき、私はやっぱりあの靴を履いていた。少し傷ついてはいたけれど、毎日シーツの端でどうにか磨き上げていた、ピンクのエナメルシューズ。見つけたのは、母になる人のほうだった。
 前にはいい暮らしをしていたんでしょう?可哀想に。この子ならいいわ、いらっしゃい。

(続く)

前回までの記事はこちら。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。