見出し画像

比べたらつぶれるからやらない

 ハイスペックおじさんに囲まれて仕事している。最初は誰がどんな人だか、ほぼわからないまま放り込まれたので、いまになってじわじわきている。心臓によくない。
 
 建設現場では、トップのことを「所長」という。だから「所長経験者」といえば格が高い。他の業界で言うなら「プロジェクトリーダー」みたいな感じだろうか。関わる仕事の規模が大きければ大きいほど、所長であることの難易度は上がる。
 
 この間、隣のデスクにいる人がふと「僕は(みんな大好き商業エリア)で所長をやってたんだよね」と言うので、思わずフリーズしてしまった。街も政府も巻き込んだ開発プロジェクトだったはずだ、建設現場の苦労なんか想像もしたくない。
 
 「あっ行ったことあります」と答えるのが精一杯だったけど、こういうときの反応って「ええすご~い!!」とかが正解なのかな。正直にいえば、すごいどころか「想像がつかない。バケモノか?」になるのだけど、まさかそんなことは言わない。
 
 聞くとデスクの周りにいる人は全員、所長経験者らしい。関わった現場の名前はどこもビッグだったけど、最初のインパクトが強すぎてもうぜんぶ忘れた。こういう人たちに囲まれるのは、なんだか常に緊張感がある。
 
 指示されたことは、一回でぜんぶ聞かないといけない気がする。いままでやってこなかった仕事も次々降ってくるけど、さばかないと始まらない。仕事ができなくても怒られはしないものの、それは叱られるよりずっと怖い。
 
 「仕事できる人に囲まれてええやんか。勉強させてもらい」。母親ならきっとこう言う。最近は話していないけど、想像上の母の言葉を受けとめて、おじさんたちから学べることは学んでみる。
 
 たとえば泣き言がうまい。「泣き言」というと響きが女々しいけれど、ちょっとした気落ち、文句や不満を上手に吐き出している。この加減っていうのは、実はけっこう難しいんじゃないか。
 
 泣いてばかりでは誰も相手にしない。かといって、抱えすぎて自分がつぶれたら周囲に迷惑がかかる。愚痴は言うけれど、重くならないギリギリのところで回収する、そういう不満の表明の仕方がうまい。
 
 それから、たいていの人が出社している。在宅勤務も許されているけれど、いかんせん会社にいれば、すべてのコミュニケーションがリアルタイムで取れるのだ。「あの工事って始まってるっけ?」と大きめの声でつぶやけば、どこかから「まだっ!」と返答がある。
 
 思い立ったらすぐに誰かをつかまえて話せて、周囲もうっすらそれを聞いている。誰がどんな仕事をしていて、どういう助けを必要としているかもわかる。おそらくそのへんが理由で出社するんだろう。
 
 あるいは現場で作業員を指導していた人たちには、在宅勤務が合わないのかもしれない。遠隔で建物は建てられないし、たいていの問題は画面にうつらないところで起きている。建築とテレワークは、どうしても相性が悪い。
 
 自分も出社しつつ、上手に泣き言をいっていきたい。できるかわからないけど。
 
 前任者が辞めた理由を聞いたら、体調不良とストレスで休みがちになり、そのまま去ったそうだ。気持ちはわかる。仕事のできる人に囲まれると、相対的に自分ができないような気持ちになる。それって辛いよ。
 
 仮にタスクが軽いものだったとしても、その軽い仕事すら完璧にできなかったときって結構ダメージをくらう。まあいいや。大事なのはつぶれないこと。すごいおじさんがすごいのは当たり前なので、それでへこんでいたら身が持たない。
 
 こんなところで「他人と自分を比べる」なんてやったら普通につぶれるから、昨日よりできればよしとする。できなかったら泣こう。それからコンビニのコーヒーでも買いに行こう。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。