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人は見かけに……?

 ハッピーバレンタイン。わたしはそろそろ産休。
 
 いまのお腹がどれくらい大きいかというと、何をするにも「はードッコイショ」となるくらいになった。その状態で電車に乗ると、マタニティマークを着けていることもあって、たいてい誰かが席を譲ってくれる。
 
 今日は、ドアの一番近くの席に若い男性がいた。ダウンジャケットを着崩し、斜めに座席に座っている。両手両足はだらっと垂れ下がっていて、右手で辛うじてスマホを持ってる、みたいな態勢。チラっと見て「アカンわ」と思った。
 
 アカンわ、とは「体調が悪いときに声をかけても、譲ってくれなそう」を意味する。今日は至って健康で、立っていても大丈夫だったので、目的地まで吊革につかまるつもりで立っていた。すると、マタニティマークが目に入ったらしい男性がふっと立ち上がった。
 
 何を言うでもなく、なんだよ座れよという表情でこっちを見ながら、スマホで座席を指す。「アッ、アリガトウゴザイマス」とお礼を言って座った。「アカンわ」とか思ってすみませんでした。ありがとう。

 
 見た目でひとを判断して、それがまちがっている時はままある。中学校のときの同級生で、一見とてもいかつい男の子がいた。眉毛が細く、頭は丸刈りで、一見完全なヤンキーに見える。そのせいでよく職務質問を受けるらしい。
 
 彼はそれについて「どいつもこいつも外見だけで人を判断しやがって。俺の好きなキャラクターはマイメロディ、趣味はケーキ作りだぞ」とSNSでつぶやいていた。

 
 他にも、優しそうに見えた人が実はそうでもないとか、意地悪そうに見えていい人だったとか。こんなのは枚挙にいとまがない。単に自分の判断が甘いのかもしれないが、見た目から他人の内面を100%当てられる人なんて、まずいないはずだ。
 
 だからこそ「人は見かけによらぬもの」とよく言われるわけで……。電車のお兄さんも、ひょっとしたらハローキティ大好き青年だったかもしれない。

 
 母はかつて、地元のコンビニでパートとして働いていた。そのときによく、どんなお客さんが募金箱に小銭を入れていくか話してくれた。
 
「小金持ちっぽい身なりのいい人は、まず入れていかないね。一回も見たことない。肉体労働者っぽい人が入れていくんだよ。『まあ財布が軽くなっていいやね』って言いながら、お釣り入れていったり。小金持ちっていうのは、1円を惜しむから小金持ちになれるんだろうね」
 
 これは「人は見かけによる」パターンだろうか。倹約家で、お金を貯め込む人が小金持ちになる。だとしたら、そういう見た目の人が募金していかないのは、あたり前っちゃあたり前なのかもしれない。

 
 大富豪になると今度は、寄付も募金もバンバンするらしい。イギリス人の友達は「ビル・ゲイツが大好き。彼は大金持ちなだけでなく、いろんな社会貢献や支援にお金を出してる」と言っていた。「イーロン・マスクは利他精神がなくて嫌い」とも。
 
 億万長者に対して解像度が低い自分は、そこまで考えたことがない。英語圏では「稼げるだけ稼ぎ、ひとびとに分け与えよ」っていう考えが根強く、だからお金儲けに抵抗がない……みたいな話は聞いたことがある。だから金持ちになるのは道徳的なことなんだと。
 
 ところでビル・ゲイツもイーロン・マスクも、わかりやすく「金持ちです」って外見はしていない。ブランド品で身を固めてるって話も聞かない。たぶんそこらへんを歩いていても「おっ大富豪だ!」とわかる見た目じゃないだろう。
 
 同じくらい、親切な人や優しい人も、見ただけではわからない。いかつく強面の外見の人が、思いもかけずいい人だったことは何回かある。人は見かけによらない。席を譲ってくれたお兄さん、ありがとうございました。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。