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早く寝る。生活は人相をつくる

 建築現場を取り仕切る自分の上司は、なぜか人によって第一印象が分かれる。ある人は「すごく優しそう」と言い、ある人は「悪い顔してるな~この人」と初対面のときを振り返る。自分は後者だったけど、実際の上司はとてもいい人だ。なにせよくお菓子をくれる。
 
 顔の造形(美人とかそうでないとか)の話ではなくて、「人相」というものがやはりあるわけで、これはなんなんだろうな。占いの中には人相占いというのもあって、これがまた当たるらしい。見てもらったことはないから、どの程度の的中率か知らない。日本史に残る島原の乱を起こした、天草四郎も占われていたとか言う。
 
 「この顔は天下に望みあり、しかし叶わないであろう」。予言は的中し、乱は乱のまま終わった。
 
 もっともこの話がどこまで本当かはわからない。本当だったところでサンプル1なので「ほら人相占いは当たるんだよ」と言うには根拠が弱すぎる。
 
 でもねえ。なんとなく「顔に出る」っていうのはあると思うのだ。顔立ちが美しいか否かを超えて、見た瞬間に「きっとこういう人だな」と内面がわかってしまう何かがある。
 
 職場のタブレットには、自分が入ってくる前に突然現場を辞めた人の写真が残っている。意志の強そうな顔だ。肌の色が濃く、パーツが大きい。「顔が頑張っている」とでも言うんだろうか、あまりリラックスできる雰囲気の人ではない。写真で見る限りはそうだ。
 
 ほとんど引継ぎもないまま辞めて行ったという話を聞いて、ああそんな感じと思う。こうと決めたらこう!という表情をしている。悪い意味ではなく素直に強そうだ。自分の顔写真も入っているけれど、比べてみるとぜんぜん違う。肌は淡いし彫りは浅いし、際立って大きいパーツは一個もない。
 
 性格が顔をつくるのか、顔が性格をつくるのか。案外、人の内面なんて持って生まれた顔に左右されるものかも。だとしたら私が軟弱なのは、薄い顔のせいに違いない。
 
 人相は美貌とはまた違う。「きれいだけど幸薄そう」とか「美人じゃないけど幸せそう」とか「整ってるけど性格悪そう」とか言う。なんで「美しい=性格よさそう」にならないんだろうな。美と善がイコールじゃないのって、なんだか不思議な気がする。
 
 顔を褒められることと人相を褒められることもまた違う。自分としては後者のほうが嬉しい。ときどき「かわいい」「きれい」と褒めてくださる人もいるけど、それ以上に「優しそう」とか「賢そう」と言われるほうが嬉しい。
 
 だからいつだったかミセス向けの女性誌が『感じがいいって言われたい!』という特集を組んでいた時、ああわかると思った。造形がきれいだと言われるよりも、感じがいいって思われたい。顔より大事なのが人相。「美人だけど感じ悪いよね」は、不美人であるより辛い。
 
 顔立ちをきれいに見せることはできるけど、人相まで変えるわけにはいかないからなあ。あの雑誌、表紙を見ただけでスルーしてしまったけど、どうやって感じのよさをつくる話だったんだろう。読んでみればよかった。もっとも読まなくたって、なんとなくわかるけれど……。
 
 穏やかな気分で過ごしていれば顔も穏やかになるだろうし、不平不満ばかりの人は乱れた顔つきになっていくだろう。暴飲暴食は肌を荒れさせるから、できたら健康的な食生活を心がけ、夜は早く寝たほうがいい。好奇心を持って様々なことにチャレンジし、多少の失敗は楽しめるようなメンタルの強さを持つこと……。
 
 つまりは、みんなが知っている話。それができれば苦労はないよねと言われていることが全部できれば、それなりに人相もよくなっていくんじゃないだろうか。極言すれば「心がすさむことをやめる」で済む。そういうわけで早く寝る。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。