見出し画像

思い出の一皿

 大人になるとは、過去ができていくこと。なすの味噌炒めを作りながらそんなことを思う。
 
 ナス味噌は、学生時代にずいぶん食べた。当時、住んでいた女子寮の近くに小さな食堂があって、そこで頻繁に注文した一品。店は東北出身の女将さんが切り盛りしていて、ときどき笑ってこう言った。
 
「わたし時々お客さんと『最後の晩餐にはなにが食べたい?』って話をするんだけど。メルシーちゃんはあれね、きっとナス味噌ね」
 
 そうやって笑われるくらいにはよく食べた。
 
 女子寮は、月~土までは朝晩の食事が出る。昼はたいてい大学の食堂で済ませたから、料理をする機会はなかったと言っていい。土曜日のお昼ご飯と、日曜日の三食をどうするかだけが問題だった。
 
 寮は幸いスーパーのすぐそばにあり、コンビニも近い。でもあまり行かなかった。自分は女将さんの店が好きだったので、下手すると、土曜の昼と日曜の昼と晩、週末3回にわたって顔を出した。日曜の朝は、だいたい寝てたと思う。
 
 女将さんは、頻繁に来る学生をかわいがってくれた。誕生日には「パンケーキ無料券」を貰ったこともある。もらった次の日だか、次の週だからにすぐ使って「こんなにすぐ使っちゃうなんて」とやっぱり笑われた。
 
 「なすの味噌炒め」というそれだけの料理を前に、こういう記憶が一気に湧き出てくる。
 
 好きで食べていたくせに一向に作れるようにならなかった理由は、上に書いた通りだ。土日の食事のためだけに料理器具を揃える気にはなれなかったし、女将さんの顔を見るのも好きだった。店は寮のすぐそばでメニューは廉価、となればそれは通う。
 
 女将さんはやがて「お母さんの介護がある」と地元の東北に帰り、わたしはひとり暮らしをするようになって、食堂は閉店した。
 
 彼女が街を出て行くとき、連絡先を交換した。去年、結婚したときに連絡すると、お祝いのメールと共に2つのマグカップが贈られてきた。女将さんは、わたしの地元・秋田のハタハタ寿司が好きなので、これをときどき献上している。
 
 そうやって付き合いが続いているから、かつてお店で出ていたメニューも、レシピを訊けば教えてもらえるかもしれない。だけどそれはなんだか気が引けて、自分で検索して作る。ナスの味噌炒めを作ったのは、今日が初めてだ。
 
 作り方は意外と単純で、いくつかの部分を除けば思い出の味に近づいたと思う。あの店のナス味噌にはシソの葉が添えられていて、ナスはもう少し油を含んでしなっとしていた。お通しは豆腐だったな、と思い出す。
 
 小さな器に乗せられた豆腐に、塩とごま油がかかっている。あれも好きだった。いまでもときどき作って食べる。
 
 この先もまた、こういう経験や記憶が、積み重なっていくんだろうか。また新たに出会う人がいて、好きになる料理があるんだろうか。あるいは、この先のどんなことも、学生時代の記憶の鮮明さを越えることはないんだろうか。
 
 一説によると、0~20歳までと20~80歳までの体感時間は、同じ長さらしい。体感の時間だけで言えば、もう人生の半分以上が終わっている計算になる。
 
 人間、生まれてから最初の10年が激動過ぎるし、ましてその後の10年は思春期という多感な時期だったりして、この20年を超える密度の日々なんてもう来ないのだろう。
 
 子どもの頃みたいな鮮やかさも、ティーンエイジャーのときの若さも失って。自分が生きているのは完全に「その後」の人生なんだろうなと、20代にして思う。
 
 それでも、これからも人に会うし、新しい体験もするだろう。また何かの料理を好きになって、それにまつわる記憶が積み重なって、作るたびに思い出すのかもしれない。

 どうせ大人になるなら、いろんな体験を重ねた大人になりたい……と思ったり。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。