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妊婦の心境

 妊娠している。週数でいえば、もう後戻りできないとこまで来ている。旦那さんにそれを伝えると「なんでいま言ったん?それ以前だったら『やっぱり産むのやめとき』言うとでも思った?」と言われる。別にそんなんじゃないけど。
 
 「子どもを持つ」ということに、それほどポジティブなイメージが持てない。自分はふたり兄妹の妹のほうで、下に弟も妹もいなかった。自分より小さい子をかわいがった記憶がない。そのせいかなにか、幼い子どもはなんとなくうっとうしいと思っている。
 
 「子どもを持つと、自分の時間はほとんどなくなる」、不特定多数のいろんな人が自分にそう吹き込んだ。お子さんがいると自由な移動は無理だよね、とか。「しばらくは子育てに専念しないとね(=そのあいだ仕事はできないね)」とか言われる。
 
 それでも産もうとしている。明るい展望があるからというより、単に授かったらそうするものだと思って。あるいは、子どもがいる人生といない人生を天秤にかけたら、後者のほうがうっすら恐ろしいような気がして。
 
 実際にやってみたら、どう感じるかわからない。意外と子煩悩になるかもしれないし、子どもがかわいいと思えず薄い絶望を抱くかもしれない。わからない。わからないことは、やってみるより他にない。
 
 遠くに嫁いだ友だちは、ふたりの娘をいま育てている。年賀状で見る限りは、彼女も子どもたちも楽しそうだ。どんな風に育てているかは知らない。身近な知り合いに子持ち家庭がないので、子育ての実態をなにも知らない。
 
 この「わからない」っていうのがよくないな、と思う。概念じゃない、生身の子どもってどんな感じなのか。道端ですれちがうレベルじゃなくて、実際いっしょに暮らすってどんな感じなのか。
 
 住んでいる団地のお母さんたちは、いつもキリキリしているように見える。でなければ、子どもがいればなんでも許されるような態度でいて、見ていて嫌気が差すときもある。
 
 お腹の張りが辛くなったとき、父に電話して「もう妊娠やだよ」と訴えた。父は戸惑ったように「お母さんは妊娠、楽しそうだったけどなあ……。『あっ動いた!』とか言って……」と答えたきりだった。
 
 なるほど母にとって妊娠はとても楽しいイベントだったようで、わたしにもよく勧めた。おもしろいから一度やってみなさい、と。娘が生理痛を訴えたときには「妊娠すればいい。そうしたら生理がなくなるから、一度やってみなさい」とやっぱり言うのだった。
 
 確かに月経がないのは楽だ。どこにもトラブルがないときには、一生妊娠していたいと思うくらい楽だ。でもそれもほんのひとときで、胃が胎児で圧迫されて息苦しくなったり、しっかり食べることができなくなったりする。
 
 それでも産もうとしている。不思議なもんだな、と思う。
 
 お腹の中の人は、場合によってはよく動く。このあいだ、いつもより辛いカレーを食べたらバタバタと暴れていた。刺激が強かったのか、辛いのがよっぽど好きなのか、あるいは嫌いなのか。なにかを訴えているのはわかるけど、なにを訴えているのかわからない。
 
 こんな変なコミュニケーションが取れるのもいまのうちなんだろう。こう思うと、なるほどちょっと「おもしろい」のかな、と思う。
 
 今朝は通勤電車で、妙齢の女性が席をゆずってくれた。いままでなかった「妊婦として社会と関わる」というのも、やってみないとどんなか実感できない。
 
 前みたいに階段をスタスタ上がれないとか、いろんなことはあるけど、同時にいろんな人から気遣われもする。会社に来るヤクルトさんは「お足元に気をつけて!手すりは自分のモノだと思ってくださいね!」と声をかけてくれた。
 
 着実に出産に向かいつつある、いまの心境。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。