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どこも外してない

 ときどき「生まれ変わりたい」と思う。なにもかも全部、違う自分でどこか別のところでスタートしたい。死にたいんじゃなくて、ただただこの自分に生まれてきたくなかった、みたいな感情。
 
 他の人がどれだけこういう思いに捕らわれるか知らない。友達に言ったら「そんなことはね、誰でも思うの。誰でも思ってるの」と言われる。誰だって、もっとあんなふうに生まれたかった、こんなふうに生まれたかったと感じていて、でも今の自分に生まれたことは取り返しがつかないから、その中でベストを尽くそうとする。
 
「みんなそうだよ。みんな」
 
 友達はそう言って、あなたはもっと自分に自信を持つべきだねと続けた。「自分が世界一だと思ったほうがいい、他の人がなにを言っても関係ない」。そうして、第一うまれかわったところで今よりひどかったらどうするの、と苦言を呈した。
 
 友達と話した次の日の朝になって、いつものように出勤する。朝の街は空気が冷えている。夜の人騒がしい雰囲気とはまた違って、街は昨日の残骸をひきずりながらゆるゆると今日を始めるのだ。
 
 歩いているときに唐突に頭の中に音楽が流れた。こういうのはよくある。その日はたまたまMIKA(ミーカ)の曲だった。英語とフランス語の両方で曲を出している歌手で、何年か前に聴き始めて以来、ずっと聴いている。

 https://youtu.be/8c0ks2NeXlk

 しばらく頭の中の音楽を聴いていて、これが聴ける人生なら、それでよかったと思った。MIKAを聴かない他の人に生まれるより、この人生でよかった。こういう風に思えるから音楽の力はすごい。

「はあーあ、生まれ変わりたい……でも別の人に生まれてたらミーカ聴いてないな、じゃあこっちの自分でいいわ」。

 「生まれ変わりたい」という思いは、何度おいやっても丁寧に里帰りしてくる、律儀な子どものような感情だ。また襲われることがあるかもしれない。でもしばらくは、音楽があるだけで無縁でいられる。しばらく無縁でいられるなら、そのあいだちょっとは人生が楽しいだろう。それだけできれば上出来だよ。
 
 「自分を世界一だと思え」という友達のアドバイスもおもしろいので、とりあえずはそう信じて生きていたい。わたしは世界一。みんながみんなそう思っていれば、案外世界は平和なのかもしれない。誰かと比べて優位であろうとするから競争が始まるんであって……。
 
 競争が必要ないとは言わないけど、自分の存在や人生って点に関して言えば、競いようのないものだ。競いようのないものを、競い始めた時点で負けである。地球は丸いんだから、見ようによっては誰がいるところも世界の頂点には違いない。
 
 普段はすっかり忘れているけど、地球は水をまとっていて、銀河の中をふわふわ浮いたまま回っているらしいんだから驚く。この目で確認しようのないことは信じるしかないけど、宇宙の中に浮いた星にいるんだと思うと、なんだか急に足元がおぼつかない気持ちになる。
 
 絶対の存在に見える地球だって宇宙法則の中で振り回されてるんだから、人類が不安定なのも仕方ない。最終的にはそのへんの考えに落ち着いて、いつも通りの朝を遂行した。
 
 そういえば昔、通信制高校に入ると決まったとき、スクールカウンセラーがこう言っていた。「一旦、道を踏み外してもまた元に戻ればいいんだから。普通の学校に行けなくても、人生終わりじゃないからね」。
 
 自分は別に、普通の高校に行けないのが「道を踏み外す」ことだとは思ってなかった。そのあと女子寮で過ごした三年間も、大きな畑の隣の小さな部屋でチバユウスケの歌詞集を読みながら過ごした夏休みも、そのあとの大学も大学院も働いている場所も、どれも一本の道でつながってる。どこも外したつもりなんかないのだ、本人は。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。