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弱者男性、って

 自殺した兄が夢に出てくる。
 
 亡くなったときは高校生だった。自殺のはっきりした理由は知らない。遺書らしきものもあったけど、理由のすべてが書いてあるとは思えなかった。ただ、将来に絶望していたらしいことだけはうかがえた。
 
 生前の兄は、色が白く平均より背が低く、どう見てもマッチョな感じではなかった。体育とシャトルランが嫌いで、ライトノベルを愛し、屁理屈をこねるのが得意だった。モテたかどうかは知らない。
 
 「ちっちゃくて可愛い」と言ってくれる女の子たちはいたけど、それはモテとは違う。父は「アイツ亡くなったとき彼女いたんだぞ」と言う。兄とは当時、両親の別居にともない別々に暮らしていたので、詳しいことはわからない。ただ実態は、彼女というより仲のいい女友達だったのだと思う。
 
 
 最近「弱者男性」という言葉を聞くようになった。多義的に使われていて意味が定まらない。もし辞書をつくれと言われたら、この単語の項目はこう書く。
 
① 社会的包摂からこぼれた男性。人間関係が希薄で孤立しがちであり、収入や社会的地位に恵まれていない。

② ①の結果として、配偶者やパートナーのいない男性を指す。
 
 ときどき「単にモテない男性」という意味で使う人もいる。ただそれは結果であって本質じゃないだろう。低賃金で働き、時にはなんらかのハンデを背負っている、人から好かれるだけの魅力を持たず、人間関係を構築する術を持たず、近寄る人もいないため孤立している。弱者とは、そういう状態を指すと考えていい。
 
 兄があのまま生きていたとして、どんな大人になったのだろう。夢見たついでに、そんなことを考える。
 
 絶望的に人から好かれないタイプではなかった。学校には友達もいたし、小さいころはご近所の人々にかわいがられていた。体力はあまりない。「将来、働けるようになったらバリバリ稼いでやるぜ」みたいなガッツもなかったと思う。

 優しい人ではあったが、強いと呼ぶにはすべてが足りなかった。

 
 父は、兄が死んでしばらくしたとき、すっかり気落ちしながら「でもなあ」と言った。
 
「アイツが生きとっても、ロクな人生になったかわからん。ひきこもりっぽいところもあったし……。こんな言い方はなんだけど、生きてるほうがよかったとは限らんな」。
 
 死んだほうがマシだった可能性もある。父はためらいつつ留保をつけながら、それに近いことを口にする。
 
 いま住んでいる家には仏壇がない。わたしは心の中で無数の彼岸花を描き、兄に供える。この花が群生しているところは、本当にあの世への入り口のようだ。
 
 7月に結婚した夫は「男社会は競争社会やでな」と言う。競争に敗れた人間が、あるいはそもそも闘えなかった人間が、どこに行くのか私は知らない。兄は死んだ。
 
 
 夢占いでは、死別した兄弟が出てくるのにはいろいろ意味があるらしい。夢の中で笑っていれば吉、これからいいことが起こる。様子がおかしいなら凶。なにかと注意して過ごすべき。
 
 兄は、心底なにかを悔やんでいるような顔をしていた。取り返しのつかないことをしてしまったときの、悲鳴のような歪んだ表情。
 
 自分にとって吉とか凶とかではなく、死後の兄が苦しんでいる、ようにも見える。死後の世界なんてあるのか知らないけど。
 
 そこでは自殺した人間が、苦しい思いでもするんだろうか。生きてて苦しいから自殺するのに、死んでからも辛いって理不尽だ。あるいは自殺したのを──いまさら──後悔しているのかもしれない。
 
 冥福を祈りたいと思う。
 「死んでから冥福を祈るくらいなら、生きてるあいだに助けてやれよ」と言われるかもしれない。言うだけなら簡単だ。助けを求めず、求めたところで黙殺される人間は、死ぬまで話題にならない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。